MENU CLOSE

話題

日本人の金メダルで喜んじゃダメ? 「文化として貧弱」な順位争い 

性ホルモンで出場制限は「狙い撃ち」

東京五輪ソフトボールの金メダルを突然かじった河村たかし・名古屋市長=2021年8月4日午前10時1分、名古屋市役所、関謙次撮影
東京五輪ソフトボールの金メダルを突然かじった河村たかし・名古屋市長=2021年8月4日午前10時1分、名古屋市役所、関謙次撮影 出典: 朝日新聞

目次

東京オリンピックで外国人と熱戦を繰り広げ日本人が勝利した時、歓声を上げて喜ぶ自分がいました。ニュースで「過去最多の金メダル」と報じられたら誇らしくなりますし、「日本人のメダルはありませんでした」と聞けばがっかり。ふたを開ければメダルの話題で持ちきりだった東京五輪。しかし、関西大学文学部准教授の井谷聡子さんは順位で一喜一憂するのは「文化として貧弱」と、競争のあり方に疑問を投げかけます。金メダルを喜べないってどういうことなのでしょう? パラリンピックが始まる今、五輪の「達成モデル」がもたらす危うさについて話を聞きました。

プレモルと絶品プリン。withnewsチームが見つけた共通点とは(PR)

順位が全ては「文化として貧弱」

――東京五輪では、日本の選手が過去最多の金メダルを獲得しました。「日本人に勇気を与えてくれた」という声をよく聞きます。

そもそも私はメダルの色や順位を競わせることだけがスポーツではないと思います。五輪は当初から「より速く、より高く、より強く」という「達成モデル」を採用し、現在も順位づけを行っています。しかしそれだけでは、スポーツ文化として貧弱だと思います。


――「貧弱」というのはどういう意味でしょう?

スポーツの起源は「遊び」であり、子どもが放っておくと体を動かすように、本来は自分が楽しく行うものです。自分の体を理解し、ケアをして、動く喜びを感じることもまた、スポーツでしょう。一人でジョギングとか、高齢者らがゲートボールで楽しく交流するのとかはまさにそうですね。


――私も小さい頃運動が嫌いでした。今思うと、友だちよりかけっこが遅かったり球技で球をうまく扱えなかったりして、恥ずかしくて悔しくて……。他人と自分を比べて嫌になったのかもしれないです。

他者との競争がスポーツのほぼ全てと考えてしまうのも、達成モデルの五輪が、アマチュアスポーツの「頂点」というイメージからでしょう。メディアも「我が国はメダルを何個取った」と報じてナショナリズムをかき立て、人々もその枠組みで見る。選手は周囲の期待を背負い、「国のため」と順位を競います。
スポーツは本来、生活の中から生まれたものです。五輪が演出するような「非日常的で特別なもの」だけではありません。そのあり方は、性別、人種、国籍や民族などに縛られることのない、多様なもののはずです。

性ホルモンで出場制限は「狙い撃ち」

女子87キロ超級に出場したニュージーランドのローレル・ハバード=恵原弘太郎撮影
女子87キロ超級に出場したニュージーランドのローレル・ハバード=恵原弘太郎撮影 出典: 朝日新聞

――東京五輪では初めてトランスジェンダーの選手が出場するなど、多様なあり方が模索されたようにも見えます。

ニュージーランド重量挙げ代表のローレル・ハバ―ド選手は、男性から女性に性別変更して出場しました。ただ私は、むしろ五輪は性別を「狙い撃ち」にして出場を制限しているように思います。


――何を「狙い撃ち」しているのでしょう?

背の高さや手足の長さなど、選手の身体は実に様々です。なのに、男性に多いとされる性ホルモン「テストステロン」で出場資格を「狙い撃ち」するのは、多様性とは言いがたいと思います。

五輪は「男と女の体は根本的に異なり、男の方が有利だ」という考え方で、1960年代から女子選手だけを対象とした、性別確認検査をしていました。現在も、女子選手に対し、テストステロンの血中濃度値で出場の有無を決める競技があります。陸上女子400メートルなどが該当します。東京五輪では、この規定で女子400メートルのナミビア選手2人が出場停止になりました。

かつて、インド女子100メートルのデュティ・チャンド選手がスポーツ仲介裁判所に訴え、当時の国際陸連(現・世界陸連)が出場取り消しを撤回した事例もありました。テストステロンとパフォーマンスの有利不利について、科学的根拠は現在も十分とは言いがたい。それでもハバード選手には、トランスジェンダーの選手に関する一定の値が課されました。

ナショナリズム「見直すきっかけに」

東京五輪の閉会式が行われた国立競技場周辺には多くの人が集まった=2021年8月8日午後8時2分、東京都渋谷区、山本裕之撮影
東京五輪の閉会式が行われた国立競技場周辺には多くの人が集まった=2021年8月8日午後8時2分、東京都渋谷区、山本裕之撮影 出典: 朝日新聞

――部活動から五輪まで、チームとしての勝利は多くの人に高揚感を与えてくれますが、これも気をつけた方がいいのでしょうか?

菅義偉首相が、1964年の東京五輪で活躍した「東洋の魔女」について述べていましたが、練習などで今ならありえないようなハラスメントが行われていました。「国のため」に選手は耐えていましたが、一人の女性としての尊厳よりも「日本人の誇り」が優先されていたように思えてなりません。それに、当時は男女の賃金格差や労働者の搾取は今よりも深刻でしたが、そういうことは語られません。五輪は「平和の式典」を掲げているはずなのに。

私が留学していた米国やカナダと比べると、日本は上意下達的で「上のいうことを黙って聞く」文化が根強いと感じます。最近では、海外の空気に触れたテニスの大坂なおみ選手や、性的少数者を公表したサッカーの横山久美選手など、声をあげる選手も出てきてはいますが。


――選手一人一人の身体やバックグラウンドを尊重すべきというのはわかります。ただ、感動を与えるのはやはり「競技性」にあると思ってしまいます。

その感動はどこから来るのかを、見つめ直すのも重要かもしれません。テレビなどで観戦する時、本当に選手を応援しているのか、と。ナショナリズムになってはいないか、と。

東京五輪は、五輪自体に対してタブー視せず批判する機会になりました。ならば、スポーツそのものについても、成果主義を見直すきっかけになればと思います。

【井谷聡子准教授へのインタビュー前編】
「聖なる五輪」破るきっかけに 応援しながら考えたい”五輪への疑問”
CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます