連載
人財(じんざい)、志事(しごと)「五輪話法」に通じる造語の危うさ
過酷な現実をまひさせる〝都合のいい解釈〟

帰省はコロナ禍収束の希望の光――。首都圏の4都県知事による「夏休み・お盆期間中の帰省は控えて」との訴えに対し、痛烈な皮肉を込めた文章がSNSで拡散されました。「五輪」を「帰省」に置き換えることで、政治家の「楽観論」と、市民の危機意識との落差を炙り出したのです。経営者や政治家ら権力のある人たちは、社会情勢を〝都合よく解釈〟するため、様々な言葉を使ってきました。その一つが「人財(人材)」「志事(仕事)」など、世の中にあふれる謎の造語です。私たちの目を、向き合うべき困難からそらさせる、言葉の魔力について考えます。(withnews編集部・神戸郁人)
街で見かける起源不明な造語
筆者はこれまで、街中で見かける、起源不明な造語に注意を払ってきました。とりわけ興味深く感じられたのが、元の単語の一部をもじることで、前向きさを演出する類いの語彙(ごい)です。
それらを、自主的に能力や資質を高める営み「自己啓発」にちなみ、「啓発ことば」と命名。成り立ちや、世間に浸透した過程などについて、調査してきました。
・「顔晴る(がんばる)」:「一生懸命に我慢(努力)する」という意味の「頑張る」を書き換えた言葉。晴れ晴れと笑い、明るく困難に立ち向かうイメージを強化している。
・「志事(しごと)」:「からだや頭を使って働く事」という意味の「仕事」の言い換え語。職務への高い意欲をやりがいをもって、生き生き働く、とのニュアンスを伴う。
・「輝業(きぎょう)」:「利益を求めて事業をする会社/団体」としての「企業」から生まれた。「時代に合った事業や働き方で成功する、先進的組織を目指すべき」という意味合いがある。
*原語の語釈は、いずれも三省堂国語辞典第七版(三省堂)によります
「人財」求めても続く低成長
主な要因として挙げられるのが、経済の衰退です。二度のオイルショックやバブル崩壊により、減速基調が顕著に。終身雇用制を始めとする、日本型の雇用形態に亀裂が入りました。大企業を中心に経営が悪化し、リストラなどの施策も進みます。
そしてより若く、実務能力が高い働き手に注目が集まり、「人財」への期待感が高まりました。「人罪(やる気がない社員)」「人在(業績を出さず会社にいるだけの社員)」など、働き手を区分けする「人材」由来の語句が好んで用いられたのも、この頃です。
製造業の衰微と、サービス業やIT業界の勃興。外国企業との競争激化。時代の波に乗るため、「人罪(在)」を切り捨て「人財」を採る。国内企業のそんな姿勢が、ハングリー精神にあふれた、自律的な労働者像を確立させたと思われます。
日本総合研究所の元主任研究員・江口泰宏さんは、かつて「最大の安定は変化すること」「人財格差は企業格差をもたらす」(84年7月『月刊総務』)と語りました。このような見方は、現在に至るまで引き継がれていると言えるでしょう。
ただ内閣府によれば、日本は低成長状態から抜け出せていません。
バブル崩壊後にあたる、92年~2019年の国内総生産(GDP・暦年)の伸び率を見ると、名目で前年比マイナス6%~プラス3.4%。実質ではマイナス5.4%~プラス4.2%です。プラス5%超えも珍しくなかった91年以前と比べ、歴然とした差があります。

労働者発案の造語は皆無だった
高い志をもって事をなす。単に利益を上げるのではなく、社会に夢や希望を与えられるような働きをする――。そのようにして、仕事に労働以上の価値を付与しようとする意図が込められています。
この単語は、人手不足や重労働など、負の印象が強い職場で好まれる傾向があります。建築系の人材派遣会社幹部が、業界の高い離職率を改めようと、座右の銘に「志事」を掲げたという事例は象徴的です(20年6月18日付け 日本経済新聞電子版)。
著しい経済成長が望めない情勢下、自社のイメージアップを図る。いわば、企業が生存戦略を進めるための道具として生み出されたのが、「志事」であると考えられるでしょう。似た特性は、ほかの単語にも見いだせました。
「啓発ことば」の使用法を考察する上で、押さえておくべきポイントがあります。いずれの場合も、誰かを使役する側から発せられることが大半、ということです。
「人財」について調べるため、筆者は過去50年分の経済誌を読み込みました。積極的に口にしていたのは、経営者や会社幹部など、組織内で一定の地位にある人々です。反面、労働者が造語を発案するケースは、皆無と言っても良いほどでした。
「志事」「輝業」といった語句をめぐっても、事情は同じです。このことから、権力を持つ者にとって好都合であるという、「啓発ことば」の一面が見えてきます。
メリットとして顕著なのは、「志事」の例で示したように、物事の光の側面が強調できる点です。
志を押し出せば、仮に労働者の待遇や、働き方に問題があっても覆い隠せる。そのような認識のもと、使われてしまう恐れがあります。更に言えば、「志事」を成し遂げたり、「人財」になれなかったりする責任を、個人に帰すことも可能になるのです。

感染拡大の不安、打ち消そうとする言葉
今年7月1日時点で673人だった東京都の陽性者数は、14日に1149人まで急増。8月5日現在で5042人を記録するなど、連日のように過去最多を更新しています。
他方でワクチン供給は十分進まず、企業が職域接種を中断するなどのケースが、後を絶ちません。
全国的にも事態収束の見込みが立たない中、注目を集めたのが、東京五輪開催の是非です。政治家から、次のような発言が相次いだことは、記憶に新しいでしょう。
「コロナに打ち勝った証として開催する」
「子どもたちに夢や感動を与える」
「安心・安全な五輪を開く」
海外選手や大会関係者の来日による、感染拡大を懸念する声は、早い段階で上がっていました。その不安を打ち消すように、相次いで飛び出た権力者たちのコメントに、多くの批判が寄せられています。

五輪推進論への痛烈な皮肉
それにもかかわらず、政治の世界では、五輪推進論が主張され続けました。
「東京五輪は、世界が新型コロナ感染症が引き起こした問題に立ち向かおうと団結する中、希望の光となる」(小池百合子都知事)
「(五輪を)やめることは一番簡単なこと、楽なことだ」「挑戦するのが政府の役割だ」(菅義偉首相)
ネット上では、こうした言動を批判的にとらえる動きもみられます。
8月3日、東京・埼玉・千葉・神奈川の4都県知事が共同で、「夏休み・お盆期間中の旅行や帰省は原則中止して」と呼びかけました。この訴えを逆手にとった、次のような文章が出回ったのです。
「帰省はコロナ禍収束の希望の光」
「帰省を中止することは、一番簡単なこと、楽なことだ。帰省に挑戦するのが国民の役割だ」
「安全安心な帰省に向けて全力で取り組む」
「五輪」を「帰省」に置き換えることで、政治家の「楽観論」と、市民の危機意識との落差を炙り出す――。文章はSNS上でも拡散され、「五輪話法」「盛大な皮肉だ」などと評価されました。
見たくないものから目を背けるための方便として、前向きな言葉を発する。そのような態度は、ある種の現実逃避を促すものです。そして経済・社会の停滞に反し、明るい響きを伴う「啓発ことば」と通底するとも言えるでしょう。
働き手の、市民の苦悩をないがしろにしかねない、前向きで美しい言葉。その危うい側面に、敏感になることには、一定の意味があるのではないでしょうか。
【連載・#啓発ことばディクショナリー】
「人材→人財」「頑張る→顔晴る」…。起源不明の言い換え語が、世の中にはあふれています。ポジティブな響きだけれど、何だかちょっと違和感も。一体、どうして生まれたのでしょう?これらの語句を「啓発ことば」と名付け、その使われ方を検証することで、現代社会の生きづらさの根っこを掘り起こします。毎週金曜更新。記事一覧はこちら。