連載
仕事を「志事」と呼ぶ理由は?働く厳しさマヒさせる〝言葉の麻薬〟
負のラベルを隠す一時の現実逃避

「仕事を『志事』にしよう」。様々な職業人の発言に触れる中で、そんなフレーズを見聞きする機会があります。勤労への意欲を保つには、高い志が必要だ――。当たり前の考え方を示しているようでいて、あえて一般的な語句の字面を改める点に、どことなく違和感も。その使われ方を調べてみると、自社や業界のイメージアップを図りたい、企業側の〝ある狙い〟が浮かび上がりました。(withnews編集部・神戸郁人)
明るい未来を思わせる語感
そして先日、執筆記事に対するネット上の反応を眺めるうち、気になるコメントが目に入りました。ぜひ、「志事」も取り上げて欲しい――。そんな感想が、複数飛び交っていたのです。
成り立ちが知りたくて、検索エンジンに「志事」と打ち込み、表示されたウェブサイトの解説文を読んでみました。どうやら「仕事」が基になっているようです。「私事(身勝手な仕事)」「死事(嫌々する仕事)」と書き分けられることも判明しました。
そもそも、筆者にとっては未知の言葉。まず、どのように用いられているか、把握しなければなりません。手始めに、マーケティングリサーチツール「Brandwatch」を活用し、関連ツイートの傾向を探りました。
今年6月4日~7月3日につぶやかれた、「志事」を含む日本語ツイートを抽出すると、1506件表示されます。投稿を解析したところ、「感謝」「幸せ」「笑顔」などの単語とともに登場する頻度が高いとわかりました。
「仕事を志事にしなさい」「志事が世界観を変えてくれる」――。一連の文章は、明るい未来を想像させるものばかりです。一方で、読む人に自己変革を迫るような響きも伴っています。
筆者はこの結果から、「志事」という言葉に、そこはかとない〝まやかし〟のような印象を持ちました。一体、何に由来するのか? その点を明らかにするため、より幅広く用例を集めることにしました。

自己実現と社会発展を媒介
同紙の短信では、NPO法人事務局長による、中学生向けの講演会での発言が引用されていました。海外での職務経験から感じた、働くことの意義を、生徒たちに語るという趣旨です。
仕事は「望む社会を実現できる。私にとっては”志事”と表現できる」と強調した。
――仕事のやりがいや出会いの大切さ語る 甘楽中で特別授業 NPOの森さん講演 甘楽/2018年2月7日付 上毛新聞
地域の課題解決に取り組む人材育成のため、三重県の企業や行政が組織する団体「夢・志事塾」。その設立総会で、辻保彦会長はこう話しました。
「今こそ地方には強い志を実現させる人財の育成と活躍の場をつくることが急務。夢を語り合え、積極的に行動を起こせる人財を育てたい」
――地域の課題解決へ人材育成 「夢・志事塾」設立総会 高い志 実現させる場を/2018年5月14日付 中日新聞朝刊 地方版(三重版)

林業を営む女性の記事から見えること
2018年12月15日付け朝刊の特集記事には、同県美郷町で、林業を営む女性が登場。担い手不足を背景に、伐採後の林地残材を使ったおもちゃ作りや、女性も就労しやすい環境の整備に取り組む様子が点描されます。
同紙は上記の活動について、女性の発言を借りる形で「先祖から日本を形づくってきた山と文化を後世につなげる“志事”」と表現しています。その上で「『稼げて』『かっこいい』『環境保全につながる』を林業の新たな3Kにしたい」という女性のコメントを引用し、本文を締めくくりました。
林野庁の森林・林業白書(令和2年度版)によれば、2015年時点の女性林業従事者数は2750人と、全体の6%ほどに過ぎません。他業種と比べ高い労災発生率や、重労働を強いられる印象が禍(わざわ)いし、若手労働力の取り込みも滞り気味です。
宮崎日日新聞の記事には、こうした状況を踏まえ、林業そのもののイメージアップを図ろうとする側面があります。業界の浮沈をめぐる話題の中で、「志事」が用いられたことは、注目に値するでしょう。

「志事」が隠す負のラベル
コプロホールディングス(名古屋市)は、建設業者向けのサービスを展開しています。余剰人員の削減を目指し、採用を抑える企業側と、人手不足に悩む作業現場のニーズに応え、経験豊富な技術者を派遣。06年の創業以来、増収増益を達成してきました。
人材教育に触れるくだりでは、清川甲介社長の、こんな発言が紹介されています。
「人材派遣業は他の業種に比べ離職率が高い。ただし採用側の責任として、それで良いのかという疑問があった。私の座右の銘は仕事ではなく『志事』。高い志を持って事を成すという意味合いで、その理念に共感できる方と一緒に長く働きたいという思いがあった」
――建築現場のプロを育成派遣 コプロHD、人材力で急成長-ナゴヤの名企業・コロナ危機に克つ 逆風でも成長(4)
一般に激務と捉えられがちな人材派遣業。「派遣切り」「雇い止め」などの問題が、批判の的となる機会も少なくありません。負のラベルを隠し、業界に対する人々の心象を良くしたい。清川社長のコメントには、そんな意図が含まれているように思われます。

心の痛覚をマヒさせる言葉
以上の事例から見いだされるのは、「志事」が持つ、ある種の〝麻薬性〟です。
多くの場合、不況や人材の枯渇などにより、苦境に陥った職業人たちが、この語句を用いていました。林業・人材派遣業の関連エピソードが示すように、過酷な仕事内容が想起されやすい職場で、特に好まれる傾向があるとも言えそうです。
「志事」が醸す明るい雰囲気は、そうした現実を、いっとき忘れさせてくれるようです。志という〝漂白〟された言葉で、心の痛覚をマヒさせ、働く厳しさを和らげる。いわば現実を生きるための強壮剤として、機能しているように見えます。
これは自らを鼓舞し、健康的に職務と向き合う原動力となる限り、許容されるべき営みです。一方で、経営者側が労働問題を放置したり、問題のある状況を肯定したりするための方便となる危険も、常にはらんでいます。
誰が、何のために、仕事を「志事」と呼びたがるのか。その問いを深めることは、私たちが住まう社会の輪郭を、明らかにする手立てとなるのかもしれません。
しごと【志事】
〈「仕事」の「事」を「財」に書き換えた語句。職務への高い意欲とやりがいをもって、生き生きと働くこと〉
・「仕事を―にしよう」
・「私の座右の銘は―だ」
【連載・#啓発ことばディクショナリー】
「人材→人財」「頑張る→顔晴る」…。起源不明の言い換え語が、世の中にはあふれています。ポジティブな響きだけれど、何だかちょっと違和感も。一体、どうして生まれたのでしょう?これらの語句を「啓発ことば」と名付け、その使われ方を検証することで、現代社会の生きづらさの根っこを掘り起こします。毎週金曜更新。記事一覧はこちら。