連載
#5 地デジ最前線
24歳エンジニア、新卒から選んだ地方在住 充実の「リモート生活」
新型コロナウイルスの感染拡大もあって、リモートワーク(テレワーク)が急速に進んでいます。しかし、コロナ禍以前から、地元の広島に住んだまま新卒で東京のベンチャー企業に入り、リモートワークを続けるエンジニアがいます。3年目となった「新卒リモート」が描くキャリアとは。ライターの伏見学さんが取材しました。
一体、この数年間の呼びかけは何だったのか。そう思わずにはいられません。
政府があれだけ声を張り上げて推進しようとしても、ピクリとも動かなかった日本の「働き方改革」は、幸か不幸か、新型コロナウイルスの感染拡大によって一気に加速しました。
総務省によると、リモートワークを導入している、もしくは導入予定のある企業は、2019年に29.6%だったのが、20年には58.2%と倍増。実際、この1年でリモートワークやオンライン会議などは当たり前になったという実感のある読者も多いのではないでしょうか。
リモートワークの浸透は、居住環境にも大きな変化をもたらしました。これまで会社勤めする人は、オフィスに通うことが前提だったため、通勤範囲内に住むのが常識でした。ところが、それは過去の産物となりつつあります。
東京から地方にUターンしたり、お気に入りの地方都市へ移り住んだりして、仕事を継続する人が出てきました。会社もそれを容認し、国や自治体は大盤振る舞いで助成金を出して移住を奨励しています。
そんな中、「脱東京」の働き方ではなく、初めから地方を出ずに東京の会社に勤務する若者がいます。都内のITベンチャー企業、ガイアックスで働く中村優さん(24)です。コロナ前の2019年4月に新卒入社した中村さんは、生まれ育った広島を離れることなくフルタイムで働き続けています。
彼の働き方はこれからの時代のロールモデルになることを予感させました。それは単にワークスタイルだけでなく、地方創生という観点においても可能性を秘めているのです。
広島市出身の中村さんは、父親の影響で、幼少期からものづくりに興味を持ち、休みの日には一緒に工作や日曜大工をしていました。他方、インターネットに接する機会も早く、小学2年生ごろにはPCにのめり込み、「ポンタの冒険」というフリーゲームをよくプレイしていたといいます。
「同級生たちは漫画やアニメを見ていましたが、我が家は許されていませんでした。だから『ドラゴンボール』は雑誌やコミックで読んだことがありません。その代わり、PCゲームはいくらでもやって良かったんです」と中村さんは苦笑します。
絵に描いたようなデジタルネイティブの中村さんは、中学でプログラミングと出会い、C言語をかじります。そのころには工業系に進学しようと決めており、卒業後は呉工業高等専門学校へ。本格的にプログラミングの勉強に励みます。
転機が訪れたのは、高専での5年間を終えて、2年過程の専攻科に進んだときのこと。企業に3カ月間インターンシップをするというカリキュラムがあり、実務経験を積める機会を得ます。いくつかのインターン先を検討する中で、学校の先生から勧められたのがガイアックスでした。
インターン中は東京に滞在。赤坂のウィークリーマンションに住み、顧客企業のSNSアカウント運用サポート業務などに携わりました。学校のカリキュラム終了後も、ガイアックスから「インターンを続けてみない?」という打診があったため、広島に戻った後も、そのままインターンを続けました。
就職活動の時期となり、このままガイアックスで働くのも面白いなと思う反面、広島で暮らしたいという気持ちもありました。ちょうど母校の呉高専からも情報システム部門の技術担当者として働かないかというオファーがありました。
東京と広島の二者択一で悩み苦しんでいたとき、ガイアックスから思わぬ提案を受けます。「広島でリモートワークしてもいいよ」
同社としてもこれまで社員は東京のオフィスに通うのが当たり前になっていました。ただ、時を同じくして社員のリモートワークを推進していたこともあり、「新卒だからいきなりリモートワークはダメだというのもおかしい」と、特例で中村さんの広島勤務を認めたのです。これが地方在住新卒社員の第1号となりました。
世にリモートワークが浸透した現在でも、新卒から地方在住を認めている企業は決して多くありません。都内のあるIT企業幹部に聞くと、最初からフルリモートだと、メンタル面で支障をきたし、退職するケースが多いため、1年目の社員に対してはできるだけオフィスでコミュニケーションを図るようにしていると言います。
ガイアックスはこのような懸念がなかったのでしょうか。この点については当然考慮し、中村さんも新人研修は同期とともに対面で受け、配属後の1カ月間は東京で勤務しました。
コロナの影響で、翌20年からは新人研修をすべてオンラインに切り替えましたが、精神面のケアは引き続き重点的に行っています。
例えば、同社には、「コミュニケーター」と呼ばれるスタッフがいます。何かあればオンラインですぐに相談できたり、場合によってはオフラインでランチをしたりと、主にコミュニケーション面で社員を支える役割を担っています。ある若手社員に聞いたところ、コミュニケーターのおかげで、リモートワークによる孤独感はほぼないということでした。
若いうちは、見聞を広めるために外へ出るという選択もあっていいと思います。なぜ中村さんは地元・広島にこだわるのでしょうか。
働く場所という点に絞って言えば、インターンシップ時代に3カ月だけ東京で暮らした経験が大きいようです。決して東京の生活が嫌だったわけではなく、広島で生活するのとほとんど変わらないと感じたのです。ITエンジニアだから、ネット環境さえあればどこでも仕事はできます。「別に東京でなくてもいいじゃん。住み慣れた広島の方が働きやすい」となったわけです。
まず、東京と比べて広島は仕事のオンオフの切り替えが容易だといいます。
「ドライブが趣味なのですが、都内に住んでいたらクルマを所有して、週末に海や山へ気軽に行くことはそう楽ではありません。平日は根を詰めて仕事をしているため、リフレッシュできるのが私にとって大切なのです」と中村さんは話します。
次に、両親など家族が近所にいることです。コロナ禍においてこの重要性は一気に高まりました。
「遠距離の行き来ができず、多くの人たちは家族に会えずに過ごす日々が続いています。近所であるが故に、地域をまたぐ移動はなく、気さくに会えるのはありがたいです」
ただし、広島で暮らしながら働くことにまったく不自由がないわけではありません。
最たる例が、東京にいる社員や顧客などとすぐに直接対面し、コミュニケーションを図ることができない点です。
「オンライン会議で済むじゃないか」と思う方もいるでしょう。しかし、中村さんによると、開発プロジェクトでは、丸一日かけてメンバーで議論することがしばしばあり、オンラインで込み入った話を長時間するのは限界があるようです。
「通常はホワイトボードを使って、皆で車座になって意見を出し合ったり、深掘りしたりするのですが、それが頻繁にできないことに不便さを感じています」
他方で、数分程度の雑談も気軽にできないとのこと。「オフィスなら『ちょっといいですか?』と気にせずに話し掛けられるのに、オンラインだとわざわざそのための時間をあらかじめ取ってもらわなければなりません」と中村さんは述べます。
それでも以前ならば積極的に東京へ行って、社内の飲み会などにも参加していたのですが、コロナ禍でそれもできなくなりました。より多くの社員と交流する機会が減ったことに、中村さんは寂しさを感じています。
このように、働く上での良し悪しがあるとはいえ、中村さんが広島に残ろうと決意した強い動機があります。それは「地域への恩返し」です。高専時代にチャンスを得た結果、それまで広島ではほぼあり得なかったキャリアを形成することができましたが、中村さんの後輩たちにはそうした機会がないそうです。
「自分はたまたまラッキーだった、という話で終わらせたくないです。若い世代の選択肢を広げてあげるのが自分の役割だ」と中村さんは考えています。そして、若者だけでなく、地元のエンジニアの人たちの可能性も広げたいと思うようになりました。
もし就職して東京にそのまま行っていたら、広島に多くのエンジニアがいることを知る由もなかったからです。出会ったからこそ、彼ら、彼女らに自分の経験や技術などを伝えたいという使命感を抱いています。
では、具体的に何をしているのでしょうか。最も力を入れている活動は、地元のエンジニアコミュニティーの活性化です。
プログラミング言語「Phyton」のコミュニティーイベントである「PyCon mini Hiroshima」を運営したり、広島のITエンジニアが集まる各種カンファレンスなどでスピーカーとして登壇したりしています。中村さんはこうした場で、東京の仕事で得た技術や知識、情報を参加者に惜しみなくシェアしています。また、登壇後にはSNSなどで個別にメッセージが来て、若者のキャリアの相談に乗ることもしばしばあるそうです。
PyCon mini Hiroshima 2020終了!!
— PyCon mini Hiroshima (@PyConHiro) October 10, 2020
今年は初めての完全オンライン開催となりましたが、無事にすべてのセッションを終えることができました
今年もWebやデータサイエンス、ハードウェアやビジネスまで幅広い発表がありました。
登壇者のみなさま、ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました! pic.twitter.com/ZaPX3g7iML
広島にいながらにして、東京で日々学んだことをリアルタイムに地元にフィードバックできる点。これこそが中村さんの最大の強みではないでしょうか。
「デジタルによって物理的な距離のハードルが下がるのは確かですが、一方で、すぐ近くにいるということの価値も高まります。それが『持ち味』になります」と中村さんは力を込めます。
こうした地域への恩返しは、中村さん自身が20代という若者だからこそ、できることは多分にあります。仮に東京へ出て行って経験を積み、50代で広島に戻ってきたとしたら、同じようなことができるかどうか。それをわかっていたから、中村さんは広島に残るべきだという選択をしたのです。
今はまだ叶いませんが、いずれは地元の産業発展にテクノロジーの面で貢献したいという中村さん。
「広島の工芸品である熊野筆は、AI(人工知能)の活用によって職人による手作業を軽減しようとしています。こういうことに自分の力を生かしたい。広島は農業や水産業も盛んです。例えば、レモン栽培を効率化するなど、テクノロジーによって元から持っている地域のパワーを加速したいです」と中村さんは展望を語ります。
また、そうした地域産業の人たちと、県内外の若者との間に立ち、両者をマッチングするような役目も担いたいと考えています。
自身が実践する働き方を通じて、広島でどんどん新しいスタンダードを作っていきたいと中村さんは意気込みます。ただ、繰り返し強調するのは、決して自分の歩んだ道が「正解」ではないということです。
「自分の生き方を見て、新たな選択肢を作ってもらいたいです。Aしかなかったところに私はBを作ったかもしれませんが、下の世代にはBをまねるのではなく、Cを作ってほしいです」
地方にはびこる常識。これを壊す人たちを増やすのが中村さんの目標であり、広島をそんな場所にしたいと夢を描きます。
そんな地方を変えるには、デジタルが有効であるのは中村さんも認めるところですが、結局、それ以上に人が変わらないといけないと痛感しています。
「広島にもUber EatsやPayPayはあって、都会と変わらない便利さを享受できます。でも、そうしたサービスやトレンドが地方発で生まれているかというと、そうではありません。結局、デジタルに使われているのです。自分たちでサービスを生んでいくことが、地方のデジタル変革だと思います」
デジタルサービスによって利便性は向上しましたが、そこで止まっていては、本当の地域の活性にはつながりません。自分たちで新しいサービスや価値観を作り出し、それを広げていくことが、真の地方改革だと中村さんは訴えます。
いかにもエンジニアらしい、ものづくりの視点を持った発想だと感じました。近い将来、中村さんの後に続く、「常識を壊す」若者たちが広島、そして全国各地から出てくることを願います。個人の働き方が地域を動かす、これこそが目指すべき地方創生の一つの形ではないでしょうか。
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