話題
民主主義はもうオワコン? 政治学者の宇野重規さんに聞いてみた
みんなが参加している「感」が出せない危機と、民主主義を知るためにお薦めの3冊
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みんなが参加している「感」が出せない危機と、民主主義を知るためにお薦めの3冊
突然ですが、「それは民主主義の問題だ」と言われたらどう思いますか。少なくとも、私は少し戸惑います。「話がでかすぎる」と思ってしまうからです。政治がうまくいかないのも、格差が広がっているのも、フェイクニュースが広がるのも民主主義の問題……。何にでも当てはめられそうで、何も言ってない気がしてくる。でも民主主義という言葉は無意味だとまでは思いません。そもそも、民主主義とは何なのか。本当にうまくいっていないのか。その名もズバリ「民主主義とは何か」(講談社現代新書)の著者・政治学者の宇野重規さんに聞きました。
インタビューで聞いたこと
――書店に行くと、民主主義の危機を語る本がたくさん積まれています。最近、民主主義はあまり信頼されていないのでしょうか。
「民主主義が正しいのか確信を持てない人が増えているのは事実です。世界価値観調査などでは、若者ほど、現代の代表制民主主義に対する信頼度が低いことが明らかになっています。日本国内でも、同じ傾向が見られます」
「歴史をひもとけば、冷戦後は自由民主主義が最終的に勝利したと語られました。しかし、そうはならなかった。経済が発展すれば民主化すると言われた時期もありましたが、今の中国を見ればそれは自明ではありません。勝利したはずの自由民主主義の代表・米国もリーマン・ショック以降、むしろ不調と不安定さが目立つようになっています。こうした経緯も影響しているのでしょう」
――ポピュリズムや権威主義体制の台頭も「危機」と言われます。警鐘を鳴らすのは重要ですが、常に「危機だ」と言われてしまうと釈然としない部分があります。
「『オオカミ少年』のように見えてしまうということですよね。ただ、私はいま『これまでの危機』とは違う局面にあると考えています。民主主義の基本的な理念の部分が脅かされているのです」
「私たち自身の中に、『平等な個人による参加と責任のシステム』自体を否定する感情が生まれつつある。自分たちが意見を言おうが言うまいが、議論をしようがしなかろうが、答えは決まっている。ならば誰か他の人が決めてくれればそれでいい――そういう諦めの感覚に支配されること。これこそが民主主義の最大の敵であり、脅威だと思います」
――民主主義の基本的理念である『参加と責任のシステム』について、もう少し詳しく教えてください。
「古代ギリシャの徹底した直接民主主義に、その萌芽(ほうが)があると考えています。当時は公職に就くメンバーは選挙ではなく、クジで選ばれた。成年男性のみという重大な限界があったものの、すべての市民に選ばれる可能性があった。採用されるとは限らなくても、自分の意見を表明し、耳を傾けてもらえる。この実感があって初めて、そこでなされた決定にも責任を持とうと思える。これが『平等な個人による参加と責任のシステム』です」
――近代以降の国家では、選挙で代表を選ぶ議会制を採用しています。直接民主主義に比べれば「実感」は薄れていく。理念が失われてしまうのは当然のようにも思えます。
「現在の議会制では、多くの国の市民が『自分の意見が政治の場に届いていない』という不満を抱いています。ただこれを民主主義への失望と考えて、直ちに危機と結びつけるのは誤解です」
「学校の教科書で、古代ギリシャで民主主義は生まれた、市民が直接政治参加をしていたが、近代国家ではみんなで集まれないので議会制民主主義になった、と説明されます。ここに誤解の根本があります」
――どういうことでしょうか。
「歴史を振り返ると、民主主義と議会制は本来、別のものでした。少なくとも18世紀までは、市民による直接的な統治である民主制と選ばれた代表者による意思決定である共和制は明確に区別されていました」
「それが、フランス革命とアメリカ独立革命を機に、国民議会や憲法制定会議といった『議会』が民主化の先導的役割を果たすようになります。権力者が勝手にルールを決めていた時代から、議会による立法で政治を動かす時代へ。そのメンバーを『自分たちの手で』選んでいるのだ、という実感の存在が大前提です。それに参加する権利=参政権の拡大が民主主義を進展させる。こうして、本来は別の起源を持つ民主主義と議会制がつながり、今日に至ります」
「さらに20世紀の二つの世界大戦で、米国は『民主主義を守るための戦い』という大義を掲げて参戦し、正当性を得ました。英国でのG7サミット(主要7カ国首脳会議)でも『民主主義を守る』という言葉が使われました。民主主義が肯定的に評価されるようになったのは、古代ギリシャから2500年の歴史で、せいぜいこの2世紀ほどのこと。今や人類共通の理想とされる民主主義ですが、具体的に何を指し、どんな思いが込められているかは、時代や地域によっても違います。民主主義の定義を再確認した上で、議会制とより直接的な民主主義の改善策をそれぞれに追求すべきです」
――ポピュリズムはどうでしょうか。
「ポピュリズムは民主主義の敵とされることもありますが、『腐敗したエリートたち』によって自分たちの声が排除されているという、異議申し立ての側面もあります。もっと参加させろ、と」
「根底には自分たちの声が聞かれていないという感覚があります。民主主義を信じようにも、現実の代議制に裏切られているという不満の表れなわけです。ポピュリズムは民主主義の敵というより双子のようなもの。それが突きつける課題に、どう応えていけるのかが問われていると思います」
――議会制などの現代の制度で理念が実現できないなら、危機を乗り越えるために、民主主義を前進させるのは何ですか。
「かつてフランスの思想家トクビルは、印刷術と郵便制度が民主化を進めたといいました。こうして得られた情報をもとに市民が自分で社会に関わるようになるからであり、それが民主主義の方向に社会を進める原動力だと考えたのです。現在のITとデジタル化も必ず社会を変えていきます。特に市民が政策形成に日常的に参加し、行政権を直接統制する可能性に期待しています」
「従来、政治参加といえば、選挙や住民投票のことを指しました。しかし、現在、台湾のIT担当相のオードリー・タンさんが注目されているように、一定の条件の下、市民がオンラインで問題を提起し、行政や立法がそれに答える仕組みも始まっています。これまで埋没していた人々の声が可視化されるだけでなく、政策のエンドユーザーである市民の現場の発想が反映されやすい環境が整いつつあります」
――コロナ禍は、民主主義にどう影響したと思いますか。
「新しいフェーズに入ったと思います。コロナ禍を機に、私たちは行政のパフォーマンスに対してより厳しい視線を向けるようになりました。とりわけ、この1年で、世界のリーダーへの関心度が高まったと思います。日本でも、ドイツのメルケル首相やニュージーランドのアーダーン首相、そしてオードリー・タンさんといった人たちと、自国のリーダーを比較して議論するのが当たり前になっています」
「市民社会の自発的な協力、それを支える信頼の構築、組織化が鍵になっていると多くの人が考えるようになっています。ウィズコロナの時代は、民主主義の立て直しのきっかけになり得ます」
――東京五輪・パラリンピックが近づいています。民主主義の問題として考えると、どう対処すべきですか。
「これは本来、政争にしてはいけない話でした。五輪は関係する個人や組織が多いため、合意形成のプロセスが難しい。だからこそ、本来は昨年の段階で、感染者数や病床の使用率などに関して、開催可否を判断するための客観的条件を設定するべきでした」
「条件をクリアできればやる、できなければやらない。そして、中止・延期の負担を関係者間でどう分かち合うべきなのかを、開催国として問題提起するべきでした。しかし、そのような準備をしなかった結果、確信はないがともかく前に進むしかないという状況に陥ってしまった」
「もちろん最後は政治家が責任をとって決めるわけですが、客観的な基準やデータは絶対に必要です。なんとなくの空気や忖度で意思決定するといざという時にどうしていいかわからなくなるのです。仮に専門家の批判があっても断行するというなら、批判に対する反論をきちんと示した上で意思決定するのが基本です。異論反論をきちんと踏まえた方が強靱な意思決定になる。現在の政権の弱さは、こうした真っ当な意思決定ができないところにあります」
「もちろん世論も、開催決定の客観的条件を示すように突き上げきれなかった責任はある。その意味で民主主義が機能しなかった一例でしょう」
――近著のタイトルは「民主主義を信じる」です。危機が語られる民主主義の未来に楽観的なのでしょうか。
「私は三つのことを信じたいと思っています。自分たちにとって大切なことは、公開の場で透明性を確保して決定したい。政策決定に参加することで、誰もが当事者意識を持てる社会にしたい。そして社会の責任の一端を自発的に受け止めていきたい。私が民主主義を『信じる』というのは、そのような意味です。もちろん、いろいろな意見があるでしょう。一人ひとりが考えるしかありません。それでも『あなたはどう思う?』をきっかけに始まる議論だけが、民主主義を前に進めるはずです」(聞き手・高久潤)
平等な個人による、参加と責任のシステム。宇野さんは、民主主義の意味をこう説明しました。民主主義=みんなで決める、という定義より、「解像度」を上げた定義です。この意味をもっと深く知るためにはどんな本を読むといいのか。おすすめの三冊を選んでもらいました。
(1)M・I・フィンリー『民主主義 古代と現代』(講談社学術文庫)
(2)トクヴィル『アメリカのデモクラシー』(岩波文庫)
(3)砂原庸介『民主主義の条件』(東洋経済新報社)
民主主義には、みんなが参加している「感」が欠かせません。ただ、インタビューで宇野さんが話していたように、どうも私たちが最近「民主主義」と呼んでいる議会制(間接民主主義)と、古代ギリシャの民主主義は直接結びついているわけではないそうです。その違いを深堀りしたのが、(1)です。
また「みんな」という感覚も欠かせません。社会の一部の人ではなくて、平等な「みんな」という感覚がどれほど民主主義にとって欠かせないのか。(2)は、19世紀のフランスの思想家トクヴィルが米国を訪れて各地を歩いて書いた民主主義論です。大著で読み通すのは簡単ではありませんが、宇野さんは「序文」だけでも読んでほしいと言います。
こんな言葉で序文は始まります。「古い」社会ヨーロッパから「新しい」社会アメリカをみて、トクヴィルは明らかに「みんな」が動かす社会のダイナミズムに、魅了されていることが伝わってきます。格差の拡大も民主主義の問題である、と最近語られています。私たちが社会をダイナミックで魅力的だと感じるためには、やはり平等という価値も欠かせないようです。
そして今、日本社会の「民主主義」の現実はどうなのか。古代ギリシャやトクヴィルが訪れたアメリカとは違う「民主主義」の現実を教えてくれるのが、(3)です。「みんなが決める」と言っても、いつもみんなの意見が一致するとは限りません。みんなの代表をどう選び、そこからどうやってみんなの決定をつくるのか。政党や選挙制度というのは、そういう民主主義のみんな「感」をつくる知恵のかたちです。
「みんな」が納得するのはたやすくないですが、それでも納得度を上げていくために、政党や選挙制度をどんなものにすればいいのか。たとえば、選挙制度にはいろんなタイプ(中選挙区制、小選挙区制、比例代表制など)があります。
こうした制度のちがいは、議員個人のふるまいにどのように影響を与えているのでしょうか。有権者との関係、そして議員同士の協力関係は、制度の設計でがらりと変わります。
確実な固定票さえおされられれば「勝てる」制度のとき、議員はどんな有権者にどう向き合うものなのか。その時、有権者は「一票」をどう行使するだろうか。各国の制度、そして国政のみならず地方の制度を参照しながら、有権者の納得という視点で解説していきます。
議会や政党には期待できないと感じている人も、この知恵をインプットすることで、失望だけではない思考の手がかりが見えてくるかもしれません。
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