お金と仕事
自らに課した「残酷な引退条件」20歳で転身決断した元プロテニス選手
「セカンドキャリアで勝ちたいと思った」
プロアスリートにとって避けられないのが引退です。元プロテニス選手の牟田口恵美さん(27)が、引退を決めたのは20歳。早すぎる決断のように見えて、自らに課した「残酷な引退条件」に従って行動しました。充実したセカンドキャリアを選ぶため、必要なことは何か。「1周回ってテニスが好き」と話す牟田口さんから、そのヒントを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
牟田口恵美(むたぐちえみ)
牟田口恵美さんは、4歳でテニスをはじめ、小学6年の時には全国大会で優勝をする実力をつけていきました。その実績が認められ、中学生の時に「盛田正明テニス・ファンド」の奨学生として、3年間米国へテニス留学をします。「盛田正明テニス・ファンド」とは、元ソニー副社長の盛田正明氏が立ち上げた若手の有望選手育成のための基金で、先輩には錦織圭選手もいます。
牟田口さんが留学先で見たのは、全盛期のマリア・シャラポワ元選手や、今も現役のエレナ・ヤンコビッチ選手。世界大会で数々の優勝を収める猛者たちを目の当たりにし、「これがプロの世界なのだ」と思い知ったと言います。
2011年にファンドを卒業後、17歳でプロへ転向。当時、「最初の3年間が勝負」と考えていました。その期間に結果が出なかったら引退しようと最初から決めていた背景には、早い段階で“世界基準”を見ていたことがありました。
「私は、“活動”としてテニスをするのではなく“プロ”としてテニスをしたかったんです。なので、世界で通用しない=テニスをやめること、につながっていました」
「今の実力だったらこの世界で勝負できる」と考え、自信を持ってプロになり、アジア圏内で開催された国際大会で優勝。順調と思いきや、プロ2年目の時、ふと「大丈夫かな」との考えが頭をよぎりました。それは、欧米選手と対戦した時の“ボールの角度の違い”からだったと言います。
鋭利な角度で入る相手ボールに、反応することが難しい現実を目の当たりにし、「もしかしたら、プロを続けるのは厳しいかも」と思い始めました。その予想は的中し、結果的に満足する結果を残すことができなかった牟田口さんは、当初考えていた3年の期限が来た時に、引退を決意しました。
「私はものすごく負けず嫌いなのですが、この時に“負け”を認めました。同時に、次の人生では光っていたい、セカンドキャリアで私は勝ちたいと思ったんです」
20歳の時点で既にセカンドキャリアを考えていた牟田口さん。「10代の時から父親に『競技の先の方が長い』と言われていた」と話します。
「テレビで特集される“輝く選手“がいる一方で、実績を残せない人がいる現実を認識していました。私も“そうじゃない方”にいった場合、自分には何が残るのか。早い段階から考えていました」
明確にしたいことが決まっていなかったため、引退した2014年の9月に、大学進学の道を選びました。在学中、テニス関連の活動をしていたものの、就職についてはテニス界から離れようと思っていたと言います。
そんな中、「盛田ファンド」から、牟田口さんにコーチへのオファーがありました。その時思ったのは、「テニス×〇〇」という考えだったと言います。
「その〇〇に自分の強みである海外経験や語学などを掛け合わせたら世界が広がるかもしれないと思いました。あれこれ考えた結果、一周回ってたどり着いたのは、『やっぱり私はテニスが好き』ということ。今は、テニスの発展に貢献する中で、自分自身も成長し、オンリーワンの存在になれたらいいなと思っています」
現在は、小学生や高校生のコーチもしている牟田口さんですが、指導しているのはテニスだけではありません。例えば、生徒には毎日、日記に「やること」を書いてもらい、それを牟田口さんが採点。目標設定をはじめ、その目標を達成するための行動までも指導をしています。結果、生徒たちの行動力が明らかに向上しました。生徒の保護者からは「子どもが変わった」と報告をもらったこともあったと言います。
「私は競争の世界を生き抜いてきました。自分で何とかしないといけないことだらけでしたが、その分、行動力や実行力がつきました。この先どんなことが起こるかわからない世の中で、生徒たちにも同じ力を身につけてほしいと思っています」
20歳で引退を決めた牟田口さんの第一印象は「まだ若いのに……」でした。でも、話を聞くうちに、引退の年齢はセカンドキャリアにおいて、さほど関係ないかもしれないと思うようになりました。
牟田口さんのセカンドキャリアの特徴は三つあります。
一つ目は、「引退後の人生の方が長い」と“先”があることを理解していたこと。二つ目は、「プロとして活動する」との明確な目標を定めていたこと。そして三つ目は、その「プロ」の基準を把握していたことです。
牟田口さんにとっての「プロ」の基準とは、世界大会で名を残すレベルでした。この「基準」を知ることは、嫌でも自身の実力を直視することにもつながります。それはある意味、夢を打ち砕かれる可能性があるため残酷です。一方で、現実に目を向けるからこそ、次のキャリアへ向かう覚悟が生まれます。
同じく「世界基準」を目の当たりにし、引退を決めたアスリートに、元バスケットボール実業団選手の森川悦子さんがいます。
森川さんは、米女子プロバスケットボールWNBAを経験している選手と対峙した時に、「逆立ちをしても、追いつけない現実。努力でどうにかなるものでないことを痛感した」と振り返っていました。
指導者としてのセカンドキャリアを選んだ点においては、男子中距離走の元オリンピアン横田真人さんと重なる部分がありました。
横田さんは陸上では食べていけない「アスリートの現実」を見据え、東京五輪出場はせずに引退の道を選択。現在は、所属や性別、年齢を超えて練習ができる陸上競技クラブを立ち上げ、陸上競技のスキルアップだけではなく、選手の引退後の人生を見据えての指導をしています。
横田さん、森川さん、そして今回取材をして牟田口さんと、引退後も生き生きと活動をしている元アスリートたちの共通点は、これまでの選手としてのキャリアを生かしながら、競技の発展や自身の成長に重きを置いている点です。それが結果的に、はつらつと今の仕事に打ち込めている姿勢につながっているのだと思いました。
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