お金と仕事
「陸上で食べるのは無理ゲー」東京五輪目指さなかった元オリンピアン
大量の引退を見越して決断した投資
お金と仕事
大量の引退を見越して決断した投資
男子陸上800mでロンドン五輪にも出場した横田真人さん(32)は、東京五輪の機運が高まる2016年に、あえて「引退」を決意しました。「陸上では一生食べていけない」とわかった上で、中距離走を突き詰める道を選択。東京五輪後、アスリートの“引退ラッシュ”が起こることを見越した決断でした。アスリートは、競技後の人生についても考えるべきだと警鐘を鳴らす横田さんに、セカンドキャリアを築く上で大切なことを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
横田真人(よこた・まさと)
私が本格的に陸上競技を始めたのは高1の時でした。大学卒業後も陸上を続けようと思ったのは、国内では認知度が低い中距離走を極めようと思ったのと、五輪に出場してみたいという夢があったからです。その一方で、最初から「陸上では食べていけない」と自覚していました。
努力の末、2012年のロンドン五輪の男子陸上800mにおいて、日本人選手としては44年ぶりの出場を果たしました。結果は、予選5組4着で予選敗退。念願の五輪出場を果たせたことはうれしかったのですが、オリンピアンになっても状況は何も変わらない現実を思い知りました。
取材はほとんどなく、周りから「ちやほや」されませんでしたね(笑)。今となっては、この時点で現実を知ったため、夢想家にならずよかったと思っています。
五輪後、陸上のスキルをもっと磨きたいと思い、活動拠点をアメリカのロサンゼルスに移しました。同時期に、男子陸上400mハードル選手の為末大さんも近くにいたので、お茶をしたり、為末さんのご自宅にお邪魔したり、よく話をしていました。
当時の為末さんは、現役を続けるか否か、引退したらその先どうするかなどについて思い悩んでいました。そんな中、為末さんから「北京五輪(2008年開催)のメダリスト言える?」と聞かれたことがありました。「えっとー…」と考えつつ、名前が出てきたのは数人。実際は25人のメダリストがいて、金メダリストは9人もいたのに、ほとんど覚えていなかったんです。
「それがアスリートの現実」。そう為末さんに言われた時、心の底から「やべぇ」と思いました。有名選手の為末さんでさえ、引退後のことで悩んでいる現実を知り、「陸上競技界で生き残るのは“無理ゲー”(難易度が高くクリアが無理はゲームの例え)だ、逃げよう」って思ったんです。
そこからは、プロアスリートとしてスポンサーから求められた結果はきちんと出しつつ、並行して自己投資をすることを決め、英語と金融の勉強に力を入れました。そして、富士通陸上競技部に在籍中に米国公認会計士の資格をとりました。
アスリートの中には、厳しい現実を言われても「自分は違う」と思い込む人もいます。私の場合は、幸いにも為末さんという人がアスリートのリアルを教えてくれて、その話がスッと自分の中に入ってきたので、冷静に現実をとらえることができました。
2013年に東京五輪の開催が決まり、日本は2020年に向けて一気に沸き立ちました。年齢的に、東京五輪まで現役を続けることもできましたが、私は引退の道を選びました。
自国で開催の五輪に出場できたら楽しいだろうな、あの真剣勝負の場にもう一度身を置きたいなと、後ろ髪を引かれたことは否めません。それでも、冷静に考えた時、もし東京五輪に出場できたとしても、準決勝で走る自分しか想像できなかったんです。
向こう4年間を費やして、準決勝に出場した先に何があるのか。「ロンドン五輪に出場した時と同じで、何も変わらないのでは――」。それが私の答えでした。
東京五輪後、引退するアスリートが大量に出てくると思います。その時、働き口をめぐる競争が激しくなるでしょう。私は4年前にやめて、その間にキャリアを形成できると踏みました。
引退したら、いきなり社会に放り出され、自分で食べていかないといけません。それを知った上で競技を続けるのは“投資”、知らないで続けるのは自分にとって“博打(ばくち)”だと思ったのです。
そして、2017年に現役引退を決断しました。28歳の時でした。
引退後、陸上競技の世界から足を洗おうと思っていたのですが、縁があってコーチの仕事をすることになりました。その仕事が規模縮小をしたのを機に退職し、今年の1月に、所属や性別、年齢を超えて練習ができる陸上競技クラブ「TWO LAPS TC」を設立しました。
“垣根のない”クラブを会社として運営しているのは、国内ではおそらく私たちのところだけではないでしょうか。現在は学生から社会人まで、中距離走をメインとした9人の選手が所属しています。
現役時代は当事者として一馬力で五輪を目指しましたが、今は教える選手の数だけ五輪への可能性が広がっています。選手の成長によろこびを感じるので、私は教えることが好きなのだと思います。
現在、代表兼コーチをしていますが、やっていることは大学時代に陸上競技部のキャプテンをしていた時とさほど変わらないと感じています。
どういうチームにするか、そのためにどういうメッセージと理念をからめて行動し、事業や施策を進めていくか。そこに経営が加わっているイメージです。チームの理念が大切と思うようになったのは、大学時代の陸上競技部での経験にありました。
関東の大学生にとって、毎年5月にある「関東インカレ」(関東学生陸上選手権)は一大イベントです。大学4年間競技をしても、出られるのは全体の2割程度という厳しい大会でした。
手前みそですが、私は中距離走においては実力があり、大学1年から4年まで関東インカレに出場しました。入部して1カ月で出場した関東インカレでトラックに立っていた時、大会に出場できず補助員の仕事していた同級生が私の方を見ていました。
その目には感情がなく、ものすごくつまらない表情をしていたんです……。その顔は、今でも覚えています。入部してすぐの大会で、先輩たちの顔や名前もよくわからないなかで大会の手伝いをさせられる――。つまらないと思うのは当然です。私はその同級生たちを見て、「これは良いチームじゃない」と思いました。
大学3年生で主将になった時、新入部員が早くチームになじんでもらうことを心がけました。そこで、上級生の顔と名前がわかるように部員の顔写真入りのパンフレットを作成したり、ミーティングは学年や種目を混合にしたグループを作ったり、チームワークを高めることに注力しました。
陸上競技は個人プレーですが、チームとして一体感をもつのは大切です。この大学での学びが、今の仕事の基盤になっていると感じています。
今、社会人として意識しているのは、他のアスリートではなく、大学時代の同級生たちです。私はSFC(慶応義塾大学総合政策学部)卒なのですが、仲の良い友人たちは皆優秀で、社会で活躍をしているので刺激を受けます。仕事をするうえでその友人たちが基準になるので、おのずと視座が高くなりますし、利益を出すことを大事にしています。
その一方で、オリンピアンとして、そして国内ではマイナーな800m走の先駆者として、自分にしかできないこともあると思っています。中距離走を盛り上げるためには、自分が理想とする社会を自分の手で作っていくことが必要だと思っています。
その活動がお金を生まなかったとしても、若い世代に伝えるべきことはあると思うため、労力は惜しまないと決めています。稼ぐことと、お金ではない価値を追求すること。そのバランス感覚は大事にしていきたいと思っています。
若手のアスリートに伝えたいことは、東京五輪がゴールではないということ。現役引退後の人生は長いです。一瞬の幸せだけではなく「持続する幸せ」も大切に、競技を超えた「自分像」も考えてみてください。
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