連載
#235 #withyou ~きみとともに~
「人権無視の言葉」が何通も…たった一人の定時報告が生きる支えに
「いじめをしている」「カンニングしている」「友だちの彼氏に色目を使っている」――。高校時代、個人情報とともに、根も葉もない噂をネット空間で広められたのは、現在20代後半になっているKさん(仮名)です。
「相談したかったけど、怖くて相談できなかった」と振り返るKさんが、個人ブログで自分に対する誹謗中傷の書き込みを見つけたのは高校3年生のときのことです。
保健委員だったKさんは、普段から保健室に出入りをしていましたが、ある日保健室の先生から「大丈夫?」と声をかけられました。
なんのことか心当たりがありませんでしたが、先生に言われて初めて、ネット上に自分の名前や出身小中学校、普段使っているバスの路線番号、そして身に覚えのない「カンニングをしている」などの噂が書き込まれていることを知りました。
「学校は携帯電話の持ち込みが禁止だったため、トイレでこっそり確認した」Kさん。書き込みを読み、「頭が真っ白になり、そのときはこの文章が今後自分にどう影響してくるのかまでは考えられませんでした」。
Kさんの悪い噂は瞬く間に学校内に広まりました。後に、書き込んだ本人はブログのURLを多くの人に送っていたことがわかりました。
ブログの内容に反論をすることもできず「周りが敵だらけ」になっていく中、Kさんは学校に行くことができなくなりました。
「相談はしようと思いました。でも私の友達は書き込みをした人と共通の人が多く、怖くて相談できなかったんです」
もともとのクラスの雰囲気は「比較的仲良しで、みんなが誰とでも話をするクラス」でした。人づてに聞いた話では、Kさんが不登校になった後もそのクラスの雰囲気に大きな変化はなかったようで、全員が受験に向かって自分のことに必死になっていたといいます。
しかし、ネット空間では違いました。
不登校になったKさんの元には、毎日知らないメールアドレスから、「逃げた」や「死ね」など、「人権が無視されたようなメール」が何通も送られてきていたのです。
「いなくなりたい」と思うこともあったというKさん。親は「学校に行きたくなかったら行かなくていいよ。辞めたければ学校を辞めてもいい。訴えたかったら訴える」と伝えてくれたといい、Kさんの味方である姿勢を示し続けてくれたといいます。
「『ちょっとご飯に行こう!」と外に連れ出してくれたり、美容室に一緒に行ったりしてくれることもありました。あとから聞いたのですが、『最悪の事態も考えて怖かった』と話していました」
その後しばらくして、校長や教頭、担任の教師、書き込みをした本人と親から、学校の校長室で謝罪を受けました。
Kさんは当時をこう振り返ります。
「教頭が『(Kさんが)傷ついたわけだから、謝りましょう』という内容のことを言って書き込んだ本人に謝罪を促すと、本人は「すみませんでした」って…」
「私は『こんな謝罪ならいらない』と思いました」
そんな日々の中、ブログの内容を信じず、毎日午後9時ごろになると、Kさんにメールを送り続けてくれた同級生がいました。
メールの内容は、今日のテレビで面白かったこと、勉強でつまづいていること――。意識していたのかしていなかったのかはわかりませんが、学校での出来事には全く触れない内容で送られてきたといいます。
そして、メールの最後には毎回、「今日も話を聞いてくれてありがとう」と添えられていたといいます。
「毎日その友だちの話を聞くという役割ができ、それが当時の私の生きる意味にもなっていたと思います」
当時を振り返り、Kさんは「今思っても辛い日々でしたが、たった1人味方がいるだけで、救われました」と話します。
そんなKさん。当時の自分と同じ立ち場にいる人たちにはこんなメッセージを寄せてくれました。
「あなたの居場所はそこだけじゃない。逃げてもいい。必ず必要としてくれる人がいるから、生きていて」
また、いじめの事実を知りながらも、なにもできず悔しい思いをしている人には、こう語り書けます。
「特別なことは何もしなくていいから、そばにいてあげてほしい。物理的に近くにいられなくても、心のそばにいてあげてほしい。そして、『いてくれてありがとう』と伝えてあげてほしいです」
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