連載
#15 マスニッチの時代
築地がパニックに…小さなプレートがロングテールで伝えること
「原爆マグロ」と「処理水」の関心度、それでもゼロではない検索数
会社に行く道すがら目に入る白いフェンスには、人の背を上回る大きさの東京五輪・パラリンピックのイラストが描かれています。
フェンスで囲まれているのは築地市場の跡地です。
地下鉄大江戸線の築地市場駅A1出口のちょっと先に、五輪のイラストに比べるとあまり小さく、見逃してしまうくらいの縦42センチ、横52センチのプレートが設置されています。
3月、このプレートの当事者の一人が亡くなりました。
「第五福竜丸」の元乗組員、大石又七さん(享年87歳)は、1954年にアメリカが太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験で被曝(ひばく)しました。
大石さんが乗っていた「第五福竜丸」のマグロなどの一部が築地市場に届くと、検査で放射能が検出され大騒ぎになりました。
「原爆マグロ」と言われたマグロの値段は半分から3分の1にまでなり、ほかの魚の価格も影響を受け、廃棄したマグロは3千本に。当時の様子は「パニックだった」と伝えられています。
築地市場跡地にあるプレートは、「原爆マグロ」の歴史を伝えるため、正門の脇に取り付けられたものでした。
大石さんが亡くなった直後の4月、大きなニュースが全国を駆け巡りました。
政府が、東京電力・福島第一原発から生まれた汚染水を処理した水を海洋放出すると決めたのです。
漁業関係者や地元からは反対の声が噴出しました。
事故の経緯や東電のこれまでの対応を踏まえると、処理水放出を不安になる気持ちは誰もが理解できることでしょう。
しかし、ネットの世界に目を移すと、人々の関心の早さに戸惑います。
どの単語がどれだけ検索されたかの回数がわかる「Googleトレンド」によると、「処理水」の検索数は、処理水放出のニュースが表面化すると一気に高まりましたが、すぐに検索数は減少。今では表面化前のレベルと同程度になっています(2021年5月1日現在)。
ニュースの関心サイクルが早くなる中、忘れられていくニュースは少なくありません。
さらにやっかいなのは、その時点では誤っていたり、偏った解釈で伝えられたりする情報が、更新されないまま人々の記憶に残ってしまうことです。
言うまでもなく「原爆マグロ」は、正確には「水爆」です。そんな情報すら整理されないまま、一度ついたイメージはついてまわってしまいます。
一方で、ネットには「ロングテール」という言葉もあります。
主にネット通販の世界で使われる言葉ですが、売れた順に商品を並べると、多くの商品が恐竜のしっぽのように低い状態で長期間にわたって売れ続ける現象を指します。
ネットニュースのランキングのように、一部の出来事に人気が集中してしまうのがネットの特性です。同時に、たとえ人気がなくても「ロングテール」として残っていくことは、ネットの大切な多様性を象徴しているとも言えます。
どんなにニッチな情報でも、伝えていくことで気づく人がいるかもしれない。そう考えると、通勤途中に目に入る、見逃してしまうような小さなプレートは、「ロングテール」の大切さを訴えているかのように見えてきます。
この小さなプレート、そもそも、築地市場内に石碑として残すことが考えられていました。しかし、設置場所などを巡ってまとまらず、現在、石碑は「第五福竜丸」を保存する東京都江東区の夢の島にある「都立第五福竜丸展示館」の広場にあります。
「Googleトレンド」で「第五福竜丸」を検索している人を調べてみました。やはり、「ゼロ」という測定できない数字が目立ちます。
でも全部、「ゼロ」ではありません。
グーグルをはじめとしたプラットフォームと呼ばれるサービスは、クリック数のような偏った指標に基づくネット空間を加速させてしまっている側面はあります。一方で、すべてをデータ化してくれるおかげで、静かに記憶を引き継ごうとしている人の存在を可視化させてくれてもいます。
ゼロではない折れ線グラフ。これを、白いフェンスに掲げられた小さなプレートと同じように、忘れっぽい私たちへの警鐘と受け止め、流されがちで大事な出来事を「ロングテール」で伝えていきたいと思っています。
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