連載
東京タワー、おみやげたうんの今 父が願った存続「今回もきっと…」
バブル~平成初期に、全国の観光地で売られていた懐かしい「ファンシー絵みやげ」を集める「平成文化研究家」山下メロさん。東京の観光地として一時代を築いた東京タワーは、特別な場所です。その土産物街が新型コロナウイルスの影響もあって、厳しい経営を迫られています。そのなかでも、営業を続ける老舗の思いを山下さんが聞きました。
コロナ禍の現在、東京の感染者数の推移を伝えるTVニュースを見ると、数値やグラフの背景に都心の高層ビル群が使われていることがあります。その中心には東京タワー。電波を送信する役割がスカイツリーに移ってもなお、象徴的に扱われています。
高層ビルに囲まれている立地もさることながら、ビル群の無機質な色に対して映える赤いカラーリングによって、他の都市ではなく、そこが東京であることが伝わるのです。
そんな東京タワーは、都心の観光地として確固たる地位を築いてきましたが、このたび新型コロナウイルス流行による外国人観光客の渡航制限や修学旅行の自粛などのあおりを受けています。その一つが「お土産」です。
2021年の初め。東京タワーフットタウン2階で、1958年の創業当時から軒を連ねる土産店街が大きな転換点を迎えました。「東京おみやげたうん」の大幅なリニューアルです。
60年をこえる長い歴史の土産物街は、最盛期には100店超がひしめき合っていました。月日とともに、その数を減らしていき、今回のリニューアルを機にいくつもの店舗が一斉に廃業することとなりました。
改装前、廃業を決めた店舗にとっては最後の営業となる1月24日には、閉店を惜しんで多数の人が来塔しましたが、緊急事態宣言下ということもあり、大きく告知をすることがかないませんでした。
3月1日に営業を再開した「東京おみやげたうん」には、既存の店舗から3店が営業を続けています。そこにはどんな思いがあったのか、リニューアル後も営業を続けている土産店「ふじ」の店長・菊地ひろみさん(52)に話を聞きました。
もともと、目黒の雅叙園で土産店を経営されていた初代のオーナーが「ふじ」を始めたのは、東京タワーが開業して間もないころ。当時はタワー1階で営業していました。雅叙園の土産店で働いていたひろみさんのお父様は新店舗の「ふじ」を任され、その後お店を引き継がれたそうです。
90年代後半からひろみさんが店を手伝うようになり、今では店長として店を切り盛りしています。店を構えて半世紀以上、何度も浮き沈みはありました。
「昭和50年代や平成初期にも売り上げが落ち込む時期がありました。2007年ごろから海外からのお客様が増えて順調でしたが、東日本大震災でまた客足が遠のきました」
高度成長期から、数々の土産店がひしめき合っていたものの、需要の変化に応じて店を閉じたり、運営を変えたり。そんな環境でも、「ふじ」はずっと存続してきました。しかし昨年から感染拡大が始まった新型コロナは、いまだ収束の兆しが見えません。
「売り上げが下がっても、耐えていけばまたお客様は戻ってきます。それを知っているからこれまでは耐えることができました。でも今回のコロナ禍は、これまで以上に売り上げが落ち込んでいる上に、まったく先が見えません」
リニューアルを機に廃業を決断した店は、まさにコロナ禍の先行きの不透明さへの不安がありました。一方、「ふじ」は存続するだけでなく、廃業した店の敷地も取り込んでリニューアルしました。店舗面積が広がれば、賃料も上がります。なぜ「ふじ」は、この状況下で存続・拡大の道を選んだのでしょうか。
「売り上げが落ちている中で、面積が増えるとはいえ賃料の値上がりは厳しいです。面積が増えれば商品や什器などの備品も増やさなくてはなりません。そもそも、私も店を続けるかどうか悩みました。年齢を考えて転職するなら今しかないとも思いました。しかし、もともとお店を手がけていた父が、存続したいと希望したのです。何かあれば出資するとも」
お父様にとって、自分が手がけてきたお店をなくすのは寂しかったのでしょう。そして、ひろみさんにも強い思い入れがありました。
ひろみさんが物心ついたときから、ご両親は「ふじ」を経営しており、土産店は家業ですから繁忙期にはお手伝いもしていました。小学生の夏休みには、店の中で商品を包装するお手伝い。そして小学6年生のお正月に初めて接客を経験します。なんと、手間賃としてもらった時給が330円だったことを今でもおぼえているそうです。
それだけではありません。ひろみさんが生まれたころ、忙しいときはご両親がともに店に立っており、0歳にして店の奥のゆりかごに入れられていたそうです。ひろみさんにとって「ふじ」は、物心つく前から過ごしていた場所なのです。
今後の展望について、ひろみさんはこうも言っていました。
「人類は強いじゃないですか。これまで数々の苦境を乗り越えてきています。弱気な発言もしましたが、今回もきっと、大丈夫だと思っています」
急にスケールの大きな話のように感じるかもしれませんが、敗戦後の日本を勇気づけてきた復興の象徴・東京タワーとともに育っているひろみさんが言うと、説得力があります。
「東京おみやげたうん」のリニューアルにより、懐かしい土産店街の雰囲気は失われてしまいましたが、 「ふじ」には今も懐かしい空気感があります。それは、開業当初から受け継がれている精神を、ひろみさんがちゃんと引き継いでいるからなのかもしれません。
最後に、店舗面積が増えることで新たに必要となった商品や什器について聞いてみました。
「新たに必要になって揃えた商品や什器は、閉店したお店から譲り受けたものがほとんどです。そのおかげで経費を抑えることができました」
「ふじ」には、ずっと一緒に戦ってきた他の店舗の魂が今も残っています。そして、引き継いだのは商品や什器などの備品だけではありません。
「閉店した店で働いていた人が、リニューアル後うちの店で働いてくれています」
なんと、人材までもが閉店したお店から引き継がれているのです。
古き良き土産店街の雰囲気があった「東京おみやげたうん」も、リニューアルして現代風に変貌しました。しかし、「ふじ」ではガラスケースでの商品陳列など昔ながらのスタイルも一部残しており、懐かしい気持ちになることができます。
変わりゆく時代の中で、残すべきもの。そこには、閉店してしまったお店の魂が息づいています。
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