お金と仕事
「野球をなめるな」山本功児の息子が〝戦力外後〟に選んだクリケット
「選手である以上、注目されたい」

全世界の競技人口はサッカーに次いで世界で2番目に多いのが英国発のスポーツ「クリケット」です。元横浜DeNAベイスターズ選手の山本武白志さん(23)は20歳で戦力外通告を受けた後、クリケット選手に転身しました。新しい環境で活躍を続ける背景には、3年前に亡くなった父親の元ロッテ監督・山本功児さんの「野球をなめるな」という言葉がありました。20歳で野球からクリケットへ切り替えた山本さんのセカンドキャリアについて聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
山本武白志(やまもと・むさし)
1998年、横浜市出身。九州国際大学附属高校時代、2年と3年次に甲子園に出場した。2015年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズに指名され、育成選手として入団。2018年に戦力外通告を受ける。翌年、クリケット選手に転身。佐野クリケットクラブに所属。昨年に引き続き、今年度も男子日本代表強化選手団に選ばれた。

父から言われた「野球をなめるな」
父、山本功児がプロ野球選手だったので、野球を始めたのは自然な流れでした。小学生時代、父と一緒に野球をしたのは誇りでしたね。元々注目されるのが好きな性格で「山本功児の息子」と言われるのがうれしく、父の存在をプレッシャーに感じることはありませんでした。何より父が誇りでした。
子ども時代から、父に口酸っぱく言われた言葉が二つあります。一つは、「技術より、勝負事に対する気持ちの持ちようが大事」。例えば、デッドボール時は“痛がらない”こと。痛がっているところを見せると、相手になめられる可能性がある。相手に隙を見せない。
もう一つは、「野球をなめるな」。野球をちゃらんぽらんにやるなという意味です。取り組んでいる競技に真剣に向き合う大切さを教わりました。どのスポーツも「なめたら終わり」と思っています。その本質は、野球でもクリケットでも同じだと考えています。
私は高校卒業後、2015年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから指名をもらい、育成選手として入団しました。「3年間で結果を出せなかったらクビ」とあらかじめ約束されていて、その期間に結果を出すことができませんでした。
20歳の時、戦力外通告を受けた時「終わったな」と思いました。もう一度プロ野球選手に返り咲きたいとは思いませんでした。自分の実力を思い知ったからです。20歳だったこともあり、周りからは「もったいない」と言われました。
父は、私がプロ1年目の時に肝臓がんで亡くなっていました。ひとりっ子だった私は、プロとして活躍できず、親に対して悪かったなという気持ちは残りました。

「選手である以上、注目されたい」
プロでは結果を出せなかったのですが、甲子園に出場した高校3年の時、両親が来てくれた球場でホームランを打てたことは一生の宝物になっています。ホームランを打った時、観客からの歓声がシャワーのように降り注ぎ、その歓声に包み込まれている感覚は、今でも覚えています。
私は選手である以上、注目されたいと思っています。セカンドキャリアにクリケットを選んだ理由の一つは、世界ではメジャーなスポーツで、日本でも発展途上のスポーツであるため活躍できる可能性があるとにらんだからです。
きっかけは、クリケットの動画をたまたま目にしたことでした。純粋に「面白そう」と思い、調べたところ、日本クリケット協会のウェブサイトにたどりつきました。興味がある旨をメッセージで送ったところ、すぐに返事が来て「一度、佐野まで来ませんか?」と言われました。
佐野とは、栃木県佐野市のことで、住んでいた神奈川県川崎市から電車で片道2時間以上かかる距離でしたが、二つ返事で了承し、行ってみることにしました。
対応してくれたのは日本クリケット協会の宮地直樹さん。クリケットの魅力を知り、思う存分できる環境でプレーしたいと考え、佐野市に移住をすることに決めました。
移住に抵抗はありませんでしたね。たまたまクリケットができる環境が佐野市だっただけで、それが東北や九州だったとしても、迷わずに行っていました。
高校から親元を離れて暮らしているので、一人暮らしは抵抗がありませんでした。

緊張感はあるがプレッシャーはない
同じ球技でも、クリケットと野球は相違点があります。バッティング一つをとっても、クリケットは振り方が全く違うため、最初はボールを打つこともままならなかったです。
ポジションは、野球で言うセンター、ショートです。1番多く球が飛んできますが、ボールを追ってきた数は他の人に比べて段違いに多いので、その経験は生きていますね。
4月にリーグが始まりましたが、今年で3年目となりました。この2年間で、守備に関しては、ある程度のレベルまで持っていけたと自負しています。
実は、母をはじめ、友人を一度もクリケットの試合に招待したことがありません。クリケットの試合は、炎天下の屋外で3時間以上にわたることもあり、観客にとって厳しい環境です。10月に日本で国際大会があるため、まずは日本代表選手チームに入り、そして日本代表選手として試合に出場した時に、見に来てもらえたらいいなと思っています。
改めて振り返ってみて、父という身近な人が亡くなったことで「人生を大事に生きよう」と思えるようになりました。今は、クリケットに集中し、結果を出すだけ。緊張感はあるけど、「もし成功しなかったら……」などのプレッシャーはありません。
今はクリケットでは食べていけないため、午前中はアルバイトをして生計を立てています。まずは、日本代表選手に選ばれ続け、国際大会で実績を残すこと。その結果、将来、海外のプロリーグでプレーしたいと思っています。

■日本クリケット協会事務局長の宮地直樹さんにクリケットについて聞いてみた

イギリス発祥と言われている球技で、100カ国以上でプレーされており、特にイギリス、インド、オーストラリアで人気があります。
正式な試合は、芝生の、サッカーコートの国際規格より大きいグラウンドでします。
1チーム11人の2チームで、1回ずつ攻守に分かれて得点を競い合います。国際試合の形式は数種類あり、守備側が規定投球数(120球、300球、もしくは無制限)を投げるか、攻撃側から10アウトをとると攻守交代になります。
試合時間は形式によって異なりますが、規定投球数が120球の形式が主流で、約3時間です。規定投球数が300球の形式の場合は約7時間です。テストマッチと呼ばれる国際試合の形式は、規定投球数が無制限で5日にわたって両チームが2回ずつ攻撃をします。
――日本でのクリケットの競技人口はどれくらいですか
現在は約4000人です。日本での普及活動は2008年からはじまり、ここ10年で競技人口が増えています。

気軽にできるスポーツである一方、国際基準の競技場はサッカーコートより大きくなります。まずはグラウンドが確保できる場所が必要なので、都市部からそこまで離れていない場所に競技場を持ちたいと思ったところ、候補にあがったのが北関東の佐野市でした。
佐野市は「クリケットのまち」として、市内の学校でクリケットが体育や部活動に導入されていて、若い世代の認知が高まっていて、ファンも増えています。
――今後の国内におけるクリケットの展望を教えてください
佐野市を中心に、小学生からクリケットを始めた選手たちが現在20歳前後になりました。若い世代が伸びてきていて、2020年にはU19日本代表チームがワールドカップ予選大会を突破し、国内全代表チーム初の本戦に出場しました。
将来、日本にもプロチームを作りたいと考えています。まずは、武白志くんにはプロ選手になってもらいたいですね。海外リーグで活躍してもらい、日本のクリケット界を引っ張っていってほしい。
私自身、子どもたちが生涯を通じてクリケットができる環境を作っていきたいと思っています。その結果、子どもたち、そしてクリケットが盛んな地域において、世界とつながっていくきっかけを提供していきたいです。