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野田クリスタルの日記が書籍化、でも「買わないし人にもすすめない」

「俺が『恥ずかしい』と思えなきゃ、『野田の日記』と言えないんじゃないか」

「マヂカルラブリー」の野田クリスタルさん=丹治翔撮影
「マヂカルラブリー」の野田クリスタルさん=丹治翔撮影

目次

2020年にR-1グランプリ、M-1グランプリと主要なタイトルを次々と獲得した、マヂカルラブリーの野田クリスタルさん。今やテレビで見ない日はないほどの活躍ぶりですが、「5年くらい仕事が1本もなかった」という時期もありました。そんな中でも続けてきたというのが「日記」です。ホームページサービス「魔法のiらんど」で15年前から綴られてきた日記に、新たな書き下ろしを加えた書籍『野田の日記 それでも僕が書き続ける理由』(全2巻)が発売されたのを機に、野田さんにインタビューを行いました。しかし、野田さんは「僕はもうあの日記を二度と読むことはない」と断言し……。
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5年「仕事なし」…少ない素材で広げた日記

『野田の日記 それでも僕が書き続ける理由』
「魔法のiらんど」で運営されていたマヂカルラブリーのホームページ(現在は閉鎖)で、2006年から掲載されていた野田さんの「日記」を集録。日常で起こった理不尽な出来事や肩を落とすエピソードに、淡々とそして狂気さをはらみながらコミカルに綴られている。2015年に「グッズ」として限定販売されたが、本書では新たにR-1やM-1での予選や控室での様子などを書き下ろした内容も加えられている。『2006-2011(はじめのほう)』『2012-2020(あとのほう)』の全2巻。ヨシモトブックス発行、ワニブックス発売。

――15年前から続けている日記が書籍化されるということで、当時の野田さんについて教えてください。

当時はインディーズで活動していたんですが、厳密に言うと仕事がないんですよね。「仕事」って「人から頼まれたことをやること」なんじゃないかなって思うんですよ。僕が(芸風やネタにつながるような)ゲームとか筋トレをしていても、それは仕事だと思ってないですし、「人から必要だとされてやること」が仕事だとしたら、5年くらいは1本も仕事がなかった時期でしたね
――舞台に立つとしても自分たちでチケットを売って自主的に行う、という形だったんですね。その仕事がない時期で、野田さんはどのようにとらえ、考えていたのでしょうか。

なんでしょうね……模索をしつつも、楽しんでいたと思いますね。まだ焦らなくてもいい時期だと思っていたので、「こんなことしたら売れるかも」とか「これって売れなくても面白いよな」っていう、発想が自由だったと思います。

日記もその模索のひとつで、要は「面白そう」と思ったことに何でも手をつけられる時期ではあったと思うんですよ。
――2006年から10年以上日記を続けられていましたが、これだけ長い間続けられたのはどうしてだと思いますか。

リアルな一番の理由は「暇だったから」でしょうね。社会人の方々と違って、芸人ってそもそもスケジュールが埋まらないんですよ。その中でじゃあスケジュールを埋めようとしたら、自分で仕事を作らなきゃいけない。その時に「自分は日記をやってるんだ」と思っていたんです。芸人はアウトプットする場がなかなかないですからね。
当時、日記を公開していた「マヂカルラブリー」のHP
当時、日記を公開していた「マヂカルラブリー」のHP
――当時はどんなことを考え、日記を書かれていたのでしょうか。

書くことないのに、どうやって書きゃいいんだろうっていうのはありましたね。内容が決まっていれば1時間くらいで書けましたが、何もない1週間とかもあるわけで。そういう時は3日くらいかけて書いていました。

本当に「道歩いてました」っていうだけの1週間もあって、もう「道歩いてました」を面白く書くしかない。

そうなると、文章の書き方とかじゃなくて、「道歩いてました」をどれだけ俯瞰的に見られるかなんですよね。少ない素材でいかに日記にするか。「こんな道の歩き方は嫌だ」とか、「俺が1週間、道を歩くしかない理由は何なのか」とか、いろんな切り口で考えないと、人に見せられるものにはならなかった。
――こうした日記がネタ作りにつながることもあるのでしょうか。

自分の失敗も、俯瞰的に見てみるっていうことですよね。コントの原作になっている話もありますね。

例えば、2018年のキングオブコントでやったネタは、日記に書いた出来事がもとになっています。傘立てに立てた自分の傘がわからなくなって探していたら、おじいちゃんに「いま傘をパクろうとしただろ」って声をかけられたっていう日記。実際のネタではその場面をずっとタイムリープしているという形にしていますが。こうやって日記の中には、たまに原作になっているものもあります。
――日常の理不尽なことや「なんだかなあ」と思う出来事も、野田さんの文体でクスリと笑える読後感になっています。こうしたバランス感覚はどのように培われたと思いますか。

やはり「人が読むものだ」と思って書いているところですかね。夜中のTwitterって、みんな結構重いことを書いたりするじゃないですか。でも、昼のTwitterはいいねをもらいたい、人に見せるものっていう雰囲気がある。僕の日記は昼のTwitterに近いところがありますね。

日記に書いた出来事も、実際に起きている時はつらいですよ。夜中のTwitterだったら「なんであんな目に遭わなきゃいけないんだ」って書くと思うんですけど、僕はやっぱりあくまでお笑い芸人だから、もうちょっと俯瞰的に見ようと。「そういう出来事も面白いよね」という風にできたと思います。
――先日のインタビューで、日記を始めるきっかけとして、ピースの又吉直樹さんが公開していた日記にあこがれを抱いていたというお話を伺いました。

基本的に当時のエピソードトークや芸人の面白さって、派手で、声が大きくて、アクションが大きい、としているものが多かったんです。僕は今もそれは面白いと思ってるんですけど、又吉さんの日記は静かな感じで哀愁に近いというか、「もうええわ」で終わらない感じ。冬の空に舞う白い息のような余韻があって、その「静かな面白さ」がかっこいいと思いましたね。

それが当時目新しかったかどうかはわからないんですが、僕にとって又吉さんの影響がすごく大きくて、僕の日記もやっぱり強烈な一言で終わる、とかはないですね。
――ちなみに、「はじめのほう」(上巻)の書籍の帯は、2015年にグッズとして限定販売された時に引き続き、又吉さんが担当されています。

誰にお願いするかは僕はタッチしていなくて。ただ、また又吉さんに帯をお願いするっていう時に、又吉さんに会ったんです。又吉さんに「どんなんがええ?」って相談されたんですが、「ま、一緒でいいですよ」って言いました。だって当時のグッズはみんな知らんし、別にそこは変える必要はあるのかっていう。
書籍の帯は「2006-2011(はじめのほう)」はピースの又吉直樹さん、「2012-2020(あとのほう)」は東野幸治さんが担当している
書籍の帯は「2006-2011(はじめのほう)」はピースの又吉直樹さん、「2012-2020(あとのほう)」は東野幸治さんが担当している

日記の書籍化に「こんなどうしようもない状況ないですよ」

――今回の日記の書籍化については、いかがでしょうか。

M-1で優勝した後にはなんとなく出版という話もあるのかなと思っていましたが、これまでグッズだから許されていた部分が大きいので、「出版か~」と思いましたね。今思えば人に見せられるものではない日記も多いので、僕自身そんなに乗り気じゃなかった。聞いた時は、ちょっとだけ嫌だったかもしれないですね。
――嫌だったんですか。

15年前の自分の日記、みんな全国に出せますかっていう話じゃないですか。もう15年も前なので、考え方も変わってきていますし、面白い・面白くないというよりかは「イタいな」っていう……。
――確かに先日のインタビューでも、「日記で大喜利をやっていたり、『お笑い好きだな~』っていう感じが痛い」とおっしゃっていましたね。今回、過去の日記を改めて読んでみていかがでしたか。

いや、僕はもうあの日記を読まないようにしようと……。
――えっ。

出版されても読まないです。二度と読むことはない。買わないし、人にもすすめないです。
――やはり黒歴史という感じなんですか……。

そうですよ、だってみんなは日記があっても消せるんだから。こんなどうしようもない状況はないですよ。
――なるほど……。今回、書籍には書き下ろしが加えられていますが、今後「野田の日記」を続けていく予定はありますか。

「魔法のiらんど」の機能が終わっちゃったんでね。ある種、Twitterも日記っちゃ日記だし、日々いろんなことも起きているので、書けることは多いんですけど。

なんだろうな……当時も人に見せるつもりで日記を書いてたんですけど、出版されることになるとは思っていなかったわけじゃないですか。その時の日記の方が、「本当」だったんじゃないかって思いますね。

俺が「恥ずかしい」と思えなきゃ、「野田の日記」と言えないんじゃないかって思います。「出版」を意識している中で、今書いても噓だなって思っちゃうところはありますね。

<野田クリスタル>
1986年生まれ、神奈川県横浜市出身。本名は野田光。相方の村上さんとともに、2007年にお笑いコンビ「マヂカルラブリー」を結成。2020年にR-1グランプリ、M-1グランプリ優勝。10代の頃からパソコンに慣れ親しみ、「魔法のiらんど」でHPを運営していた当時「サイトが軽すぎる」と話題になり、アクセスが集中したことも。独学でプログラミングを学び、「野田ゲー」と呼ばれるオリジナルゲームも開発。クラウドファンディングで資金を調達し、Nintendo Switch向けゲーム「スーパー野田ゲーPARTY」を4月29日に発売予定。

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