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連載

#18 平成B面史

「魔法のiらんど」ヘビーユーザーだったマヂラブ野田さんの思い

「炎上しない、小さな村って感じ」

自身のホームページを見せる「マヂカルラブリー」の野田クリスタルさん=丹治翔撮影
自身のホームページを見せる「マヂカルラブリー」の野田クリスタルさん=丹治翔撮影

目次

iモードがサービス開始された1999年、無料ホームページ作成サイト「魔法のiらんど」が生まれました。手軽に作れるホームページやブログによって個人の発信を支えてきましたが、この春、小説投稿に特化したサイトにリニューアルすることが発表されました。これに伴い、3月末でホームページや掲示版などの一部機能が終了します。15年以上前から「魔法のiらんど」のホームページを愛用し、事務所に「やめて」と言われても日記を続けたというお笑い芸人「マヂカルラブリー」の野田クリスタルさんに思いを聞きました。
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◆魔法のiらんど
1999年に無料ホームページ作成サイトとしてサービスを開始し、昨年12月に20周年を迎えた。小説投稿サービスなどが人気で、これまで投稿された作品数は累計で300万作品を超えるという。サービス全体の月間ユーザーは約250万人。今春、小説投稿サービスに特化したサイトにリニューアルするのに伴い、ホームページ機能などが終了。これまでのブログは2020年3月31日に終了し、リニューアル後の新しいブログに引っ越すこともできる。

文字が点滅、流れる…「魔法のiらんど」

――野田さんは、2006年から魔法のiらんどでマヂカルラブリーのホームページを運営しています。

以前組んでいたコンビのホームページも魔法のiらんどだったんで、もっと前から使っていますね。僕がお笑いを始めたのが2002年で、その翌年には作っていたので16年くらいはやってます。なぜだか当時は、芸人みんなが魔法のiらんどを使っていましたね。

僕は昔からパソコンを使っていて、ホームページ作りの知識はありました。でも周りの芸人はそういうのが苦手な人ばかりで、先輩に頼まれてホームページを魔法のiらんどで作ったこともありました。

魔法のiらんどって「独自タグ」っていうのがあって、文字が点滅したりとか、文字が横から流れてきたりみたいな効果が使えるんですよ。これが使えると「このホームページ作ったヤツ、只者じゃないな」って感じになるんです。業者が作ったみたいな。
「魔法のiらんど」で作られたマヂカルラブリーのホームページ。ページ内写真の左が野田さん、右が相方の村上さん
「魔法のiらんど」で作られたマヂカルラブリーのホームページ。ページ内写真の左が野田さん、右が相方の村上さん 出典:マヂカルラブリーHPより
――ブログを書き始めたきっかけは何だったんでしょう。

今は「ブログ」ですけど、昔は「日記」っていう機能でしたよね。※サービス名称は「私の日記機能」

もともと、ピースの又吉(直樹)さんが日記を書いていて、それがめちゃくちゃ面白かったんです。僕、本とか全然読んだことがなかったのに、又吉さんの日記は面白すぎてずっと読めちゃうんですよね。それに影響されて、真似しちゃいましたね。

10年くらい前の自分の日記を読み返すと、やっぱり痛いんですよ。僕も20歳とかでしたからね。日記で大喜利とかしていて、「お笑い好きだな~」っていう感じがマジでハズいです。

当時はびっくりするくらいライブもなくって。月3本とかで暇だったんです。表現の場もなかったんで、そういう場所を求めてはいましたよね。
10年以上前の自身の日記に「イタいっすよね」と笑う=丹治翔撮影
10年以上前の自身の日記に「イタいっすよね」と笑う=丹治翔撮影
――2015年には日記が書籍化されました。(「野田の日記 2006-2010」「野田の日記 2011-2015」の2冊が吉本興業のオフィシャルグッズショップで限定販売された)

帯を又吉さんと麒麟の田村(裕)さんに書いてもらったんですよ。どちらもベストセラーを出している方で、しかも又吉さんに憧れて書き始めた日記ですから。そこで終わっておけば気持ちよかったんですけど、じわじわ続いちゃったもんで。

チケットを1枚売るために…「魔法のiらんど」のありがたさ

――魔法のiらんどを使っている長さが、芸歴とほとんど同じです。日記でも「魔法のiらんど無くして僕の芸人人生は語れない」と記していました。

芸人を始めた頃は、ライブを告知できるのがホームページだけでした。僕らの活動内容がそこにしか出せなかったので、なくてはならなかったですね。

大きかったのは、お客さんとのチケットのやりとりです。当時はキャパが20人くらいの場所でライブをやっていたんですけど、1人1枚チケットを売らなきゃいけないっていう状況でした。

チケットを路上で手売りする人もいるんですけど、僕なんて当時実家暮らしで、横浜といえど田舎に住んでいたんです。そこでチケットをさばけって言われても無理だったんで。

でもホームページがあると、そこ経由でお客さんからのチケットの取り置きを受けられるんです。チラシにホームページを載せておくだけで、お客さんにとってもわかりやすいし。チケットのやりとりができるから、僕にとっては魔法のiらんどが「手動チケットぴあ」みたいな状態でしたね。
野田さんの「野田の日記」は背景がビビッドな黄色
野田さんの「野田の日記」は背景がビビッドな黄色 出典:マヂカルラブリーHPより
――さまざまなブログサービスが生まれる中で、魔法のiらんどを続けてきたのはどうしてなのでしょうか。

mixiもやってましたし、今はTwitterもやってるんですけど、魔法のiらんどって気軽さがあるんですよね。Twitterって1個つぶやくにも怖いんですよ。炎上もあるだろうし、変な広まり方をするかもしれない。文章も1回下書きを書いて、悩んでから投稿することもあるくらい気をつけています。

でも魔法iらんどは炎上のしようがないというか拡散の機能がなかったので、炎上したとしてもBBSがちょっと荒れるくらいですよ。……BBSって懐かしいですね(笑) なんというか「小さな村」って感じなんです。

あと、一度だけHTMLを使って1からホームページを作ったこともあるんですよ、写真とかもちゃんと載せたりして。でも、次の日自分が作ったものを見て、恥ずかしくなっちゃって。

魔法のiらんどって、きれいすぎないところが居心地がよくて。魔法のiらんどだからこそ続けられたと思いますね。アメブロだったら辞めていたかもしれないです。最近はほとんど日記を更新できていないですけど、ちゃんとコメントは見ていますよ。
プロフィールページには当時の2人の写真も
プロフィールページには当時の2人の写真も 出典:マヂカルラブリーHPより

事務所非公認、唯一の「闇」

――2017年のM-1で上沼恵美子さんとのやりとりで注目された時に、「いま魔法のiらんどでブログを書いている」ということでも話題になりました。

魔法のiらんどだから助かっていると思います。他のきらびやかなホームページだったらイライラすると思うんですよ。「M-1ではあんなにクソすべってたけど、魔法のiらんどなら許す」「調子乗っていないな」って思ってもらえたら良かったなと思います。小ぢんまりした家に住んでいるなら「良かった良かった」で終わるというか。

以前2ちゃんねる、今の5ちゃんねるの人たちが僕のページ見つけて、「ホームページが軽すぎる」っていうので話題になった時は集中攻撃受けましたよ。アクセス数が1日に10万とかいって、いじめられましたね。
丹治翔撮影
丹治翔撮影
――ちなみによしもとの公式サイトのマヂカルラブリーのプロフィールには、このホームぺージへのリンクがないのですが……。

よしもとに言ってないですからね。昔一度、よしもとから「魔法のiらんどをやめて、指定のブログを使ってくれ」って言われた時があるんですよ。

その時は「変えました」みたいなことを言いましたけど、意地でも変えてやるかと思っていて。何の収入のないものをなんでやめなきゃいけないんだよって。裏でずっと魔法のiらんどでやっていたんで、非公認ですよ。唯一の「闇」です(笑)

サービス終了「寂しい」

――「魔法のiらんど」リニューアルでホームページ機能などがサービス終了することについてはどう感じていますか?

悲しいですね。いつかは終わると思っていましたけど、「早っ!」って思いましたね。「終わります」ってアナウンスされてから、もうちょい時間あるだろって思っていたら、3ヶ月くらいで終わっちゃうんで。

日記は何らかの形で残すつもりですけど、みんなが書いたBBSも完全に消える訳ですから寂しいですね。

昔のホームページとか残ってるのかなあ、結構みんなやってたんですよ。ゴー☆ジャスさんとかもやっていたし、いろんな芸人が魔法のiらんどをやっていたから。寂しいなあ。

魔法のiらんどの小説に載せるっていうのもアリですよね。意地でも魔法のiらんどにくらいついていくっていう(笑) 小説書くって、結局「あめぞう」にこもっていた頃に行き着いてますね……。
丹治翔撮影
丹治翔撮影
――最後に日記を読んでいる読者にメッセージいただけますか。

何かしらまた別の形で日記書いていくと思うんですけど、それは魔法のiらんどの小説になるかもわからないんで、引き続き、私と「魔法のiらんど」ともども応援の方よろしくお願い致します。

<野田クリスタル>
1986年生まれ、神奈川県横浜市出身。本名は野田光。プログラミングが得意で、オリジナルゲームも開発。相方の村上さんとともに、2007年にお笑いコンビ「マヂカルラブリー」を結成。2017年のM-1グランプリの決勝では、審査員の上沼恵美子さんに酷評されたことが話題に。しかし2019年のM-1敗者復活戦出場時に、一連の出来事を上沼さんが忘れていることが発覚。このことについては、「だから大物なんだろうな、小物は一個一個のことを忘れないですからね」と話す。

 

withnewsでは、平成を象徴しているのに普段は忘れられがちなアイテムや出来事を「平成B面史」と名付け、取材してきました。みなさんの中で「そういえば……」とひらめいたものをハッシュタグ「#平成B面」をつけてツイートしてくれませんか? 編集部が保存に向けた取材にかかります。

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