連載
#19 金曜日の永田町
菅さん支える自民議員も声援 党派超え続く異彩の勉強会、国会で10年
「声をあげた人を決して一人にはしないこと。連帯こそ、社会を変える原動力」
菅義偉首相の長男が勤める放送関連会社「東北新社」やNTTによる総務省幹部への接待問題をめぐる問題で、新年度予算案を審議している国会は与野党の対決色が強まっています。そうしたなか、次世代の可能性を摘まないようにするための、与野党を超えた連携プレーも――。朝日新聞政治部(前・新聞労連委員長)の南彰記者が金曜日の国会周辺で感じたことをつづります。
3月8日は国際女性デー。1904年、ニューヨークで婦人参政権を求めたデモが起源となり、国連によって1975年に制定された記念日です。今年のテーマは「リーダーシップを発揮する女性たち:コロナ禍の世界で平等な未来を実現する」。新型コロナ禍で、ニュージーランドなどの女性リーダーが評価される一方、家庭内暴力の増加や失業、貧困に苦しむ女性が増加している実態を念頭においたものでした。
ジェンダーギャップ指数で153カ国中121位に低迷する大きな要因となっている日本の国会でも、森喜朗元首相の女性差別発言も後押しとなって、今年は男女格差に向き合う論戦が活発です。
菅さんも出席した3月8日の参院予算委員会では、「イコール・ペイ・デー(同じ賃金を手にする日)」が取り上げられました。男性が「12月31日」までの1年間で得る賃金を、女性が翌年まで働いてようやく同額となる日のことで、男女の賃金格差を可視化する取り組みです。
この30年間で徐々に差が縮まっているとはいえ、いまなお、1年間の3分の1にあたる日数を男性より多く働かなければ同じ賃金に追いつかないという格差があります。菅さんは昨年9月の自民党総裁選では「約400万人の(雇用を)増やすことができ、そのうち330万人の方が女性だ」と安倍政権時代の成果を誇っていましたが、その内実は非正規が多く、コロナの影響が直撃しました。菅さんも最近は「特に女性の自殺者が増えていることに大変心を痛めており、対策が急務」と語るようになり、就業支援の対象として「女性の非正規」に言及しています。
ジェンダーギャップは、女性の人権を脅かしています。全国の女性の新聞記者が緩やかに連帯し、国際女性デーの企画を展開しましたが、「徳島新聞」では、2011年の東日本大震災の発生直後に「東日本大震災女性支援ネットワーク」を全国の仲間と立ち上げた「ウィメンズネットこうべ」代表の正井禮子さんのインタビューが載っていました(3月7日付朝刊)。
その内容は、男性中心でつくられた社会のなかで、多くの女性が被害すら言い出せず、苦しんできた歴史です。1995年の阪神・淡路大震災のときに、避難所や仮設住宅で遭った性暴力被害に関する相談が寄せられた正井さんは、被害者に代わって被害を訴えましたが、一部の雑誌から「被災地レイプ伝説」などという心ないバッシングを浴びせられました。「そんなことはありえない」「捏造だ」という言説が支配したのです。そうした状況を乗り越えながら、東日本大震災のときには、深刻な被害実態を報告する「災害・復興時における女性と子どもへの暴力に関する調査報告書」をまとめ、その成果が、近年の性暴力撲滅の機運のなかで、女性の人権に配慮した防災のあり方を考える上でのヒントとして広がっています。
正井さんはインタビューの中でこう語っていました。
「非常時、急に男女共同参画は実現できない。国は発災後に男女共同参画の視点を採り入れた避難所運営を促す通達を出したが、実行できたところはわずか4.5%だった。災害時はより立場の弱い女性にしわ寄せがいく。平時から、男女格差のない社会づくりが求められる」
さて、3月11日の木曜日。東日本大震災・東京電力福島第一原発事故から10年を迎えました。発災した午後2時46分。私は10年前と同じ衆院本館2Fの廊下で手を合わせました。
新聞記者の駆け出しを過ごした東北の人たちの人生や思い出の土地を一変させた悲しみ。発災後の国会で、復興やエネルギー政策の見直しの議論が常に政局に絡め取られ、政治記者として振り回されていった苦痛や無力感。
そうした当時、異彩を放っていた勉強会が、この日の朝も、衆院第一議員会館424号室を拠点に開かれていました。
原発ゼロ社会に向けて超党派で活動する「原発ゼロの会」です。
緊急事態宣言下のため、オンラインで開催され、資源エネルギー庁や東京電力の担当者から第一原発の廃炉に向けた中長期ロードマップの進捗状況について説明を受け、意見交換をしました。
「ゼロの会」の発足は2012年。前年の通常国会で、風力や太陽光などの再生可能エネルギーの普及を促すため、固定価格買い取り制度を導入する特別措置法の成立が危ぶまれた際、200人を超す国会議員の署名を集め、各党執行部を後押ししたメンバーが中心となって結成されました。発起人となった自民党の河野太郎さん、立憲民主党の近藤昭一さんが共同代表(閣内にいる河野さんは現在休会中)。自民、立憲、共産、国民民主、社民各党の国会議員約100人が会員に名前を連ね、国会開会中は毎週木曜日の午前7時15分からヒアリングなどを重ねてきました。午前7時15分開始なのは、午前8時から始まる各党の部会の前に実施するためです。
2012年には全国の原発の危険度ランキングをまとめ、廃炉に向けた法整備や立地自治体対策を提言。2016年にも日印原子力協定を批判する談話を発表するなどの活動を行ってきていました。
事務局長を務めるのは、424号室の主である立憲の阿部知子さんです。
結成当初、「原発ゼロを求める国民の、国政における受け皿を作り、原子力政策の転換につなげたい」という思いを語り、3・11後の最初の衆院選となった2012年衆院選では、脚本家の倉本聰さんの発案でロゴマークも作り、国会勢力の過半数確保をめざしていました。しかし、原発推進派が多い自民党が圧勝した結果、衆参両院で94人いた会員が48人にほぼ半減した時期も。阿部さん自身も野党再編のなかで、社民党→日本未来の党→みどりの風→無所属→民主党→民進党→立憲民主党と、所属政党が変わり苦労してきました。
「原発ゼロ」に慎重な最近の野党幹部の発言には苦笑いを浮かべましたが、一連の活動には、手応えを口にしました。
「やっぱりやり続けてきたことには意味があると思う。超党派の議員が、有識者と一緒になって、まともなエネルギー政策を論じる場として集まり、まともな行政になるよう、チェックや働きかけをしてきた。『ゼロの会』で出した危険度ランキングを政府も採り入れて、廃炉にしているものもある。また、『ゼロの会』があることで再生エネを後押ししていて、自民党や政府内も含めて、規制改革など、それぞれの領分で頑張っている。継続は力。いまはちょうどせめぎ合いの時期かな」
手応えの一つが、この冬、電力の市場価格が長期間高騰して、再生エネを担う新電力の経営が苦しくなっていたときの対応です。
電力需給も逼迫し、経済産業省から当初、「太陽光などの再生エネの発電量が低下」と再生エネに責任があるかのような説明がなされ、一部メディアも「再生エネの弱点を改めて浮き彫りにした」「出力が安定している原発の活用が不可欠だ」などと原発回帰の論調を打ち出していました。再生エネ推進にとって大きな逆風でした。
「新電力は、市民の皆さんが出資しながら、地産地消など顔が見える電気をなんとか届けたいという志や理念を持って仕事をしている。本当に再生エネをたくさんいれて、新しい脱炭素社会をつくっていこうとするなら、ここでこういう企業をつぶしちゃいけない。そういう視点に立って、支援をしてもらいたい」
3月1日の衆院予算委員会。経済産業相の梶山弘志さんに対応を促す立憲の山崎誠さんに、真後ろの席から「いい質問だ」「頑張れ」とある自民党議員が声援を送っていました。秋本真利さんです。菅さんを支える議員が集まる「ガネーシャの会」のメンバーでもあります。
2012年12月の衆院選で初当選して以来、「原発ゼロの会」の会員である秋本さんは、昨年12月、『自民党発!「原発のない国へ」宣言2050年カーボンニュートラル実現に向けて』を出版しました。
今回の事態でも新電力潰しにつながらないよう、いち早く国会で取り上げ、菅さんが出席した2月8日の衆院予算委で検証と対策を迫る質疑を行い、河野さんに検証を約束させていました。その質疑の内容を、「ゼロの会」のメンバーでも共有し、連携したのです。
特に、国民民主党から合流した立憲の議員が「一部の新電力は転売屋だという怒りの声がある。安易に救済するのが本当にいいのか」という質問を予算委でしていたこともあり、秋本さんは「逆じゃないの?別の立憲の人がきちっと質問をした方がいいですよ」と助言したのです。
秋本さんは、自民党内でも、新電力批判の言説に対して、説得を重ねてきていました。
「新電力が問題だというけど、私たちがつくった法律によって、FIT(再生エネの固定価格買取制度)の特定卸供給は、100%市場連動でないと電力を買えない仕組みになっている。それ以外の取引が認められていないから、リスクヘッジしろといっても、どうやってするの?」
「それは初めて聞いた」
そのように誤解を解きほぐしながら、「株式市場などと違って、電力市場はまだできたばかりだから、制度に不備があるのは仕方がない面がある。予期せぬ落とし穴におちて、大けがをしているときは、制度上の不備があってプレーさせている為政者側に責任があるのだから、救済すべきではないか」と説いています。
この夏には、2050年の脱炭素社会に向けて、将来の電源構成を決める「エネルギー基本計画」の改定が控えています。3月11日夜、「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」と「Choose Life Project」のコラボ企画「原発事故から10年 エネルギーの未来を決めるのは誰なのか?」に山崎さんと出演した秋本さんは、一緒に議論した大学生たちにこう誓いました。
「我が党のなかでも『原発は一番安いエネルギーだろ』『再エネより安いだろ』と言われるが、3・11の後の社会的費用を含んでいなくても、原発の発電コストは(1kWhあたり)10円を切ってこない。再生エネが一番安い電源であることは間違いない。多くの人に共感してもらうというなかでは、何か一つのテーマだけで口説き落とそうと思っても難しいので、コストだったり、環境負荷だったり、しっかり科学的にエビデンスをもって議論をして、責任を持ってとりくんでいきたい。ぜひそうした政治にしていきたい」
秋本さんは2014年4月、トルコとアラブ首長国連邦(UAE)に原発を輸出できるようにする原子力協定の衆院本会議での採決で退席し、一時期は自民党公認を外される寸前の状況にまで追い込まれたこともあったといいます。
その話を聞いたとき、「よく乗り越えて、原発ゼロの旗を降ろさずに活動を続けているな」と思うと同時に、この10年間の国会は、3・11後の新しいエネルギー社会を構想する人材を送り込むことに苦しんだ期間のように感じられました。女性議員の比率が低いことが指摘され続けても、「現職議員(支部長)がいるので空きがない」といってなかなか進まないジェンダーギャップの問題にも重なります。おじさん中心の執行部に選ばれた候補者だけでなく、時宜にかなった人材を有権者が選べるような選挙システムへの改善や、挑戦者を支えるネットワークづくりが必要です。
国際女性デー、3・11と続いた週末の3月13日夜。坂本龍一さんやGotchの後藤正文さんが中心となり、震災(Disaster)から10年(Decade)という節目に、「民主主義(Democracy)」「対話(Dialogue)」「社会の分断(Division)」など、さまざまな「D」をテーマに過去と向き合い、未来を志向するためのムーブメントである「D2021」のライブ配信がありました。大学院生の町田彩夏さんのスピーチが印象的でした。
「私たちが声を上げてきた歴史は常にバックラッシュとの闘いの歴史でもありました。どれだけ根拠を明確に論理的に説明しても『あなたの態度が悪いから』と聞く耳を持たない人がいました。冷静にまっとうに指摘しているだけなのに『怒っているみたいで余裕がなさそう』と揶揄してくる人たちがいました。そのたびに感じた、打ちのめされるような悔しさと絶望にも似た憤り。胸の内にともるそれらを消さないために、大きな力となったのは、皆さんの連帯でした。おかしいなと思ったら、その言葉をのみこまずに、おかしいと指摘すること。そして声をあげた人を決して一人にはしないこと。連帯こそ、社会を変える原動力であるということです」
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