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女の子も戦う土俵は同じであってほしい withnewsスタッフブログ
不条理に対する怒りとか憤りではなく、「願い」のようなもの
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不条理に対する怒りとか憤りではなく、「願い」のようなもの
夏ごろ、女の子の親になります。
年末から年明けにかけての地獄のつわりを乗り越え、つい先日、お腹の中にいる子どもの性別がわかりました。
超音波検査を担当してくれた医師は「今日、もし男の子か女の子かわかったら知りたいですか?」と事前に聞いてくれました。
私が二つ返事で「はい!」と答えたのには理由があります。妊娠当初から、4歳の息子が「女の子だと思う」と予言していたため、その真相が気になっていたのです。
5分後くらいでしょうか。医師から告げられたのは「女の子ですね」。
その後、超音波検査で脳や臓器の位置、四肢の確認などを時間をかけて検査してもらっている間、ぼんやりと「女の子かー、かわいいだろうなあ」とポワポワとした幸福感に包まれていましたが、この日は3月10日。2日前の、3月8日のことを思い出していました。
3月8日は国際女性デー。
朝日新聞でも「ThinkGender」という企画が続いており、私も読者として記事を読んでいました。ところが、お腹の中の子が女の子とわかったとたん、「この子、女の子ってことで苦労しないだろうか…」という、これまで自分になかった気持ちに気づいたのです。
人間。私のお腹の中にいるのは、男とか女とか、LGBTQとか関係なく、紛れもない一人の人間です。
性別がわかった瞬間、「性別」を理由に、戦う土俵が変わってしまうのではないかと恐れるのは果たして健全なことなんだろうか。
息子の妊娠がわかった4年前は、そんなこと思わなかった私が、今回だけそれを考えているのはなんなんだ…。
私も30年以上女という性別を背負って生きてきたので、自分の経験からも女性特有の不条理はいくつか挙げられますし、これまで得てきた知識の範囲内でなら他の方が受けてきた不条理も挙げられます。
それらを思い浮かべ、我が子に重ねて願うのは、「女の子であっても、他の子たちと同じ土俵で、普通に、生きてほしい」。
受験をするときに性別を理由に本来の能力以下に評価されてほしくないし、結婚するときに姓をどうするか話し合える相手と出会ってほしいし、生理や妊娠に伴う不調を「甘え」と言うような人には一生出会わないでほしい――。
もちろんどんな感情が伴うかは、置かれた立場によって変わるという前提ですが、私の中にある感情は、不条理に対する怒りとか憤りではなく、「願い」のようなものなのかもしれません。
ジェンダー低体温の私は、まずは自分の半径5メートル以内からしか発信できません。でも、「これから女の子の母親になる」という立ち場から発信したいなと思っているのは、「一緒に考えてくれませんか?この子のために!お願い!」ということです。
私とジェンダーとの接点を考える際、一番フィットするのは、いまを生きている私たちのために何かを変えることよりも、将来の子どもたちのためにいまを変えるというロジックなのかもしれません。