連載
#231 #withyou ~きみとともに~
母のため耐えた虐待だったのに…呪縛が解かれ気づいた「我慢しない」
「自分の軸になるものが突然なくなった感覚」
連載
#231 #withyou ~きみとともに~
「自分の軸になるものが突然なくなった感覚」
金澤 ひかり 朝日新聞記者
共同編集記者山口県在住の女性・魚田コットンさん(ペンネーム、31)は、母親の再婚相手である義理の父から性的・身体的虐待を受けていました。
小学生の頃から受けていたそれらの虐待は、高校を卒業して実家を出るまで続きました。
「死にたい」という気持ちを抱えていた高校時代、魚田さんを支えていたのは、当時大好きだったバンド・RADWIMPSでした。
部活を終え、継父がいる自宅に戻るまでの不安な帰り道、イヤホンから流れるこの歌詞を何度となく聴いていたといいます。
「この曲を聴いていたら、「私はまだ愛想笑いでも笑えるし、それなら幸せなんだろう」と思えました。自分に言い聞かせているような感じでした」
実家にいる間は「どよんとした時代だった」と振り返る魚田さん。
暴力は魚田さんの母親に及ぶこともありましたが、自分に向けられる暴力や性的虐待も含めた家庭の状況を、誰かに相談するようなことはありませんでした。
「元々は母子家庭。義理の父とお母さんの間に子どもが産まれてからは『自分が原因でまた離婚してしまったら…』と思うと、なにも言い出せませんでした」
その頃から魚田さんには「母親のために我慢する」という意識が深く根付いていきました。
それに、魚田さん自身、そもそも悩みを打ち明けるのが苦手なタイプで、周囲の友だちからも明るいキャラクターだと思われている節がありました。
そんなキャラクターを崩せないという思いもあり、友だちとの会話はいつも学校生活のことやマンガ、テレビの話だけ。
「そもそも他人を信用していなかったのかもしれません。言ったところで解決するわけじゃないし、と思っているところもありました」
そんな魚田さんを支えていたのがRADWIMPSの音楽だったのです。
31歳になった魚田さんですが、10年ほど前にあった実家での出来事を機に、現在は精神的に落ち着いた毎日を送ることができています。
それは魚田さん20歳の頃のことです。18歳で進学のため一度は実家を離れた魚田さんでしたが、妊娠を機に一度実家に戻り里帰り出産をすることになりました。
その実家で、ささいなきっかけから継父が母に殴りかかったのをみた魚田さん。必死で止めに入り、その場はおさまりました。
しかし翌日になると、まるで昨日のことがなかったかのように、母親と継父は、普段通りの会話をし、生活がまったくの日常にもどっていました。その光景に違和感を感じた魚田さん。
「あんなことがあったのに、普通の生活に戻っているのが信じられなくて…」
整理のつかない気持ちを抱えて部屋に閉じこもっていると、母親がやってきました。
「お父さん、あんなんだけど、悪いと思ってるんだよ。だからいま、お父さん、カレー作ってるんだよ」
母親のその言葉に「あんなこと(継父が母親に殴りかかったこと)して、許されるん?って思ったんです」
そして次に思ったのが「お母さんってもしかして、義理のお父さんのことが好きなだけの人間なんじゃないか」ということでした。
魚田さんはこれまで、暴力を振るう継父から、母親は逃げ出したいんじゃないかと常に思っていました。「母は私や妹のために我慢して離婚しないんじゃないかと思っていた」し、「お母さんを困らせないために」虐待のことも黙っていました。
「私の人生は母のために捧げていました」
ところがこの出来事を経て、「母は継父のことが好きなだけなんじゃないか」という考えに至った瞬間、「自分の軸になるものが突然なくなった感覚に陥った」といいます。
「母のため」という軸を失った魚田さんは次に、生まれたばかりの子どものことを考えました。「子どものためにあと20年は生きないといけない」――。
しばらくはその新たな軸を頼りに日々を過ごしていましたが、「この考え方では息子に依存してしまうと気付いたんです」。
「この子にはこの子の人生を楽しんで欲しいから、私のこととは切り離して考えないといけない。そのためには、自分も楽しい人生を送っていかんといけないなと思った」
そこから、魚田さんは我慢したり、自分の軸を誰かに依拠することをやめました。
「ガラッと変わったわけではないですが、いままで我慢していたものも、できるときには我慢しないでやるようになりました」
「たとえば、子どもに手がかかるうちは遊べないと思っていたけど、旦那にまかせればいいということ。やりたいと思っていたことを『難しい』と諦めるのではなく、それをやるためにはどうしたらいいのかを考えるようになったこと」――。
そうやって気持ちは次第に安定していったそうです。
実は魚田さん、最近になって、当時の経験をインスタでマンガとして発表しました。
すると、「同じ状況でした」という人や「まさにいま同じ状況です」といった人から連絡が来るようになりました。
「過去形になっている人には『がんばりましたね』と声をかけますが、現在進行形の人には、わかる範囲での支援先を伝えたりしています」
ただ、相談先につながるかどうかはその人次第だという考え方の魚田さん。
「そもそも、相談していいのかどうかわからない状況の人もいると思う。『これは相談していいものなんだ』と具体例を示すことも大事なのかな」
それと同時に、魚田さんが伝えたいと思っているのは、「あなたは決して悪くないよ」ということ。
「被害にあっている人は、自分が汚い存在と思ってしまう人も多いと聞きます。それは自分もそうでした。自分にどこか欠陥があるからとか、自分がダメな人間だからとか思ってしまう人もいるかもしれないけど、そうじゃない。被害者は絶対に悪くない。それがわかるだけでも救われるんだと思います」
そしていま思う、実家に暮らしていた頃の、当時の自分に伝えたいことは「大人になったら意外と楽しいよ」ということです。
「当時は『さっさと死にたい』と思ってたのですが、大人になったら意外と楽しい。すごく平凡に楽しいです」
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