連載
#24 帰れない村
義母の認知症・夫の優しさ…原発事故で激変した生活、支えた故郷の歌
相馬流れ山 ナ~エ~ 習いたかござれ~
福島市で避難生活を送る窪田たい子さん(65)は、つらくなると口ずさむ歌がある。
故郷の民謡「相馬流れ山」。相馬地方に伝わる野馬追いの情景などを歌う。
旧津島村で生まれ、地元出身の夫(69)と結婚。4人の子を育てた。震災前までは仲の良さで評判の家族だった。夫は造園や葉タバコの栽培、義母(94)は大好きな花の手入れに忙しかった。
そんな自慢の家族が、原発事故で変わってしまった。義母は慣れない避難生活で認知症になり、人の手を借りなければ生活ができなくなった。食事や入浴を手伝おうとすると、「馬鹿にするんじゃねえ」と怒鳴られる。
震災前から週3回、透析に通っていた夫は、車で病院への送り迎えをする妻に、感謝の言葉を掛けることが少なくなった。ケンカが絶えず、食卓から会話や笑い声が消えていく。
「どうしてこうふうになってしまったのだろう?」
たい子さんはストレスで円形脱毛症になり、死んでしまいたいと思うようになった。でも津波で亡くなった人のことを思うと、踏み切れない。
そんな時は「今、私が頑張らないと、この家はバラバラになってしまう」と自らに言い聞かせ、「相馬流れ山」を歌う。かつて自宅の前にそびえていた、日山をまぶたの裏に思い浮かべて。
昨年12月、一家は津島に一時帰宅した。
自宅の屋根は崩れ落ちそうで、葉タバコを栽培していたビニールハウス内には枯れ草が茂り、木まで生えていた。
「ここで暮らせていたら、家族もずっと仲の良いままだったのに」
たい子さんが悔しそうに言うと、夫も黙ってうなずいた。
「今は介護がつらいです。津島にいれば、悩みもご近所さんに相談できたのかもしれないけれど……」
たい子さんが独り言のように話す。遅れて歩いてきた義母が崩れそうな自宅を見上げ、「ありゃあ、原発事故はなんてことしてくれたんだあ」と言った。
三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』と、震災直後に宮城県南三陸町で過ごした1年間を綴った『災害特派員』。
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