『違国日記』(祥伝社)は少女小説家の高代槙生(まきお)が、交通事故で亡くなった姉夫婦の娘・田汲朝(あさ)を引き取るところから始まる物語です。
しかし、そこは『HER』『ひばりの朝』などを描いてきたヤマシタトモコさん。決して、単なるハートフル・コメディではありません。
私が感じる同作の魅力は「距離感」。
家族の不和、大人の恋愛、大人の友情、もしかすると発達障害やセクシュアリティなど――人と人とが歩み寄り、すれ違う「距離感」が読後に痛みを伴うほど的確に描かれているところです。
過去のインタビューでもヤマシタトモコさんが以下のように話しています。
“私は「“人と人は、絶対にわかり合えない“という漫画を描きたいです」と答えたんですが、ずっとその気持ちが根底にある気がします”
そんな『違国日記』7巻には、これまであまりフォーカスされてこなかった、「男性側」の「距離感」を描いたエピソードがあります。
偶然、食事をすることになった槙生の友人で元彼の笠町と、朝の後見人である槙生を監督する立場の弁護士の塔野が、「男なら」「男らしく」「男として」といった“男社会の洗礼“について語るシーンです。
その土俵から“降りた“と言う笠町のセリフを紹介します。
「より危ないことをしたやつが勝ち」「より女の子をモノ扱いできるやつが勝ち」「より楽をしていい目を見たやつが勝ち」「その連鎖を断ち切らないでチキンレースやって冷笑してる」「本当はプレッシャーで死にそうなのに」
「そこしか知らなくてそこから落ちたら終わりだと思って必死でしがみついてた」「他にいくらでも『なっていい自分』はあったしそんなチキンレースで自分の価値を試す必要なんてなかったのに」「そこから降りて 逃げて」「やっと人間になれて初めて余裕が出たってとこかな」
男性の中には覚えのある人もいると思います。私自身もそうです。
後悔は美談になりませんが、これからの自分を変えていくことは必要です。
そんなチキンレースは降りていいし、降りるべきだ、ということを意識させてくれるのが、このセリフです。
男性同士の会話の中で、これがサラッと出てくるということも、いいのだと思います。
今、まさにそのさなかにいる人には、そこから身を引くこと、すでにそこから“降りた”人には、それだけで終わらずアクションを起こすこと。
このセリフはそのきっかけになると信じています。