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#21 帰れない村

DASH村「あんなに有名になるとは」 地主が見続けたTOKIO

DASH村に関する資料をめくる三瓶宝次さん=2020年12月、福島市、三浦英之撮影
DASH村に関する資料をめくる三瓶宝次さん=2020年12月、福島市、三浦英之撮影

目次

帰れない村
東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)
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あの土地、提供したい

「あの土地を復興のシンボルとして使ってくれるなら、無償提供したいと思っているんだ」

旧津島村の元浪江町議、三瓶宝次さん(84)は取材に語った。

「あの土地」とは、日本テレビ系列の番組で、アイドルグループ「TOKIO」が農作業を体験した「DASH村」があった場所だ。親類が開拓した土地を買い取り、三瓶さんが管理してきた。

津島から福島へ。荷物の運び出し作業を進める三瓶宝次さん=2020年12月、福島県浪江町津島地区、三浦英之撮影
津島から福島へ。荷物の運び出し作業を進める三瓶宝次さん=2020年12月、福島県浪江町津島地区、三浦英之撮影

あんなに有名になるとは

「まさか、あんなに有名になるとは思わなかった」

ある日、福島出身のディレクターがやってきて、「ロケ地に使いたいので貸してほしい」と頼まれ、自宅から約2キロ離れた約4ヘクタールの山林や田畑を貸した。

ディレクターが語る番組名も、TOKIOというアイドルグループも、聞いたことはなかった。番組に出て、農作業を指導してほしいと頼まれたが、当時町議だった三瓶さんが出演するとロケ地がばれてしまう。番組では「DASH村」の場所は秘密だった。

三瓶さんは裏方に徹し、番組には妻や知人を登場させて、TOKIOのメンバーに農作業を教え込んだ。

「彼らはいつもハキハキとしていて、一生懸命農作業に取り組んでくれた」

古民家を舞台に、アイドル自らが田植えや炭焼きを体験し、自給自足の生活を送る。そんな農作業の風景が、高齢者には懐かしく、都会の若者の目には新鮮に映った。TOKIOは「農業アイドル」として有名になり、若者の間に田舎暮らしのブームが起きた。

DASH村に関する資料をめくる三瓶宝次さん=2020年12月、福島市、三浦英之撮影
DASH村に関する資料をめくる三瓶宝次さん=2020年12月、福島市、三浦英之撮影

復興の足がかりにできないだろうか

しかし、2011年の原発事故で津島は帰還困難区域になり、「DASH村」にも入れなくなった。それでも、いつか「村」が再開される日が来ると信じて、草刈りなどの管理を続けてきた。

「TOKIOにも色々と事情があるのは報道で知っている」と三瓶さんは言う。「でも、『DASH村』は今も多くの人の心に生き続けている。撮影は無理でも、ファンが当時使われていた古民家を訪れたり、若者が実際に農作業を体験したりできる、そんな津島の復興の足掛かりにできないだろうか」

震災10年を苦悶の表情で振り返る三瓶宝次さん=2020年12月、福島県浪江町津島地区、三浦英之撮影
震災10年を苦悶の表情で振り返る三瓶宝次さん=2020年12月、福島県浪江町津島地区、三浦英之撮影
 

東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」。毎週水曜日の配信予定です。

三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』。

南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者

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