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赤十字が認めた救助犬「行方不明の家族の気持ち、私にはわかる…」
2匹のため活動要綱を追加したはからい
「ゆき」と「さち」。雌の災害救助犬2匹に1月14日、赤十字のマークが贈られ、日本赤十字社の正式な活動の一員となりました。2匹のため「活動要綱」をあらたに追加して認定しました。全国で初となった今回のケース。彼女たちになぜ、このマークが贈られたのでしょうか。話は、10年前の東日本大震災にさかのぼります。
岩手県大槌町で立ち食いそば屋の「大光そば」を経営する佐々木光義(みつぎ)さん(52)。この人が、「ゆき」(ゴールデンレトリバー、8歳)と「さち」(ホワイト・スイス・シェパード、7歳)の飼い主です。
佐々木さんは、2011年3月11日に起きた東日本大震災で大槌町にあった実家が津波に流され、父栄雄さん(当時75)と母セツさん(同73)が行方不明になり、飼っていた犬もいなくなりました。
東京で警備の仕事をしていた佐々木さんは故郷に飛んで帰り、両親を捜しましたが、見つかりません。都会の暮らしにも疲れていた光義さんは翌12年に大槌町に戻り、復興事業で働く作業員たちのためにと、プレハブで「大光そば」を始めました。
1年が経ちました。両親は見つかりません。
佐々木さんはふと「あのとき、災害救助犬がいたら、両親や他の人たちを救出できたかもしれない」「これからの災害時でも自分が役立ちたい」と思いました。
2013年にゆきを、14年にはさちを飼い始めました。ゆきは母の名「セツ」を漢字の「雪」に直して訓読みしました。さちは生後すぐ亡くなった姉の名から取りました。
2匹とも一般社団法人ジャパンケネルクラブ認定の災害救助犬に合格し、ゆきは捜索する警察犬としても登録されています。
ゆきは、のんびり屋さんですが堅実に役目をこなします。各地の訓練犬の技能を競う大会で何度も優勝しています。さちは美しい白い毛並みで、おてんばですが、佐々木さんと息があうと、ずば抜けた力を発揮するそうです。
実際に、被災地で救助活動をしたこともあります。2016年夏、岩手県岩泉町が台風19号災害に見舞われた後、佐々木さんから現地の警察に願い出て、行方不明者の捜索をしました。2020年には大槌町などで山菜やマツタケ採りから帰れなくなった行方不明者を捜しにも行きました。
ただ、佐々木さんはずっと考えていました。県外の被災地など、見知らぬ場所に出かけたときに、不審がられないかと。「認知されている赤十字のマークがあれば、どこに行っても現地で受けられやすいのでは」
2020年、佐々木さんは日本赤十字社岩手県支部に、ハーネス(胴着)のラベルをもらえないかと頼みました。外国には、そんな犬もいると聞いたからです。
岩手県支部は、20年近く佐々木さんが赤十字社のボランティア活動を続け、災害救助犬を連れての救助活動を評価。支部の「ボランティア活動要綱」に、新たに「災害救助犬を有した捜索活動」という項目を付け加え、ハーネスラベルを贈ることになったのです。
1月14日の贈呈式。ゆきもさちは、少し興奮気味でしたが、佐々木さんのいいつけをちゃんと守り、礼儀正しく振る舞いました。平野直事務局長は「今日から新しく新しく仲間に加わりました。大変心強くを持っています」と歓迎しました。
佐々木さんは「私には、行方不明の家族の気持ちがよくわかる。マークの重みに恥じないように訓練に励みます。災害はあってはいけないことですが、もし出動したらしっかり役目を果たせるように精進させたい」と2匹に代わって話しました。
「大光そば」には動物愛護の募金箱が置かれ、佐々木さんは、いつでも現場で活躍できるように、毎日の散歩や休みの日など、ゆきやさちの訓練に余念がありません。
佐々木さんの住む大槌町は、震災で人口の1割近い1286人が犠牲になり、その3分の1が行方不明です。佐々木さんのように悲しい思いをする人が1人でも減らすように、ゆきとさちを応援していきたいです。
私は震災直後から3年間、大槌町に駐在しました。今は、駐在が廃止されたので釜石市に移りましたが、ずっと三陸沿岸の復興を取材し続けています。
津波とその後の火事で、大槌町の市街地は1軒残らず全壊、焼失しました。そこから店が一軒建つたびに、私は飛んで行って取材しました。「大光そば」もその1軒です。
光義さんは剣道の達人で、まっすぐな性格の人です。災害救助犬を育て始めたのも、不幸にしてまた大災害があった時に、何かの役に立ちたいと思う一心でした。
被災地を取材してよく聞くのが「忘れてほしくないものは、私たちの存在や悲しみ、ではない」という言葉です。悲しみに寄り添ってくれることには感謝しつつ、「震災からの教訓を忘れずこれからの備えに生かし、新たに始めた試みにも注目して、次の災害や地域づくりの参考にしてほしい」と言うのです。
避難所でお世話になったのがきっかけで看護師を目指す女性、地域を守る仕事をしたくて消防士になった青年、他県の同世代に経験を語り、防災を自分ごととして考えてもらおうという中高生、単なる「語り部」でなく、ゼロから復興する姿を見て、自分がいかに恵まれているかと気づいてもらおうと、研修や講演を繰り返す人たち……。
それぞれ、震災の経験を何かに生かそうとしています。「可愛そう」ではない見方で、被災地を見て、学び、関わってもらればいいなあ。私はそう思いながら、記事を書き続けようと思っています。
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