MENU CLOSE

連載

#18 帰れない村

「知っていたら、外に出さなかった」原発事故から9年半も、残る後悔

津島公民館の入り口には今も「児童クラブ」の看板が掲げられている=2020年12月、福島県浪江町、三浦英之撮影
津島公民館の入り口には今も「児童クラブ」の看板が掲げられている=2020年12月、福島県浪江町、三浦英之撮影

目次

帰れない村
東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)
【PR】指点字と手話で研究者をサポート 学術通訳の「やりがい」とは?

子育て後、児童クラブの指導員に

「保育士になるのが夢だったんです。なので、娘の子育てが終わった後は、児童クラブで働きたいと」

福島市で避難生活を送る浪江町の元臨時職員佐々木加代子さん(58)は、野山で遊ぶ子どもたちの写真を見ながらつぶやいた。

旧津島村にはかつて、共働きの両親に代わって放課後に子どもたちを預かる児童クラブがあった。佐々木さんは2006年から、そこで指導員として働いていた。

山間の集落は大自然に囲まれている。野原を散策したり、川で遊んだり、雪合戦をしたり。十数人の子どもたちも周囲の大人に見守られ、タケノコのようにすくすくと育った。

児童クラブで遊ぶ子どもたちの写真を見つめ、震災当時を振り返る佐々木加代子さん=2020年11月、福島市宮代、三浦英之撮影
児童クラブで遊ぶ子どもたちの写真を見つめ、震災当時を振り返る佐々木加代子さん=2020年11月、福島市宮代、三浦英之撮影

震災後やってきた防護服の人たち

震災時は老朽化した建物が危険だったので、児童クラブにいた子ども6人を車2台の中へと避難させた。激しい揺れで泣き叫ぶ子どもたちに「大丈夫よ」と声を掛け、午後6時にはなんとか家族に引き渡すことができた。

問題は次の日だった。原発が危機的な状況に陥り、沿岸部から多くの浪江町民が津島へ避難してきた。津島の子どもたちは大人に交じり、屋外で避難者の世話や炊き出しを手伝った。「お手伝い、頑張って」。そう声を掛けたことを思い出すと、今も胸が張り裂けそうになる。

浪江町役場津島支所には東和地区へと避難を呼びかける黒板書きが残る=2018年9月、福島県浪江町津島地区、三浦英之撮影
浪江町役場津島支所には東和地区へと避難を呼びかける黒板書きが残る=2018年9月、福島県浪江町津島地区、三浦英之撮影

「子どもたちを守れなかった。『放射能が危ないから、子どもたちは家から出てはダメよ』。そう声を掛けるべきだったのに……」

2日後の3月14日、外で炊き出しをしていると、全身を防護服で包み、厚いマスクを着けた男性たちがやってきて、「何をしているのですか、家の中に入りなさい!」と大声で怒鳴られた。周囲の大人たちはポカンとし、何が起きているのかわからなかった。

かつて児童クラブが入っていた津島公民館の前には今、黒いフレコンバッグが積み上げられていた=2020年12月、福島県浪江町、三浦英之撮影
かつて児童クラブが入っていた津島公民館の前には今、黒いフレコンバッグが積み上げられていた=2020年12月、福島県浪江町、三浦英之撮影

知っていたら、外には出さなかった

あの時、国や東京電力は津島が危険だと知っていたのではないか、と思う。

「なぜ教えてくれなかったのでしょう? もし知っていたら、私は子どもたちを絶対に外には出さなかった。彼らが将来病気にならないかどうか、事故から9年半が過ぎた今でも心配でならないのです」

避難先で手作りの干し柿を見つめ、津島での暮らしを振り返る佐々木加代子さん=2020年11月、福島市宮代、三浦英之撮影
避難先で手作りの干し柿を見つめ、津島での暮らしを振り返る佐々木加代子さん=2020年11月、福島市宮代、三浦英之撮影
 

東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」。毎週水曜日の配信予定です。

三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』。

南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者

連載 帰れない村

その他の連載コンテンツ その他の連載コンテンツ

全連載一覧から探す。 全連載一覧から探す。

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます