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連載

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#17 帰れない村

除染後「戻りたい」 今も待つ酪農家「津島の生活、どれほど豊かか」

牛のいない牛舎に立つ紺野宏さん=2020年7月、福島県浪江町、三浦英之撮影
牛のいない牛舎に立つ紺野宏さん=2020年7月、福島県浪江町、三浦英之撮影

目次

帰れない村
東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)

震災後、空き巣対策で鍵

「震災前はね、家に鍵がなかったんです。地域の人がいつでも入れるようになっていた」

自宅の玄関を押し開けながら、酪農家紺野宏さん(60)は苦笑いした。震災後、空き巣対策で木扉に鍵を取り付け、イノシシに食い破られないよう、下部には板が打ち付けられている。

築200年以上の紺野さんの古民家=2020年7月、福島県浪江町、三浦英之撮影
築200年以上の紺野さんの古民家=2020年7月、福島県浪江町、三浦英之撮影

築200年以上の古民家だ。立派な梁に支えられた大広間には、先祖の顔写真が飾られている。

「4代前の先祖が養蚕で成功して、代々、この家を守ってきました」

伝統芸能「田植え踊り」の世話役「庭元」を務め、20人以上の住民が集まって練習をしたり、酒を酌み交わしたりしたのも、この大広間だった。今はホコリが積もっている。

大広間で先祖の写真を見上げる紺野さん=2020年7月、福島県浪江町、三浦英之撮影
大広間で先祖の写真を見上げる紺野さん=2020年7月、福島県浪江町、三浦英之撮影

牛に生かされてきた

日夜働いた牛舎に入ると、かすかに乾いた干し草のにおいがした。

震災当日もその翌日も、飼育していた33頭の乳牛の搾乳を続けた。でも、どれだけ待っても回収のローリー車が来ない。2日間で絞った生乳約1トンを泣く泣く畑に捨てた。

3月15日には旧津島村からの避難を求められたが、牛を町外へと移動させるため、6月中旬まで自宅にとどまった。

えさの量を抑え、搾乳を回数を減らしても、33頭の牛からは1日100キロは乳が出る。絞っては捨て、絞っては捨てる。そんな日々を延々と続けた。

「酪農家は牛に生かされてきた。ならば、その命をどうやってつなぐか。そればかり考えていた」

主や牛を失い、ガランとした牛舎=2020年7月、福島県浪江町、三浦英之撮影
主や牛を失い、ガランとした牛舎=2020年7月、福島県浪江町、三浦英之撮影

豊かだった津島の生活

今は郡山市で避難生活を送る。自宅の敷地は特定復興再生拠点区域に指定され、除染が終わって住めるようになれば、戻るつもりだ。

「酪農を続けるつもりですか」と尋ねると、紺野さんは「ええ、できれば」と言って少し笑った。

「避難先で思い知らされました。津島で育った人間は、アパートでは暮らせない。季節が感じられないでしょう? ここは雪が降り、蛍が舞う。秋には紅葉で山が燃える。そんな生活がどれほど豊かであったことか」

旧津島村では秋になると野山が錦のように色づく=2020年10月、福島県浪江町、三浦英之撮影
旧津島村では秋になると野山が錦のように色づく=2020年10月、福島県浪江町、三浦英之撮影
 

東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」。毎週水曜日の配信予定です。

三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』。

南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
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