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#15 帰れない村

避難住民の診療続ける医師が振り返る原発事故、今も「見えない被害」

新しい仮設津島診療所に立つ関根医師=2020年9月、福島県二本松市油井、三浦英之撮影
新しい仮設津島診療所に立つ関根医師=2020年9月、福島県二本松市油井、三浦英之撮影

目次

帰れない村
東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)
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避難者も殺到、薬求め並ぶ長い列

「驚きましたよ。累積800マイクロシーベルトですからね」

旧津島村の医療機関「津島診療所」の医師だった関根俊二さん(78)は原発事故当時を振り返り、空を仰いだ。

1997年、郡山市の病院から同診療所に単身赴任した。渓流釣りが好きで、最後はへき地医療に携わりたいと考えていた。任期が終わるまであと数年だった2011年、約30キロ先の東京電力福島第一原発で事故が起きた。

2011年3月11日の午後、看護師らに囲まれて笑う関根医師。翌朝、沿岸部から大勢の患者が診療所に押し寄せた=看護師の今野千代さん提供
2011年3月11日の午後、看護師らに囲まれて笑う関根医師。翌朝、沿岸部から大勢の患者が診療所に押し寄せた=看護師の今野千代さん提供

地震による診療所の被害はほとんどなかった。郡山市内の自宅に帰宅していた3月12日朝、「原発が危険な状態になり、浪江町の住民が津島地区に大勢避難してきています。すぐに診療所に戻ってほしい」と診療所の事務職員に電話でたたき起こされた。

急いで診療所に戻ると、着の身着のままで逃げてきた避難者たちが持病の薬を求め、長い列を作っていた。病名や症状を聞いても、普段処方されている薬まではわからない。1日300人以上を診察し、やがて薬が足りなくなった。

津島診療所前で列を作る人々=2011年3月14日午前、福島県浪江町、三瓶宝次さん提供
津島診療所前で列を作る人々=2011年3月14日午前、福島県浪江町、三瓶宝次さん提供

驚いた「累積800マイクロシーベルト」

15日午前には、診断を中断して自らも津島から避難するよう指示された。救急車がないため、消防車の荷台に布団を敷いて重篤な患者を搬送した。

その後も二本松市の施設で臨時の診療所を開設し、避難住民の診察に当たった。4月、身につけている医療用のガラスバッジの値を聞いて驚いた。普段はゼロなのに、3月だけで「累積800マイクロシーベルト」。国が長期目標としている追加被曝線量「年1ミリシーベルト」の約8割を数日で浴びた計算になる。

津島の放射能汚染は、15日夕から16日朝に降った雪や雨が主な原因だと後に聞かされた。でも、自身が津島にいたのは11日から15日午前までで、15日夕にはもう津島を離れている。

「3月15日の前にも津島には多量の放射性物質が降り注ぎ、私と同じように被曝(ひばく)した住民がいたのではなかったか」

避難先の臨時診療所で避難者の診察をする関根俊二さん(中央)=2011年4月、福島県二本松市、田内康介撮影
避難先の臨時診療所で避難者の診察をする関根俊二さん(中央)=2011年4月、福島県二本松市、田内康介撮影

生活習慣病などで亡くなる避難住民も

現在は約30キロ離れた二本松市の仮設診療所で避難住民たちの診療を続ける。津島で診察していた頃とは、症状が大きく異なる。

「津島にいた頃は畑仕事などで忙しくしていた人が、被災後は災害公営住宅から出てこなくなり、生活習慣病などで亡くなっていく。原発事故の『見えない被害』は今も続いている」

新しい仮設津島診療所に立つ関根医師=2020年9月、福島県二本松市油井、三浦英之撮影
新しい仮設津島診療所に立つ関根医師=2020年9月、福島県二本松市油井、三浦英之撮影
 

東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」。毎週水曜日の配信予定です。

三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』。

南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者
南相馬支局員として、原発被災地の取材を続ける三浦英之記者

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