連載
#14 帰れない村
地域の台所でもあった大かまど、今は無残に 一時帰宅で家人は泣いた
旧家には、部屋が全部で11あった。築150年の大屋敷。24畳の大広間には幅約5メートルの神棚が飾られ、外には土蔵も建っていた。
福島市で避難生活を送る石井ひろみさん(71)は1971年、結婚して横浜市から旧津島村へとやってきた。父は転勤族。北海道で生まれ、九州、関西、関東と転々としながら青春期を過ごした。学生時代は帝国ホテルの列車食堂(新幹線の食堂車)で働き、知り合った男性が津島で数百年の歴史を持つ旧家の18代目の跡取りだった。
屋敷には古くて大きなかまどがあった。朝、誰よりも早く起きて、最初にかまどの火をおこす。結婚直後は、火がついたかどうか不安で、かまどの前から離れられない。暗い土間に一人しゃがみこんで赤い火を見つめ、これまで同じように火を見つめてきた大勢の女性たちのことを思った。「自分も伝統を受け継ぎ、この家を守っていかなければならない。ここが私の故郷になるんだ」。そう覚悟を決めた。
浪江町の助役だった伯父は、後に立候補して町長になった。選挙の度に、家には町の有力者や支援者が押し寄せてくる。旧家は地域の伝統芸能「田植踊り」の世話人役を務め、本番や練習の度に数十人の踊り手や観客が集まる。
ひろみさんはその度に地域の女性たちと協力し、かまどで数十人分の食事を準備した。春には山から採ってきたフキを塩漬けにするためにゆでたり、田植えに協力してくれた人に配るため、かしわ餅を200個ぐらいふかしたりした。
そんなかまどとの生活が、原発事故で突然途絶えた。津島は全域が帰還困難区域になり、屋敷は野生動物のすみかになった。
一時帰宅の時、土間にネズミの駆除剤をまくと「ポチャ」と音がする。雨水が床下に流れ込み、40年間、ことあるごとにしゃがみ込んでいた土間が水浸しになっていた。
「悔しくて、悲しくて、涙が出た。人生そのものが奪われてしまったような感じで」
今秋に一時帰宅した時、ひろみさんはかまどの前からなかなか離れようとしなかった。
悲しそうに言った。
「かまどが崩れてしまっている。物も思い出も崩れていく」
三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。最新刊に新聞配達をしながら福島の帰還困難区域の現状を追った『白い土地 福島「帰還困難区域」とその周辺』。
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