マンガ
「ガンダム」富野監督が、コロナ禍の子どもに放つ過激なメッセージ
「大人をなめるな!」その真意は?
新型コロナウイルスの影響が地球をおおったこの数カ月、激変する世界で「機動戦士ガンダム」シリーズの生みの親である富野由悠季さん(79)は、何を考えていたのでしょう。コロナで中断した巡回展「富野由悠季の世界展」が静岡県立美術館(11月8日まで)から再開したのを機に、富野監督に語ってもらいました。一斉休校や外出自粛を味わった子どもたちへメッセージを聞くと、「大人をなめるな!」との答え。 一体どういうこと? でも、最後まで聞くと、巨匠の本音が見えてきました。
新型コロナウイルスが流行したこの数カ月間、僕は自宅やスタジオにこもっていた。次回作の構想を練るために古代史に関する本などを読んでいたら、アニメ業界にも大きな影響が出て、6会場で予定されていた「富野由悠季の世界展」は2会場で延期になった。
ただ「ステイホーム」は僕にとっての日常だ。自宅で文章を書いていると、3カ月くらいは外に出ないで過ぎてしまう。アニメの仕事で忙しい時も、スタジオにしか行かない。
一般の人と働き方が違うので、スタジオでもスタッフと毎晩飲んだり仲良くしたりすることはない。打ち上げのパーティーが半年から数年に一度あるだけ。外部との接点を持たない人生をずっと送ってきたので、暮らしは大きく変わっていない。
僕も病気は嫌いだし、コロナは怖い。最近は、外で受け取った釣り銭を家に帰っていちいち消毒している。それでも、ここまでの経済規制をする必要があったのだろうかとは感じる。
「人と人との距離感が大きく変わった」ともいわれるが、共同体があるからこそ感染症は発生するのだ。「人は一人では生きていけない」とさんざん言われてきたのに「他人と触れあうな」というのは、社会を否定しているようでやや違和感がある。
「マスクをしよう」「距離を取ろう」との呼びかけは、本当に感染予防のためだけなのか。口先の言葉遣いだけを覚えて「私はきちんと防疫をしています」という、責任回避のために言っている人が多いとの見方がある。
マスクをしていなかったら怒鳴られ、飛行機も止まる。こういう規制は本当に理性的なことなのか。一見するとリアリズムのようだが、リアルにものを考えてはいないのではないかと考える余地がある。
コロナの状況では伝わりづらいかもしれないが、僕は「世相にシンクロしちゃいけない」と思っている。同調したら最後、取り込まれてしまって、独自の発言ができなくなる。もう少し頑張って、前の世代に汚染されない表現を発明しなければいけない。死ぬまで、その方法を探していかないといけないと思う。
2月か3月ごろに得心がいったことがある。「感染症は特別なことじゃない」ということだ。昔の人はもっと死が身近で、それが自然の摂理だった。自然の中でウイルスや細菌と一緒に暮らしているのだから、あらゆる感染症を防ぐことなんてあり得ないのだ。
「コロナによって世界中で2億人くらい死ぬかもしれない。そうなっても仕方がないのでは」と僕は一度覚悟した。家族の死を受け入れる自信はないけれど、「甘受するしかないんだろう」と感じた。
「機動戦士ガンダム」の冒頭には「増えすぎた人類が宇宙に移民し、スペースコロニーを築く」という流れで、1970年代の社会問題だった人口爆発を盛り込んだ。しかし、感染症や伝染病はどの作品でも取り上げて来なかった。19世紀初頭に数千万人もの死者を出した「スペイン風邪」は中学時代から知っていたはずだけど、こんなにも世界的に影響が出るということは学んでいなかった。物事を応用して考えられなかったと、自分でもがっかりしている。
人口問題は、今や深刻だ。戦後すぐの地球人口は20億人くらいだったのに、今の地球人口は80億人になろうとしている。これは明らかに多すぎる。たとえコロナで減ってしまっても効果がないくらいの臨界点だ。現代的な視点に立てば、経済成長を目指す人類はおかしくないかということになる。
僕は孫が3人いる。彼らが余命を全うするまでは暮らせる地球であってほしい。しかし今の人口問題を考えると、あと50年か60年で孫たちは本当に苦労するかもしれない。そういう未来は見たくないのだ。
コロナで窮屈な生活を送っている子どもたちにメッセージを送るとすれば、「大人をなめるな」ということ。つまり大人が「勉強しろ」と言ったことは勉強しろということだ。勉強しないで「わからない」「意味がない」と言ってはいけない。わかるようになって初めて、自分の発明ができるかもしれないのだから。
もっと簡単な言い方をすると「読書をしろ」という一言につきる。外に出られなくても、人に会えなくてもできることだ。
小学校に児童向けの世界文学全集が100冊くらいあったが、僕は「小学生で全部読むべきだった」と後悔している。「ロビンソンクルーソー」は好きだったから、まねごとの小説を書いた。「モンテクリスト伯」は難しいからやめた。「レ・ミゼラブル」は辛気臭いから嫌いだったけど、登場人物のコゼットは名前が好きだった。
つまみ食いで読んで気にくわないものは避け、高校生のころに「完全に出遅れた」と気がついた。知識は持っているに越したことはないし、「知らなかったけどいいか」ということにはならない。知らないことは罪だ。しかし重要なのは、「知識に負けちゃいけない」ということだ。
かつて「人類はついに感染症を封じ込めた」という発言をした人がいた。「コロナは制圧できる」という話も同様で、我々はごく最近の科学技術で手に入れた知見により「何でも突破できる」と傲慢になった。
人類は原子力を発見してから、原子力発電をする前に原爆を作ってしまった。これは科学技術で一番不幸だったことで、人類が背負った最大の業だ。最近だと、夢のリニア中央新幹線が通れば東京、名古屋、大阪で経済効果があるという話は信用できない。地震と噴火の可能性がある大地を貫くトンネルを通してまですることなのか。
効率がすべてに優先するというのは、工学系の研究者などが行き着く「技術原理主義」だ。知識という麻薬を吸ってしまったら、もう軌道修正はできない。人類は知識に溺れてしまった。技術者や研究者でなくとも「ある分野で傑出した」と傲慢になりがちだなのが人間だ。
ここにも、「人間は絶対に革新できる」「他者と完全にわかり合えるニュータイプは生まれる」と30年間がんばって、ガンダムをつくることに挫折したトミノがいる。そうやっている間に、世界ではトランプやプーチン、習近平などの強権的な政治リーダーが次々と生まれてしまったのだから、人の革新はないだろうと思えてしまう。
だからこそ、知識に負けないため、本を読み知識を身につけておかなければならない。
感染症の影響力を知らない自分にがっかりしたが、知っていたら作品に盛り込んだかというと、それは違う。核兵器や食糧の問題もそうだが、本気で踏み込むと過酷な内容になって売れない作品になってしまう。みんなに受け入れられなければ見てもらえないのだから、一人の夢だけでは商売はできないということだ。
僕は今も「珠玉の一遍を作りたい。政治的にも学問的にも、ぶれない作品をアニメで作るんだ」と試行錯誤している。
自分の肩書を「アニメ演出家」と名乗っているが、これは自力で手に入れた実績だと思っている。30歳になるまでは「アニメ演出家」という肩書では、税務署で書類が通らなかった。役人から「アニメって何?」と聞かれ、「だめだよそんなの。『演出家』だけでいい」と言われる状況が10年間続いたが、今は職業欄に書ける。そうやって時代を突破してきた僕も今でも勉強している。
アイデアは誰も教えてくれない。だから本を読むしかない。この半年間は、そうやって本を読みながら調べて、次のアニメについて考えてきた。
次回作につながるかどうかはわからないが、最近調べているのは「邪馬台国はどこにあったのか」ということだ。辺境の女王である卑弥呼からの使者は、男社会である中国の文官たちからどのように見られていたのか。その文官たちが記した歴史書は、どのくらい信用できるのか。
そういうことを考えて、「トミノが作れるものは、まだあるな」と思っている。
富野さんは「毒舌家」として知られており、他人はおろか自分が手がけた作品さえも強い口調で批判します。1993年に放映された「機動戦士Vガンダム」は1982年生まれの私が初めてテレビで触れたガンダムシリーズですが、富野さんは「この作品は全否定したいと思っているものです。このような結果になったのは、全て監督の責任です」と酷評しています。
しかし、その言葉が「愛情の裏返し」であることが多いのも、アニメ業界ではよく知られた話。「富野由悠季の世界展」も、当初は「馬鹿な企画をやめろ」と言っていたようですが、静岡県立美術館での初日は満面の笑顔で視察していました。
今回のインタビューも、そんな「富野節」が満載でした。コロナ対策から外交問題、アニメから模型業界に至るまで、国内外を問わず政治家や業界関係者への辛口発言が相次ぎました。
マスクに対する〝解釈〟も独特です。医学的な「知識」を持ちながらも、「世相にシンクロしちゃいけない」というポリシーで別の視野に立った時に見えるものがあるのではないか、という問題提起として受け止めました。
人やモノ、サービスが国境を超える移動の自由は、今日の発展をもたらすとともに、感染症の拡大の原因にもなりました。お孫さんへの愛情を言葉にしつつ、この時期、批判を覚悟で人口爆発について切り込む富野さんの姿勢は、経済成長がもたらすものが幸せだけではないことを教えてくれます。
「子どもたちへのメッセージを」とお願いして、すぐさま「大人をなめるな!」との叱責が飛び出した時は思わず目が点になりました。しかしよく聞いてみると、「こういう状況だから、たくさん本を読んでね」という愛情深いメッセージでした。
2時間半にわたったインタビューの最後、富野監督から「あんたしつこいね。そういう人いないよ。初めてだわ。本当、きらい」と満面の笑顔で言われました。なんとうれしいことか。記者としての誇りにしていきます。
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