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熊本の豪雨、認知症の父は最後まで動かなかった…川沿い集落のリアル

地元鉄道を悩ませる「無駄な業務」

くま川鉄道の橋脚が折れ鉄橋が付近に散乱していた
くま川鉄道の橋脚が折れ鉄橋が付近に散乱していた

目次

熊本県南部を襲った7月の豪雨では、県内の直接の犠牲者が熊本地震を上回る死者65人、行方不明者2人にのぼった。全半壊・床上浸水は6505戸(いずれも10月2日、熊本県調べ)。筆者は10月、球磨川沿いを下流まで50キロ近く車で走ったが、いけどもいけども被災集落が続いていた。被災前、すでに新型コロナウイルスの影響で経済的打撃を受けた人たちにとっては、さらに深刻だ。漬けもの店、ラフティング業者、釣り師、「鉄印帳」の発案者がいる鉄道会社……。水害から球磨川流域で暮らす人々を訪ねると、直面している問題に、先が見通せずにいた。(編集委員・東野真和)

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どっと水が入り、助けられなかった

「ここで親父はうつぶせで亡くなっていました」

球磨川がすぐ南を流れる人吉市紺屋町、創業86年の漬け物店を営む永尾禎規さん(56)は、自宅兼店舗の一室を指さして答えた。濁流が迫る中、永尾さんが、父の誠さん(88)を2階に避難させようとした。しかし、誠さんは認知症が進行し、恐怖のせいか体が固まって動かない。母をおぶって屋上に上げ、戻って体を引っ張った。やはり動かず、バールでトタン塀を破って助けを呼んでいるうちに店内にどっと水が入り、助けられなかった。

建物は江戸時代の職人町だった頃からそのまま残っている。店内にはかつて使っていた大きな漬けもの樽や瓶(かめ)が散乱していた。豪雨の前には、貴重な文化財として町歩きの展示場所にする話が進んでいた。

父の死を悲しむ時間さえない。3代続く店を絶やすわけにはいかないが、資金繰りがつかない。コロナ禍で、大口の旅館や温泉施設、スーパーなどから注文がなくなり、今度の水害で得意先がほとんど壊滅した。「どぎゃんもしようない。何から手をつけたらいいか」

永尾さんが2歳の時にも川が氾濫(はんらん)した。「また水害になることも考えると、この店を直してまた住むべきなのかどうか、方針はまだ決まりません」

人吉市内の事業所は、1900軒のうち半分近くが被災した。補助金申請の手続きは鈍いという。

3代続く漬けもの屋の永尾禎規さん。「親父はここで亡くなった。助けられなかった」
3代続く漬けもの屋の永尾禎規さん。「親父はここで亡くなった。助けられなかった」

「旅館も飲食店も客が来ない」

永尾さんの漬け物店から球磨川を10キロほど西に下る。14人が犠牲になった特別養護老人ホーム「千寿園」がある球磨村渡地区の川岸に、付近のラフティング業者の草分けである、迫田重光さん(53)が川を眺めていた。災害時は、社員らとボートを使って千寿園の入所者ら20人ほどの住民を救助した。

船下りだけだった球磨川で27年前、ラフティングボートで楽しむレジャーを始め、今は20業者が年間3億円ほど売り上げていた。「呼び込んだ客が使うお金の経済効果は10億円くらいある」と話す。

川の中に車や鉄筋などが沈んでいる。撤去しないと、危なくて再開できない。河川を管理する国土交通省に頼むと「手いっぱいで、人の再建の方を優先してやる」との回答が返ってきたという。

社員たちは、陸を片付けて早く川に手を付けてもらおうと、家の泥だしなどのボランティアを続けるが、「1、2年かかるだろう。その間は球磨川という観光資源が生かせない。旅館も飲食店も客が来ない。生業の復興はさらに遅れる」

そうでなくても、今年に入ってのコロナ禍で客は激減。迫田さんも1千万円借金して従業員の給料を払い続けていた。それも底をつきつつある。「今回の災害で、やめる業者も出てくるだろう」

周囲の30~40世帯はすべて被災し、今のところ住み続けると決めているのは2世帯くらいしかないという。観光業界が再生しないと雇用がなくなり地域に戻る人もいなくなる。

被災したラフティング会社前。社長の迫田重光さん(左)と釣り師の鮒田一美さんは球磨川の将来を憂えていた
被災したラフティング会社前。社長の迫田重光さん(左)と釣り師の鮒田一美さんは球磨川の将来を憂えていた

予約は3件だけ

「町の再生と川の整備は並行してやれんのか。観光が一番だけえ」

その話を聞いていた、友人の鮒田一美さん(64)は怒鳴った。プロの釣り師の鮒田さんも、先が見えない。

本当なら、アユ釣りが最盛期を迎えているはずが、川に光る鱗が見えない。「豪雨の影響で、川の石にヘドロがついてしまっていて、アユが食べるこけが生えていない」。この日の朝、鮒田さんは球磨川の川辺川との合流地点付近で、先輩釣り師の竹原郁男さん(73)がかけた網を見に行った。例年なら100尾かかっていてもおかしくないアユが、8尾しかかかっていなかった。

鮒田さんが釣れた魚を出す店は、例年だと10月は予約でいっぱいだが、今年は3件だけ。「水温が下がらない。これも豪雨の影響かもしれない」

店は、川辺ダムができれは水底に沈むはずだった五木村から移築した。2人の話は、復活の気配がある川辺川ダム計画の話になった。

「とんでもない。支流が40近くある。今回のような豪雨になったら、あれだけの支流を抱えきれるわけがない」(鮒田さん)

「2年前の岡山の豪雨被害も、ダムの放水との関係が指摘されている。住民を殺すために造るとしか思えない」(迫田さん)

竹原郁男さん。網をかけてもアユは10匹ほどしかかからなかった
竹原郁男さん。網をかけてもアユは10匹ほどしかかからなかった

「新しい駅をつくらないか」

鮒田さんの店に近い、相良村の球磨川にかかるくま川鉄道の鉄橋は、国の登録文化財だったが、流されてばらばらになってしまった。「妻が同級生」という鮒田さんの紹介で、第三セクターの永江友二社長(56)に人吉駅前の本社で話を聞いた。

「再開のめどはたたない」。車両が5両すべて浸水してしまい使えないため、部分開通もできない状態だという。

14駅、約25キロの小さな鉄道。永江さんはもともとパーマ屋さんだが、古民家再生や、祭りの復活などを手がけた活動が評価されて、筆頭株主の人吉市長から抜てきされた。最近話題の「御朱印帳」ならぬ「鉄印帳」の発案者でもある。

「2024年は、旧国鉄湯前線として開通して100年。それに合わせて開通を」と意気込むが、復旧費用の大半は国頼み。その算定に時間がかかりそうだ。

「幸福の名がつく駅(おかどめ幸福)や、学問の神様をまつる神社が近い駅など、14駅を人生になぞらえて売り込みたい」と色々アイデアを持っている。

しかし、課題は被害のほかにもあるという。出資している10市町村の首長の思い入れや温度差があり、思うように計画が決まらないことだ。いい案を出しても、特定の市町村だけが目立つ案は却下され、個性のない金太郎アメのようなイベントしかできない。

毎年の赤字は、各市町村から補てんしてもらっているので、強引にはできない。連絡するのも、「市町村長、副市町村長、担当部課長、担当者に、それぞれ伝えねばならない自治体もある」という。昨今、話題の国の無駄業務を見るようだ。

JR肥薩線も至る所で被災し復旧のめどはたっていない
JR肥薩線も至る所で被災し復旧のめどはたっていない

最近、改善されてきたとは言うが、復旧とともに、会社のあり方も見直さねばいけない。そんな話を聞いていた鮒田さん。「新しい駅をつくらないか」と突拍子もない提案をした。

その夜、永江社長を鮒田さんの店では、永江社長との熱い議論が続いた。

川が重要な地域資源になっている球磨川流域は、住宅再建と並行して川の再生を急がないと復興は進まない。それに向けた課題も多い。でも、こんな風に、危機感から何か新しいことが起きていくことを期待したい。

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