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「けんか師」菅首相が向き合う「誘惑」 解散という「両刃の剣」

橋本、森、麻生氏が残した「当たり前の教訓」

組閣から一夜明け、取材に応じる菅義偉首相=2020年9月17日、首相官邸、岩下毅撮影
組閣から一夜明け、取材に応じる菅義偉首相=2020年9月17日、首相官邸、岩下毅撮影

目次

9月に発足した菅義偉内閣が報道機関各社の世論調査で高い支持率を記録したことで、衆院の解散・総選挙の時期が政界の焦点の一つになっています。衆院議員の任期満了が来年10月に迫るなか、菅首相は「伝家の宝刀」をいつ抜くのでしょうか。歴代首相の決断をひもといてみました。(朝日新聞記者・磯部佳孝)

いまの選挙制度で「早期解散」は3回

解散権はすべての衆院議員の地位を一瞬にして失わせることができるだけに、人事権とともに、首相の権力の源です。「伝家の宝刀」である一方、選挙の結果次第では首相の退陣につながったり、与党の座から転落したりする「両刃の剣」でもあります。

いまの憲法下では、第1次吉田茂内閣から第4次安倍晋三内閣(第2次安倍政権)まで、24回の解散がありました。このうち、いまの選挙制度である小選挙区制となった1996年以降の8回の解散をみてみます。

【内閣=発足日/発足直後の支持率/解散日】
・第1次橋本龍太郎内閣=1996年1月11日/61%/1996年9月27日 
・第1次森喜朗内閣=2000年4月5日/41%/2000年6月2日
・第1次小泉純一郎内閣=2001年4月26日/78%/2003年10月10日
・第2次小泉内閣=2003年11月19日/41%/2005年8月8日
・麻生太郎内閣=2008年9月24日/48%/2009年7月21日
・野田佳彦内閣=2011年9月2日/53%/2012年11月16日
・第2次安倍晋三内閣=2012年12月26日/59%/2014年11月21日
・第3次安倍内閣=2014年12月24日/42%/2017年9月28日

内閣発足から1年以内に解散したのは橋本龍太郎、森喜朗、麻生太郎の3氏でした。その決断の結果は、三者三様です。

小渕恵三首相(当時)の急死にともなって緊急登板した森氏は、2000年4月の内閣発足から2カ月もたたないうちに解散を断行しました。この解散は、森氏を後継に決めた自民党実力者5人の会合に加わった旧小渕派の野中広務幹事長と青木幹雄官房長官が「小渕さんへの同情票が見込めるうちに」と考え、あらかじめ敷いていたレールでした。「日本は天皇を中心とする神の国」との森氏の発言への批判もあり、森内閣の支持率は発足直後の41%(不支持率26%)から、衆院選公示直前に19%(同59%)に急落。衆院選では38議席を失いました。その後も内閣支持率は低迷し、森内閣は短命に終わりました。

福田康夫氏の突然の退陣を受けて発足したのが麻生内閣です。「オタクの聖地」東京・秋葉原で人気だった麻生氏は約1年後に迫った衆院議員の任期満了を見据えて、「選挙の顔」として首相に担がれました。しかし麻生氏は「リーマン・ショック」への対応を優先して解散判断を先延ばしにした結果、解散は内閣発足から約10カ月後でした。麻生内閣の支持率は麻生氏の失言などの影響で発足直後の48%(不支持率36%)から、衆院選公示直前に19%(同65%)に下落。衆院選では181議席減という大敗を喫し、民主党政権の誕生を許しました。

森、麻生両氏と対照的だったのが、橋本氏でした。

首相就任後初の街頭演説をする麻生首相=2008年10月26日、東京都千代田区のJR秋葉原駅前
首相就任後初の街頭演説をする麻生首相=2008年10月26日、東京都千代田区のJR秋葉原駅前 出典: 朝日新聞

「実績」掲げて解散した橋本内閣

橋本内閣は、社民党の村山富市氏の辞任を受けて1996年1月にスタートしました。村山政権と同様、自民、社民(旧社会)、さきがけの三党連立による政権で、自民党にとっては1993年総選挙で下野して以来、2年半ぶりに手にした首相の座でした。発足直後の内閣支持率は61%(不支持率20%)と高い数字を記録しました。

橋本氏には、前内閣から引き継いだ「宿題」がありました。住宅金融専門会社(住専)の不良債権処理と、沖縄の米軍用地強制使用問題の2つです。内閣発足後の初めての通常国会は「住専国会」と呼ばれ、与野党が対立しましたが何とか切り抜けます。沖縄問題では、普天間飛行場の返還を引き出したり、橋本氏と大田昌秀沖縄県知事(当時)の対話によって県の協力をとりつけたりするなどして、解決の道筋をつけることにこぎつけました。

内閣が発足してから約8カ月後、橋本氏は臨時国会の初日に解散。「宿題」をやり遂げたことを「実績」に掲げて総選挙に打って出ます。解散直前の内閣支持率は48%(不支持率30%)。単独過半数には届かなかったものの、選挙前より28議席増やすことに成功しました。

実は、梶山静六官房長官(当時)は96年1月に官房長官に就任した直後、橋本氏に「今すぐ解散をやりたい」と進言していたそうです。実際は「宿題」の対応にあたったために解散に踏み切れず、梶山氏は解散直後の講演で「沖縄の方々の心を開くことができて初めて、橋本首相は(解散についての)フリーハンドを持つことができた」と明かしています。梶山氏の発言からは、高い内閣支持率の誘惑と解散判断の難しさがうかがえます。

橋本龍太郎首相は1997年3月25日、大田昌秀沖縄県知事と首相官邸で約2時間会談し、沖縄米軍基地の一部用地の使用期限が切れる問題で、駐留軍用地特別措置法(特措法)を改正する意向を知事に伝えた。写真は、会談前に握手する橋本首相(右)と大田知事
橋本龍太郎首相は1997年3月25日、大田昌秀沖縄県知事と首相官邸で約2時間会談し、沖縄米軍基地の一部用地の使用期限が切れる問題で、駐留軍用地特別措置法(特措法)を改正する意向を知事に伝えた。写真は、会談前に握手する橋本首相(右)と大田知事 出典: 朝日新聞

「国民のために働く」菅首相の決断は

「党利党略」や首相の失言ばかりが目立ってしまい、掲げられるような内閣の「実績」がないと、解散をしても衆院選で勝てない――。橋本、森、麻生3氏の決断からは、当たり前とも言える、こんな教訓が得られそうです。

菅首相の自民党総裁としての任期は来年9月、さらに、いまの衆院議員の任期は同年10月までです。このため、菅首相が来秋までに解散を決断するのかが政界の注目の一つになっています。

菅内閣発足直後に行った朝日新聞の全国電話世論調査(9月16日~17日調査)では、菅内閣の支持率は65%(不支持率13%)でした。調査方法が異なるので、単純な比較はできませんが、橋本内閣以降のスタート時の支持率としては、小泉純一郎内閣の78%(同8%)、鳩山由紀夫内閣の71%(同14%)に次いで3番目に高い水準です。

こうした高支持率とともに自民党内でにわかに高まったのが「早期解散」論です。自民党の下村博文政調会長は9月21日のBS番組で、高い内閣支持率を挙げ「自民党の若手はほぼ全員が早く選挙をやってもらいたい」と指摘。「(解散は)年内にあってもおかしくない」とも述べました。

一方、菅首相は「早期解散」に慎重な姿勢を強調しています。自らの内閣を「国民のために働く内閣」と称し、就任会見で「コロナの収束と経済の立て直し。まずこのことに全力を挙げて取り組む」などと述べています。菅首相にとって、安倍晋三前政権からの「宿題」は新型コロナ対応と言えそうです。

菅首相として初めての論戦の場となる臨時国会が10月26日に召集される予定です。会期は12月上旬までの見通し。臨時国会で菅首相は所信表明演説のほか、代表質問や予算委員会で各党との質疑に臨みます。こうした国会日程を踏まえて、解散時期について政府・与党内でささやかれるのは、(1)臨時国会終盤(2)1月召集の通常国会(3)総裁任期の満了間近――といった選択肢です。

はたして、菅首相は何を「実績」に掲げ、いつ「伝家の宝刀」を抜くのか。「けんか師」の異名もある菅首相の決断は――。まずは、臨時国会での菅首相に注目です。

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