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「今度は、絶対に、子どもを守らなければ」地震大国に暮らす外国人
世界でも大きな地震や、台風など、さまざまな自然災害がある日本。「日本で初めて地震を体験した」という外国人も多いようです。9月のある日、「災害体験ツアー」に参加したモンゴル人のお母さんは、強い決意を胸に秘めていました。外国人の視点で、災害大国、日本での暮らし方を考えます。
この記事は、日本で暮らす外国人をサポートする「ひらがなネット株式会社」(東京都墨田区)との共同企画です。本所防災館(同区)で出会った外国人の災害体験を3回に分けて配信します。
【イラスト】外国人の地震・台風の体験をイラストでも読むことができます
ゴゴゴ……、地響きのような音。長く続く横揺れ。モンゴル出身のエンフトールさん(32)は教わった通り、机の下に潜り込みました。
倒れそうになる食器棚、外からは民家の屋根瓦やガラス窓が崩れ落ちる音。揺れはたびたび大きくなりながら、1分間も続きました。
呆然とする周りの人に、エンフトールさんは「ガスの元栓をしめて」と言って、出口を確保しました。
本所防災館(東京都墨田区)の地震体験コーナー。
エンフトールさんはこの日、ひらがなネット(東京都墨田区)が主催するツアーに参加していました。
落ち着いたように見えたエンフトールさんでしたが、体験が終わると、生後半年の次男を抱きしめ、「3.11よりも怖く感じました」とつぶやきました。今度は、絶対に、子どもたちを守らなければいけないという覚悟。
頭には、約10年前の苦い記憶がありました。
東日本大震災の時、エンフトールさんは東京都中央区月島にある会社にいました。来日してまだ半年でした。
最初、揺れを感じた時、エンフトールさんは「何が起きたのか、まったくわからなかった」と言います。モンゴル人の同僚2人と、とっさに近くのバルコニーに出たそうです。
「外で何かあったのかもしれないと思ったんです。揺れているのがなぜかわからなかったので、とにかくバルコニーに出ました」。地上4階。造りももろく、後から「会社で一番危ない場所だった」と知りました。
バルコニーに出た直後、突如、立っていられないほどの大きな揺れに襲われました。何もできませんでした。見ると、日本の同僚たちは、みんな机の下に入っています。「机の下に入って!」と言われましたが、もうバルコニーから身動きがとれなくなっていました。
日本語が読めなくても伝わるように、外国人の体験談や災害を生き延びる方法をイラストで表現しました。特集はフォトギャラで見ることができます。イラストは、日本語教育分野で挿絵について研究している楢原ゆかりさん(早稲田大学修士課程2年)に描いてもらいました。
揺れが収まると、とっさに、エンフトールさんは会社の外に飛び出そうとしました。でも、日本の同僚が「建物の中にいて!外に出たら、上からガラスが落ちてくるかもしれない」と引き留めました。
そして、阪神淡路大震災を経験したことがある同僚は、「地震の後は、食べ物がなくなってしまう」と言って、すぐに近くのコンビニで飲食を買ってきて、分けてくれました。
帰宅途中、道を大勢の人が埋めていた異様な光景に不安になりました。「地下鉄が止まって帰れなくなった人たちが歩いているんだよ」。同僚が教えてくれました。
恐怖や不安の中、何が起きているか、どうしたらいいのかが分からない中、一つ一つの説明がありがたかったといいます。
その後も、モンゴル語で発信されているニュースではわからない、暮らしを立て直すために必要な情報は、日本語がわかるモンゴル人が、日本のニュースを訳して教えてくれました。
あれから10年。
同じ職場で働いています。エンフトールさんはモンゴル人の男性と結婚し、3児の母になりました。
長女は4歳、長男は2歳。そして生後半年の次男。
10年間で、再び大きな地震は体験していません。
「でも、また大地震はくる」と、緊張は増しています。
10年前には想像できなかった、地震が引き起こす途方もない被害も、知っています。そして「今は、子どもたちのことが頭にあるから、10年前よりも、何倍も怖く感じるんですよね」。
防災館でエンフトールさんは、地震や台風が起きたときのシュミレーションに、一番関心を持ちました。
子どもが保育園、夫は会社。そんな時に大地震が起きたら、どうしよう?
「東日本大震災の時は電話が通じなくなりましたよね。いざというときに、集まるところを決めておかないと」
避難では、離乳食が始まった次男のために、どんな食べ物を持って行ったらいいだろう?
何をしたらいいかわからずに不安でしたが、備えるべきことが見え、今度の休み、夫とともにホームセンターに行く約束をしました。
そして、防災館で考えたのは、自分の家の備えだけではありませんでした。
「家の近くの人のことも知りたいです」
首都直下地震の再現映像に、倒壊した家具で身動きがとれない隣人を、近所の人で助け合って救い出す場面があったことが印象に残りました。
もし身動きがとれない人がいたら、「今度は自分が助ける側になりたいです」。10年前、たくさんの人に助けてもらったように。
地震が起きたとき、職場の同僚や近所の外国人の中には、何が起きたのかわからない人もいます。
「地震です」
「机の下に入ってください」
そう声をかけてもらうだけで、状況がわかり、落ち着ける人もいます。
やさしさのポイントは、「ひらがなネット株式会社」に監修していただきました。
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