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コロナを排除したい欲望 磯野真穂さんと考える「異」と「違」

人類学者・磯野真穂さん。コロナを「異物」「違和感」の考え方でとらえると……
人類学者・磯野真穂さん。コロナを「異物」「違和感」の考え方でとらえると……

目次

どんなに気をつけていても「絶対にコロナに感染しないゼロリスクの生活」を送ることは難しい――。それでも現状では、患者や医療従事者が差別されたり、治っても「陰性を証明しろ」と迫られたりといった問題が起きています。私たちは病や健康をめぐる「リスク」とどのように向き合っていけばいいのでしょうか? 人類学者の磯野真穂さんは、「異」と「違」という人類学の考え方を紹介します。コロナを「異」ととらえ続けることで、「コロナに関する差別は起こり続けるのではないでしょうか」と指摘します。

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8月25日夜に開かれたオンラインイベント「磯野真穂さんと考えるリスクとの向き合い方」の内容から記事を構成しています。3回に分けてお伝えします。
◆イベントの記事の初回「コロナなければ幸せだった? 磯野真穂さんと考えるリスクと自己責任」はこちらから
◆イベントの記事の2回目「コロナに重なる「エイズ患者」騒動 磯野真穂さんと考える差別の連鎖」はこちらから

自分の境界に入ってほしくない「異物」

――コロナは今、絶対にかかりたくない、自分の境界に入ってきてほしくない「異物」になっているのですね。

コロナにかかって亡くなった方もいます。すごく悲しいことですが、「病気で人が亡くなる」ことは残念ながら生きていれば必ず起こる現象です。
だからこそ、場所や時代を問わず、人間は色々なやり方で病気と死を引き受けてきました。いい悪いという価値の議論は別にして、今回のように「命が大事」といって、元気な人の動きを一斉にこのレベルでとめたのは、人類史初めてなのではないでしょうか。

――「怖さ」で振り返ると、私には世界で一番怖い虫がいます。これも「異物」だと思うのですが、どう向き合ったらいいんでしょうか。

コロナが怖い人にとっては、例えに虫を持ち出すことにイラッとくるかもしれません。でも、「怖い」ことは「秩序の問題」だと考えるのが文化人類学です。

虫が怖い人は、虫が入ってくることで、自身の環境の秩序が激しくかき乱されるわけですよね。

――私がその虫を怖いと思ってしまうのは、動きが読めないし、部屋を汚くしていたからかなと考えてしまうからだと思います。

なんでゴキブリを汚いと思うのでしょうか。

――ゴミ捨て場で見るからでしょうか……

北海道の人には怖くない人もいるそうですよね。その辺にいる虫と同じです。怖いと思う人にとっては生活空間に現れた虫。しかも汚いところからやってくるもの。だからなんとしても排除しないと、と思うのではないですか。

これはコロナと似た構造です。こんなに清浄な世界だったのに、それがゴキブリという異物によって汚されてしまった。それはとても怖いことで、だからこそ安心で綺麗な空間を取り戻したい。だから何があっても排除しないといけない、という考え方です。

「異物」と「違和感」

人類学者の山口昌男は著書『文化と両義性』の中で「異物」と「違和感」の話をしています。
「異」は自分にとっての外部、「違」は内部に存在する何かだと定義しています。

異物は外部からやってくる排除したい何かになりやすい。たとえば腫瘍は「異物」です。
他方で、「違」は、少しいやな感じがするけれども、ギリギリ無視できるものです。「腰に違和感がある」と感じるとき、「腰をとろう」と思う人はいませんよね。調整することで何とかしようとします。やりすごせる何かです。

どのくらいの案配を見つけるか

部屋の模様替えで例えると、自分の部屋をインスタに上がっているような美しい部屋に模様替えしようと思ったら、今までは「ちょっと部屋に合わないけど、まあ使えるしいいや」と思っていた、すなわち「違」として認識されていた家具も、取り換えられなければいけない「異」に変わるでしょう。

この考え方はコロナにも応用できます。
「コロナを徹底的に排除すれば平和が保たれる」といった形でコロナを「異」として捉え続ける限り、コロナに関する差別は起こり続けるのではないでしょうか。ワクチンができたとしても、インフルエンザのワクチンと同じように、接種してもかかる人はいるでしょうから、状況はあまり変わらないかもしれません。

コロナへの対応については、どのくらいの案配を見つけるかにかかっているのではないでしょうか。
異物として見なすのではなく、違和感として社会に置いておけるかどうか。今の社会はその置き場を探している段階なのかなと思います。

――参加者の方からは「死ぬまでマスクをしなければならないと思うとぞっとします」というコメントもありました。

今の社会には肥大化したコントロールの欲望があります。
死ぬまでマスクをし続けるといったことはおそらく起こらないと思いますが、このコントロールの欲望を肥大化させたままにしておくと、その欲望によって何が犠牲にされているかを捉える視点が欠けてしまいます。

――「コミュニケーションが変わってしまうと考えていますか」という質問もありました。

すでに変わってしまったコミュニケーションのあり方が、今後どうなるかは、先ほどお話ししたように、私たちが社会のどこにコロナの置き場を作るかにかかっていると思います。

「なぜ」の議論ができたら歩み寄れる

――「コロナのナラティブ(語られ方)で言えば、〝戦争〟の比喩が飛びかったことも気になりました。まさに『異物』排除に繋がりやすい比喩のような気がします」というコメントも届きました。

コントロールの欲望が分かりやすく出ている比喩だと思います。コロナに勝つということはつまり、適切な対策を取ればそれを管理下におけるということですよね。

――最後に、コロナへの「怖さ」の度合いも含めて、それぞれの「怖さ」が違っている人とのコミュニケーションは、どんなことに気をつけたらいいのでしょうか。

お互いが「なぜ」を聞き出せればいいのだと思います。
「怖いこと」がぶつかるとき、お互いの「正しさ」がバッティングしています。

そうではなく、「なぜ」の議論が両方でできたら歩み寄れます。片方だけだとできませんが。両方の「なぜ」をしっかり議論することが大切だと思います。

磯野真穂(いその・まほ)
人類学者。1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒。オレゴン州立大学応用人類学修士課程修了後、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
「人がわからない未来を前にどう生きるか、人類学の魅力を学問の外に開きたい」と、「独立人類学者」として活動中。著書に『ダイエット幻想ーやせること、愛されること』『​なぜふつうに食べられないのか』、哲学者・宮野真生子氏との共著に『急に具合が悪くなる』。
磯野真穂|人類学者

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