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コロナなければ幸せだった? 磯野真穂さんと考えるリスクと自己責任

人類学者・磯野真穂さん。コロナのように「〝怖さ〟を伴う話題は、対立になりがちなので慎重にしないといけない」と語ります
人類学者・磯野真穂さん。コロナのように「〝怖さ〟を伴う話題は、対立になりがちなので慎重にしないといけない」と語ります

目次

どんなに気をつけていても「絶対にコロナに感染しないゼロリスクの生活」を送ることは難しい――。それでも現状では、患者や医療従事者が差別されたり、治っても「陰性を証明しろ」と迫られたりといった問題が起きています。私たちは病や健康をめぐる「リスク」とどのように向き合っていけばいいのでしょうか? 「リスクは私たちから離れて存在するのではなく、私たちに発見され、指を差されることでリスクとして立ち現れる」と指摘する人類学者の磯野真穂さんと考えました。

ふだん何を恐れて生きているか?

8月25日夜に開かれたオンラインイベント「磯野真穂さんと考えるリスクとの向き合い方」。冒頭、磯野さんは「ふだん何を恐れて生きていますか?」と参加者に問いかけました。参加者からは「健康が損なわれること」「満員電車」「病気になって働けなくなること」といった意見が上がりました。この記事はイベントの内容をもとに構成しています。

――現在の日常で何を恐れて生きているか、「コロナに感染したときに会社に迷惑をかけるのが怖い」という意見が参加者の方から寄せられました。

いま、コロナに感染することを恐れている人は多いと思います。
ですが、コロナウイルスは目に見えません。周りに感染した人がいないという方もいらっしゃるでしょう。それにも関わらずなぜコロナが怖いと思ったのでしょうか?

――記事や映像を通してコロナにかかるとこんなにひどい症状が起きる、後遺症が起きるという情報を知っているからでしょうか。もしくは、自分がどうなってしまうのか分からなくて怖いとか。私は普段は特に何も気にしていませんが、がん検診のお知らせがくると「がんになったら怖いな」と思ってしまいます。

今ある状況が壊れるのが怖いのかもしれません。「検査」によって、病気になる可能性が見せられてしまいます。
PCR検査も同様ですが、がん検診も、1回やったからといって「大丈夫」でも「十分」でもありません。検査した翌日に陽性になっているかもしれませんよね。

「何を恐れて生きているか」を伺ったのは、うちから自然に湧き上がる恐れがどんな情報から生じているかを考えてみてほしかったからです。

――仕事に関わる恐れとして、「失業が怖い」という意見もありました。

失業した時、失業保険や生活保護といった公的サポートもありますよね。したがってそれを知った上でも怖いと感じるのであれば、本当に怖いのは例えば「失業」ではなく、失業の先に想像される人生なんだと思います。
コロナが怖いという方も、コロナそのものに感染してしまう怖さだけでなく、それが引き起こす社会的影響に対する怖さまで、その怖さの理由にはバリエーションがあるはずです。

いずれにせよコロナに代表されるような「怖さ」を伴う話題は、対立になりがちなので慎重にしないといけません。「怖さ」同士がバッティングすると憎悪すら伴う激しい対立になってしまうからです。

リスクは「指を差されることで立ち現れる」

――そもそもリスクとは何なのか掘り下げて考えたいと思います。「リスクは私たちから離れて存在するわけではない」と磯野さんはおっしゃっています。これを私は、がん検診で「がんになるリスク」が可視化されて出てくるととらえました。

リスク研究については、メアリ・ダグラスの考えを紹介したいと考えています。彼女は「リスクというのは生きていれば大量にある」と言います。

いま大地震が起きてビルが崩れるかも、私が帰る間に車にひかれて死ぬかもしれません。
けれど、横断歩道を渡ることや車に乗ることを「リスクだ」と考える人は少ないでしょう。「交通事故で人が死なないように車をやめればいい」とは言いません。

ダグラスはある特定の時期、特定の社会において、ある特定の「リスク」が強調される場合があると指摘しています。
今は、大量に存在するリスクの中で、「コロナ」が一番気をつけなければならないリスクとして立ち現れています。

BuzzFeedのインタビュー記事では、感染予防のために人権まで制限することへの違和感や、経済活動が止まることで生まれる問題の大きさなどについて、述べました。覚悟して出しましたが、「磯野はどれだけコロナが怖いか分かっていない」「医療者のことも分かっていない」という批判がきました。
じゃあ、コロナさえなければこの社会はそんなに幸せなんでしょうか? なんのリスクもなく暮らせますか? そういうわけではありません。

混み合うハローワーク リスクは「コロナだけ」ではない

私は4月に大学を退職したので、ハローワークへ行ったんです。初めてハローワークに行って、失業しても生きていけるソーシャルサポートが結構あるんだなと経験しました。

ハローワークはとても混んでいました。朝8時から人が並んでいて、外にまで列が伸びていました。こちらの「失業のリスク」は今、コロナのリスクと同じ強度で指を差されているでしょうか。

コロナが怖いと言っている人は、失業者がたくさん出ることを怖いと思っていないかもしれません。こういう言い方をすると、「感染が広がってもいいのか」と言われてしまうけれど、決してそうではありません。リスクはコロナだけではないということです。

リスクと危険の違い

――磯野さんは「リスク」と「危険」の言葉の違いを指摘されていますね。

この言葉の違いについては、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックが重要な提言をしており、これは実は、私たちが何気なく使う、「リスク」と「危険」の使い分けにも現れています。

「危険がふりかかる」という言い方はするけれど、「リスクがふりかかる」とは言いませんよね。「リスクをひきとる」「リスクを引き受ける」とはいうけど、「危険を引き受ける」とは言いません。

端的に言うと、危険には「責任」が伴いません。リスクには伴います。
参加者の方から、「コロナにかかって責められることが怖い」という話が出ていましたが、責められるのは、「コロナのリスクをマネジメントできたのに、しなかった」とされるからですよね。

人通りの少ない東京・歌舞伎町。営業していない店舗も見られた=2020年4月8日午後7時、東京都新宿区、嶋田達也撮影
人通りの少ない東京・歌舞伎町。営業していない店舗も見られた=2020年4月8日午後7時、東京都新宿区、嶋田達也撮影 出典: 朝日新聞

伝統的な社会では単に危険、あるいは運の悪さに帰結されていたことが、この現代社会では人間による管理が可能なものにどんどんと変貌しました。

何かが起きたらその責任を取らされるという恐れ。それは「誰がなってもおかしくない」と一方で言いながら、他方で「これは人間によるコントロールが可能な病気なんだ」という信念が社会に共有されているからこそ生じます。
たとえば、イベントをやる際に、登壇者の間にアクリル板が置いていなければ「感染予防をしていない」と批判が来る可能性があります。スーパーでマスクをしていない人がいたら「感染が広がる」と批判が来るでしょう。マスクをしていることが今、リスクヘッジとされているからですね。

2020年5月5日、例年ならばUターンラッシュで混雑する東名高速の海老名サービスエリア。駐車場には空きスペースが目立った=神奈川県海老名市、朝日新聞社ヘリから、高橋雄大撮影
2020年5月5日、例年ならばUターンラッシュで混雑する東名高速の海老名サービスエリア。駐車場には空きスペースが目立った=神奈川県海老名市、朝日新聞社ヘリから、高橋雄大撮影 出典: 朝日新聞

――でも、感染を完全に防ぐことはできません。私よりも手を洗って、マスクをして、感染予防に気をつけていただろう知人がコロナに感染しました。

私たちは、本当はコントロールできないことすら、コントロールできるんだと思い込みたいのではないでしょうか。
「可視化されたリスクはなんらかの形でコントロールできるに違いない」という現代社会の特異な「当たり前」が、恐怖と分断を生んでいます。

リスクが可視化されて名付けられている

テレビでは先日、コロナ時代の大皿料理のとりわけ方をやっていて驚きました。
なぜこんな内容を朝から取り上げるんだろうと不思議に思い、テレビ局で働くスタッフに聞いたら、コロナの特集をしないと視聴者が見てくれないからであると。番組の作り手のリスクは「視聴率が下がること」なんです。

だんだんやることはなくなってくる。尺を埋めるには、大皿料理のとりわけ方、マスクの種類を変えたときのリスクといったように、細部に分け入っていくしかない。「メディアが悪い」とも言えますが、視聴者が求めている部分もあります。

また様々な形でメディアではリスクが可視化されます。例えば、飛沫がどうアクリル板を超えていくかをスーパーコンピューターが可視化する。加えて、飛沫の一つにウイルスが千個付着しているといった情報がイラストともに伝えられる。このような情報の拡散は間違いなく恐怖を増幅させるでしょう。

――参加者の方から「歯磨きしながらしゃべっただけで妻から怒られた」というコメントがありました。

家族の中でもリスクの捉え方が異なると、けんかになりますよね。東日本大震災の時、放射能をどうとらえるかでも起きたことです。
その「怖さ」の裏側にあるものを考えることで、どこで落とし前をつけるかも考えられるのではないでしょうか。

磯野真穂(いその・まほ)
人類学者。1999年、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒。オレゴン州立大学応用人類学修士課程修了後、早稲田大学文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
「人がわからない未来を前にどう生きるか、人類学の魅力を学問の外に開きたい」と、「独立人類学者」として活動中。著書に『ダイエット幻想ーやせること、愛されること』『​なぜふつうに食べられないのか』、哲学者・宮野真生子氏との共著に『急に具合が悪くなる』。
磯野真穂|人類学者

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イベントの様子は3回に分けて記事でお伝えします。第2回は24日配信予定です。

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