東京五輪日本代表に内定したカヌー・スラロームの足立和也(29)選手。カヌーの名門・駿河台大学を中退して世界への挑戦を決意、環境の良い山口県に移住して練習を積みました。
コーチ宅に居候、アルバイトをしながらの海外遠征――苦労が実を結び、ついにライバルを逆転してオリンピック初出場へ。しかし2020年3月24日、そんな足立選手の元に「東京五輪延期」のニュースが届きます。
先の見えない社会情勢の中、それでもカヌーというマイナー競技に取り組む理由とは。どうして「人生をかける」ことができるのでしょうか。足立選手本人が紹介します。
「カヌー競技の魅力を教えてください」と言われると、ちょっと困ってしまうことがあります。よく聞くのが「自然と一体になること」なのですが……実は僕はあんまり。虫とか好きじゃないので(苦笑)。僕はカヌーのことが、あくまでレース競技として好きなんです。関わる要素は人の力と水の流れだけ。それぞれ計り知れないものなのに、レースをしてみると、結果のタイムはコンマの差になる。こんな競技、他にはなかなかありません。
簡単に僕の競技、カヌー・スラロームの説明をしておくと、コースは、全長250~400m。コース上には2本のポールでできたゲート(旗門)が18~25個あります。ゲートは通過順序が決められており、上流から下流に通過するダウンゲートと、下流側から上流側に通過するアップゲートがあります。スタートからゴールまでの所要タイムと、各ゲートを通過する際のペナルティータイム(ポールへの接触やゲーツ未通過)によって勝敗が決定します。
誤解されがちなこととして、カヌー・スラローム競技は人工コースで開催されるため、自然の川を相手にするわけではありません。したがって、あまり運不運の要素はない。ただし、人工の流れはあるため、もっとも重要なのは状況判断になります。例えば目の前に大きな波があるとして、その瞬間は上り坂ですが、自分がそこにたどり着く1秒後には下り坂になっている。それぞれ漕ぎ方が異なり、判断を違えれば大きなロスになります。
見どころとしては、やはり激流の中、選手たちが自由自在にカヌーを操るところでしょうか。そして少しマニアックですが、漕ぎ方がそれぞれまったく違う選手たちが、あるポイントでみんな同じ動きをする。コンマの差を追究し続けた結果、レースごとに最適解が生まれるんです。システマチックかつ合理的な頭脳戦で、読みを外した選手はたちまち圏外。そんなヒリヒリした勝負が、僕にとってはカヌー競技の魅力なんです。
カヌーに乗り出したのは3〜4歳の頃。僕自身は記憶がないのですが、地元の相模原にあったアウトドア系の幼稚園で、カヌー体験をしたのがきっかけです。水の上に浮く、「怖い」と「わくわく」が入り交じる感覚だけは今でも覚えています。家族にカヌー経験者がいるわけでもなく、以降は熱意の差はあれど、自分の意志でずっとカヌー競技を続けてきました。
運動神経は悪い方ではなく、野球やバスケなども好きでした。それでもマイナー競技であるカヌーを続ける原体験になったのが、小学校高学年のときに出場した草レース。その川で日本代表の合宿が併せて行なわれていて、リオ五輪銅メダリストの羽根田選手のお兄さんが出場されていたんです。「あんなに上手にカヌーを操れるのか」と憧れて、中高まで続けました。高校生のときに、世代別(18歳以下)で世界選手権に出場できたことも大きいですね。
でも、自分の中でカヌーは学生のうちだけのスポーツでした。社会人になっても続けるつもりではなかったのですが、大学生のときに出場した世代別でない世界選手権で惨敗し、たった数年の間に他国の同世代の選手たちと大きなレベルの差がついてしまったことを痛感したんです。ちょうど就職活動も始まり、先のことを考える時期で、もう一度カヌーのおもしろさを発見した。負けず嫌いなので、やるなら人生をかけてやろうと大学中退を決意しました。
企業に就職して、安定しながら競技に取り組むこともできました。世界でまったく通用しないことも十分にあり得た。それでも飛び込んだ理由は、一番は興味です。大きな差がついた他国の同世代の選手も10位とかそれくらい。トップオブトップになったとき、どんな景色が自分の目に映るのか。それが今も一番の原動力です。飛び込んだらいろんなものが見えてきて、一歩一歩、進んできた。そうやって東京五輪までたどり着いた感じです。
子どもの頃、「オリンピック選手になりたい」と思う人はたくさんいます。でも、実際に五輪代表になる人は多くありません。自分自身のケースを振り返って必要なのは「誰にも負けない情熱を持ち続けること」ではないでしょうか。この「持ち続ける」がもっとも難しいからです。20歳、25歳になっても本気で「オリンピック選手になりたい」と思い続けられるかどうか。追い詰められたり岐路に直面したりして、ほとんどいなくなってしまうので。
僕は大学を中退して山口に移住し、市場大樹コーチの元に転がり込みました。練習の時間以外は、競技場の近くのレストランでアルバイト。シフトを融通してもらったり、まかないを食べさせてもらったりと、応援してもらいました。そうして貯めたお金でヨーロッパに遠征。当時はとにかくお金がなかったので、1kg2kgのお芋を買い込んで湯がいたものをコーチと食べながら、練習と、他国の選手の観察をしていました。
もちろん、そんなことをしても、まったく芽が出なかったかもしれない。努力だけでは結果が伴わないことも理解しています。それでも、競技に対して真っ直ぐだったから、次第にレースでも上位に入れるようになり、所属先やスポンサーが決まり、環境がついてきました。少なくとも、努力を続けていれば、応援してくれる人が周りに集まってきます。そのことは自分の人生にとっても大きな財産です。
世界選手権という目標もあります。五輪は特別な舞台ですが、世界選手権の順位はカヌー選手にとっての名誉。1カ国1人までのオリンピックと違い、1カ国3人まで出場できるので、ヨーロッパの強豪国から3人ずつ来ることを踏まえると、オリンピックよりもレベルが高いこともままあります。東京五輪開催への不安や練習環境の問題もありますが、それよりも今はとにかく、「世界一」というブレない目標だけを持って練習を積んでいきたいです。