連載
#2 帰れない村
「100年は帰れない」と言われた集落 行政区長は記録誌を作った
「『100年は帰れない』と言われてね……」
旧津島村にある赤宇木集落の行政区長今野義人さん(76)は、机に置かれた大学ノートの束に視線を落とした。ページをめくると、無数のメモが細かな字で書き連ねられている。
2011年秋、赤宇木集落の住民を対象に、国の説明会が開かれた。会合の場で、担当者は言った。
「このまま何もしなければ、100年は帰れないと思います……」
そうなのか、100年間も帰れないのか――。
義人さんはその通告に打ちひしがれながら、2014年秋、たった1人で赤宇木の記録誌を作り始めた。
タイトルは「百年後の子孫(こども)たちへ」。
赤宇木は85世帯約230人が暮らす美しい集落だった。秋にはお互いに収穫した作物を持ち寄り、小さな祭りを楽しんだ。
「誰もが故郷に思い出があるはずだ。本当に100年後に帰れるのなら、その思いを子孫に語り継がなければいけないと思ったんだ」
福島県内外で避難生活を送っている住民に家族の歴史や記憶をつづったメモを郵送してもらい、高齢で返信ができない人には義人さん自らが避難先を訪ねて聞き取っていった。
編集作業にかかった年月は丸5年。深夜まで不慣れなパソコンに向き合い続け、2020年2月、協力者の力を借りてようやく脱稿にこぎ着けた。新型コロナの影響で製本作業は遅れているが、住民から借りた思い出の写真や、全世帯のエピソードをちりばめた、A4サイズ約600ページの大作だ。
避難先である白河市の山裾にある一軒家。義人さんは、完成した原稿の一部が映し出されたパソコン画面を見つめながら、「でも、なぜか悲しいのです」と私に言った。
赤宇木の住民は現在約190人。この9年半で、すでに約40人が亡くなってしまった。
「年を追うごとに、知人や親類が減っていく。赤宇木の記憶や故郷に戻りたいという思いも、同じように減っていくのだろうか」
三浦英之 2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
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