お金と仕事
柔道からアイスクリームの世界へ、松本薫さん支えた「先を考える力」
「何歳になっても年下からも教えてもらえる人でありたい」
31歳で柔道を引退後、現役時代から所属する会社で「乳製品・卵・小麦粉不使用」のアイスクリームの製造販売をする五輪金メダリストの松本薫さん(32)。2児の子育てと仕事を両立しながら切り開いた、まったく異なる世界でのセカンドキャリアを支えたのは、現役時代から培った「先を考える力」でした。「何歳になっても年下からも教えてもらえる人でありたい」と話す松本さんのセカンドキャリアを聞きました。(ライター・小野ヒデコ)
松本薫(まつもと・かおり)
リオデジャネイロ五輪出場後、結婚しました。「子どもができたら柔道を続けよう、子どもができなかったら柔道をやめよう」と決めたところ、第一子を授かり、柔道を続けることを決意しました。
その背景にあったのは、出産後に現役復帰する女性アスリートが少ない中で、事例を増やしたいという思いでした。産後1カ月で練習を再開し、夫と協力しながら、子育てと柔道の両立を図りました。
2018年8月、産後2回目の試合となった全日本実業柔道個人選手権大会がありました。これまで寝ても覚めても「どう勝つか」を考え、練習も人一倍励んできました。それなのに、勝ち進んでいくうちに、「つまらない」と思ってしまったんです。初めての感情に、自分自身が一番驚き、戸惑いました。
実は大会の前、子どもの体調不良等で満足に練習することができませんでした。それなのに、“勝つことができて”しまったのです。「練習ができていない自分でも勝てるんだ」と思ったことで、勝利への貪欲さが色あせていくのを感じました。
結果的に決勝戦まで進んだのですが、「もう(勝たなくても)いいかな」と思っていました。その時点で、勝負師としてダメだと思いましたね。その気持ちが競技にも表れ、決勝戦で敗れました。
それでも、まだ東京五輪を見据えていました。同年11月、五輪出場への切符がかかった柔道の全国大会「講道館杯」に出場しましたが、気持ちに火はつきませんでした。
初戦の最中、頭の中はとてもクリアで、「勝ったら、次も戦わなくちゃいけないんだよな」と考えていたことを覚えています。この試合は9分にも及ぶ長丁場となったのですが、「まだ試合が続くのか」とも思っていました。
結局、この1試合目で敗退するのですが、負けた瞬間「やっと終わった!よし、次に行こう」って思ったんです。そして翌年の2019年2月に、正式に現役引退を発表しました。
引退の理由は、産後に患った疲労骨折や、勝ちへの執念が失せてしまったことなどがありますが、一言でいうと、柔道より子どもの方が大事だったということです。
ご存知の通り、私は「野獣」と呼ばれていました。でも、子どもを産んでから、自分でも性格が丸くなったと感じています。出産前は、自分が納得するまでとことん突き詰めて練習をしていました。
組み手の練習を後輩とする際、畳から外れた床の間でもどこでも関係なく、手加減なしで投げ飛ばしていました(苦笑)。
その結果、「(松本薫の)被害者の会」というのが出来ていました。今でも、後輩から「あの時はひどかったです!」と怒られます(笑)それくらいストイックに柔道をし、周りからも怖がられていたのですが、人は変わるのだなと、自分でも驚いています。
これまで、目標は五輪で金メダルを取ることだけで、引退後の自分像は考えていませんでした。現役時代から所属するベネシードは、引退後の選手のキャリアもサポートをしていて、その点が大学卒業後に入社しようと思った理由の一つでした。
引退後、自分も何か会社の力になりたいと思っていたのですが、何がしたいかもわからない状況でした。そんな中、社内の全事業の話を聞かせてもらい、先輩に「一日中、パソコンと向かい合って仕事をする事務作業は向いていないのでは」とアドバイスをもらい、自分に合う仕事を考える機会を与えてもらいました。
そして、数ある事業の中で目を引いたのが「アイスクリーム事業」でした。低糖質で、白砂糖や小麦粉を使っていない「ギルトフリー」のDarcy’s(ダシーズ)は、会長が30年前から温めていた事業でした。
「好きな仕事をしていい」と言ってもらったことで、元々アイスクリームが好きだったのと、現役時代に「ヘルシーなアイスが食べたい」と思っていたことを思い出しました。何より、単純に柔道よりアイスを仕事にした方が面白そうと思ったため、アイス事業を担当したいと伝えました。
ダシーズの特徴の一つは、アガベシロップやてんさい糖など、「糖の質」にこだわっていること。私は元アスリートということもあり、自分の体に敏感です。
例えば、「体重に反映するまでの脂肪のつき方」がわかります。また、一般的な30代前半女性より代謝量が多いため、アイスを試食して太るようなことがあったら、それはコンセプトに合わないと判断することができました。
柔道家から食の道へと進みましたが、実は「藪から棒」ではないんです。父は地元石川・金沢市で料理人をしています。改めて振り返ると、父も母も料理が上手で、我が家の食事はいつも美味しかったんですね。小学生時代、遊びに来た友人が親の料理を食べた時「おいしい!」と、声をあげるほどでした。
今考えると、育ってきた中で食に対する高い基準が自然とできていたのだと思います。今はアイスの販売や新商品の試食などをしているのですが、仕事の相談を時折父親にすることもあります。
今、新型コロナウィルスが感染拡大していますが、より健康志向が高まっていると感じています。低糖質の食品は「おいしくない、満足しない」と思われがちなので、その概念を変えたいですね。「世界へ発信するアイスクリーム」を目指し、奮闘中です。
根本にあるのは、健康的でおいしいものを食べて、世の人に長生きしてほしいという思いです。
育児と家事と仕事の両立は大変です。一度、夫婦間の家事分担の割合に納得がいかず、私が爆発をしたことがありました。その際、朝から晩まで何を考えて、どういう行動を取っているか、全て書き出して夫に提示しました。
夫は「自分も(家事、育児を)やっている」と思っていたのですが、その紙を見て、全然足りていないことに気づき、反省してくれました。それからは、夫が家事育児に協力的になり、私も疲れたら夕飯に惣菜を買い足すなどして、無理のないように両立を図っています。
無意識ですが、柔道でも、仕事でも、家庭でも、自分が目指すゴールへたどり着くためにどうしたらいいかを常に考えています。振り返って、現役時代の経験で一番役に立っていることは、この「考えること」です。
後輩アスリートたちに伝えたいことは、時間も含めて条件は皆いっしょだということ。柔道においては、畳にあがった時点で、結果は勝ちか負けの二つしかありません。今できることを後悔しないように取り組んでいってください。
引退したトップアスリートなど、何かの分野で実績を残した人が一から新しい仕事を始める時、プライドが邪魔することもあると思います。大切なのは「教えてもらえる人」になること。私自身、何歳になっても年下からも教えてもらえる人でありたいと思っています。
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