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連載

#26 山下メロの「ファンシー絵みやげ」紀行

大河ドラマが「観光地」をつくった…「ある土産」がない川越の歴史

鍵は「春日局」…ファンシー絵みやげで辿る観光史

埼玉県有数の観光地、川越のお土産。バブル時代に全国的に流行した「ファンシーなイラスト」を用いたお土産がない。
埼玉県有数の観光地、川越のお土産。バブル時代に全国的に流行した「ファンシーなイラスト」を用いたお土産がない。

目次

バブル~平成初期に、全国の観光地で売られていた懐かしい「ファンシー絵みやげ」。「平成文化研究家」の山下メロさんは、今はもうほとんど売られていないこの「文化遺産」を、保護する活動をしています。ファンシーなイラストを用いた商品は全国的に広がりましたが、なぜか取り入れなかった、あるいは取り入れられなかった観光地もありました。残された痕跡から、こうした観光地にある背景や信条について、山下さんに綴ってもらいました。
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ファンシー絵みやげ紀行

ファンシー絵みやげとは

「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称です。地名やキャラクターのセリフをローマ字で記し、人間も動物も二頭身のデフォルメのイラストで描かれているのが特徴です。
バブル~平成初期に全国の土産店で販売されていた「ファンシー絵みやげ」たち
バブル~平成初期に全国の土産店で販売されていた「ファンシー絵みやげ」たち

バブル時代がピークで、新しい商品を「出せば売れる」と言われたほど、修学旅行の子どもたちを中心に買われていきました。バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。

しかし、限定的な期間で作られていたからこそ、当時の時代の空気感を色濃く残した「文化遺産」でもあります。私はファンシー絵みやげの実態を調査し、その生存個体を「保護」するため、全国を回ってきました。

旅先、子どもの機嫌を保つためのファンシー絵みやげ

80年代から90年代、途中からバブル景気の後押しもあり「売れる商品」となったファンシー絵みやげは全国の観光地へと波及しました。探していくと、そこまで著名ではない観光地でも地名入りの商品が作られていたことが分かります。本当に文字通り津々浦々まで存在したのです。

メインターゲットである子どもが喜ぶ遊園地や動物園はもちろん、大人向けの温泉地や渋めの寺社仏閣にまでファンシー絵みやげは作られ売られていました。どんな観光地であっても、子どもと一緒に家族旅行で来ることはありますので、子どもにねだられて記念の土産品を買うこともあるでしょう。
ジョン万次郎をモデルとしたファンシー絵みやげ
ジョン万次郎をモデルとしたファンシー絵みやげ

渋すぎる場所で子どもが楽しめなかったり、ぐずったりした場合には「何か買ってあげる」ということが有効だったりします。とりあえず遊べるパズルなどのファンシー絵みやげを購入し、それに興じさせてる間に親が観光するという光景もありました。

「本当は売りたくない」専門店の葛藤

こうした需要もあり、「ここには無いだろう」と思える民芸品専門店や陶芸品専門店などであっても、念のため聞いてみると見つかったりします。

 

山下メロ

子ども向けのかわいいイラストがプリントされたものありますか?

 

店の方

実は……あります……
聞いてみると、申し訳なさそうに裏から在庫を出していただけることがあります。
 
専門店の意地として、できれば民芸品や、その土地の陶芸品しか置きたくない。しかし観光地には、団塊ジュニア世代と呼ばれる当時の子どもたちがたくさん訪れます。子どもには民芸品や陶芸品の良さは伝わらず、しかもお小遣いで買える値段ではありません。店に入ってこないか、入ってきても買わないことが多いでしょう。

 

店の方

本当は売りたくなかったけど、売れるから仕入れざるを得なかった

バブル景気により、「出せば売れる」という状況。そして人口のボリュームゾーンである子どもがたくさん来店する状況。この状況で、ファンシー絵みやげを扱わないという選択肢をした店はあまりなかったようです。

しかし、そのような「ファンシー絵みやげ全盛期」において、特定の店だけでなく「観光地全体」でファンシー絵みやげを扱わなかったと思われる場所が存在します。一体なぜなのでしょうか。

仏具しか見つからない土産店

まず私がそれを感じたのは、山梨県のとある寺院の参道です。たくさんの土産店が軒を連ねていたので期待して、端から入店していきましたが、まったくファンシー絵みやげが見つからないのです。店の方に聞いても、そんなものは売っていないと。行けども行けども仏具ばかりを売るお店しかありませんでした。ファンシー絵みやげだけではなく、最近発売されたご当地ストラップさえも見つからないのです。
ご当地キティは1999年、北海道で登場して以降、全国に広がった。(写真は2009年、京都で行われた「ご当地キティ」のイベント)
ご当地キティは1999年、北海道で登場して以降、全国に広がった。(写真は2009年、京都で行われた「ご当地キティ」のイベント) 出典: 朝日新聞

しかし最後の店で、地名は入っていませんがファンシーなキツネのキーホルダーが1つだけ見つかりました。

1つあるということは、他にもあった可能性があります。しかし、店の方はあまり話したくなさそうでした。よくよく聞くと、寺院の敷地で商売しているため、寺院の意向で取り扱う商品について制限されているというお話でした。

見つけたキツネのキーホルダーは、制限される前に作ったもの、もしくはその後に隠れて作ったものかもしれません。いずれにせよ今ではタブーのような存在になっていました。

その後、リサイクルショップなどでその寺院のファンシー絵みやげを発見しましたので、やはりファンシー絵みやげが作られ、売られていた時代が確かにあったようです。

川越にファンシー絵みやげがない理由

ファンシー絵みやげが見つからない理由をひもといていくと、その観光地の成り立ちに行き着くこともあります。

川越の街並み
川越の街並み

私にとって、どうしてもファンシー絵みやげを見つけたい観光地として埼玉県の川越がありました。

関東地方の小江戸として有名で、蔵造りの街並み、時の鐘、喜多院、本丸御殿など川越には観光スポットがたくさんあり、その蔵造りを使ったお店もたくさんあります。

そんな埼玉県屈指の観光名所である川越ですが、なぜかファンシー絵みやげが見つからないのです。

川越に比べマイナーと言えるような観光地であっても、その地名が印刷されたファンシー絵みやげを見つけてきました。なので、人気観光地である川越には、当然ファンシー絵みやげもたくさんあるものだと思っていました。

あまりに見つからないので、以前テレビ埼玉の情報番組に生出演したとき、視聴者の方に川越ファンシー絵みやげの情報を送ってくださいと呼びかけたこともあるほどです。しかし、それでも手がかりは寄せられませんでした。

現地で聞き込み…有力な情報

私は、まさにバブルのころ川越に住んでいましたので、小学校の行事などで何度も川越の観光名所に行きました。しかしその時のことを思い出してみても、ファンシー絵みやげを見た記憶がないのです。

もしかすると川越は、観光地のイメージを守るために伝統的な商品以外を排除する方針だったのでは……。もしそうだとすると、全国的にみてかなり珍しい観光地ということになります。

しかし、すでに現地には残されていないだけで、当時買った人から手に入れられていないだけの可能性もあります。本当にファンシー絵みやげが存在しなかったのかどうかを確認するため、別の地域のファンシー絵みやげを見せながら現地で聞き込み調査をしました。

どこの土産店でも「うちの店では売ったことないね」という回答でしたが、とある同世代くらいの店員の方はこんな反応でした。

「懐かしい!小さいころ旅行に行ったときに買ってた! でも、ここらへんでは見たことないね。ずっと川越に住んでるけど……」

これは有力な情報です。家業がずっと観光業で、ファンシー絵みやげのターゲットだった世代の方が見たことがない。そうなると、いよいよ存在しなかった説が濃厚になってきました。では、なぜ川越にファンシー絵みやげが存在しなかったのでしょうか。

「ファンシー」ではないお土産は存在している
「ファンシー」ではないお土産は存在している

川越を観光地に変えた大河ドラマ

まずは街角にある観光協会に相談しました。しかし、当時を知る人もおらず、情報も持っていないということでした。そして、昔の話であれば商工会議所に聞いたほうが良いと教えていただきました。

川越商工会議所
川越商工会議所

商工会議所では、職員の方が丁寧に対応してくださいました。話を聞くと、川越が盛り上がるきっかけとなったのは1989年のNHK大河ドラマ『春日局』でした。

その目玉となったのが、川越にある寺院「喜多院」にある「春日局化粧の間」。「春日局化粧の間」はもともと江戸城紅葉山御殿にあり、1638年の川越大火によって喜多院に移築されたものです。喜多院へ行けば春日局の部屋が見られるということで、川越への観光客が徐々に増えていったそうです。

喜多院
喜多院

しかし放送当時まで、地元は観光業にはあまり積極的でなかったようです。観光客数の変遷データを見せていただきながら、『春日局』の影響で1989年からだんだんと観光客が増えていったことを教えていただきました。徐々に川越という町に注目が集まり、色々と環境を整備していったようです。

『さきたま紀行』(埼玉新聞社出版部 昭和48年7月1日発行)
『さきたま紀行』(埼玉新聞社出版部 昭和48年7月1日発行)

そういえば、以前『さきたま紀行』(埼玉新聞社出版部 昭和48年7月1日発行)という、埼玉の観光について書かれた本を読んだことがありました。冒頭に「埼玉県には長瀞と三峰を除いて、これといった著名な観光地がない」と書かれています。昭和48年時点では著名な観光地として川越の名前は挙がっていないのです。

現在は提灯などが売られており、「ときも」というゆるキャラが活躍している
現在は提灯などが売られており、「ときも」というゆるキャラが活躍している

川越という「観光地」の成り立ち

まず、川越は1980年代以前に著名な観光地ではなかった。そして大河ドラマ『春日局』によって1990年代に少しずつ観光客は増えていった。それを受けて観光地としての環境整備が行われた。そしてその間にバブル経済が崩壊し、国内観光の景気も冷え込みました。
大河ドラマを記念した商品も存在する
大河ドラマを記念した商品も存在する

こういった理由から、ファンシー絵みやげが衰退に向かう時期に、観光地として盛り上がっていったのでファンシー絵みやげ作られなかったようです。

こうして私が導き出した答えは、観光地として注目されたタイミングの問題でした。2007年の世界遺産登録で注目が集まった島根県の石見銀山でファンシー絵みやげが見つからなかったのと似ています。

伝統的な蔵造りの町並みは、なんとなくずっと昔から人気観光地のような気がしていましたが、思わぬ歴史がありました。小学生時代に住んでいた川越の一面を、大人になってからこうして知るというのは、大変感慨深いものです。
そして、あれだけ全国各地で爆発的に作られたファンシー絵みやげの波に乗らなくても、ちゃんと人気観光地になれたということです。

それは、自分の故郷の1つとして頼もしいような、ファンシー絵みやげを愛する者としては寂しいような、複雑な気分なのです。

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