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なぞなぞ豆本、おみくじ…子どもたちを夢中にした遊べるキーホルダー
学校に持って行ける「背徳感」

「ファンシー絵みやげ」とは?
写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。

しかし、限定的な期間で作られていたからこそ、当時の時代の空気感を色濃く残した「文化遺産」でもあります。私はファンシー絵みやげの実態を調査し、その生存個体を「保護」するため、全国を飛び回っているのです。
「出しゃ売れた」時代、売れない理由考える方が非効率
それだけ景気が良くても、中には人気が出ずに売れ残るものもあったそうですが、売れなかった理由を考える暇があったら、また新作を売り出したほうが効率的だったと聞きます。「出しゃ売れる」という状態では、冷静に市場を分析しても上手くいかないことが多く、だったらどんどんトライしたほうが利益を生んだのかもしれません。

中でも特にマーケティングがされていると感じるのが、学校に持ち込める工夫がされているファンシー絵みやげです。
キーホルダーが人気だった理由
キーホルダーは和製英語ですが、基本的にはその名の通り鍵につける目的です。しかし、当時「かぎっ子」などと呼ばれた家のカギを持つ子どもに限らず、キーホルダーは使われていました。
その使い方は、ランドセルにつけることです。

観光地のお土産、中でも自分用に買うものは、その土地へ行ったことの証拠という意味が強くあります。かつては地名の書かれた観光ペナントを買って持ち帰り、部屋に飾るという文化もありました。ペナントでも「これだけの土地を制覇した」という証拠になり得るのですが、部屋に来た人にしか自慢できないという難点があります。

これが、キーホルダーの種類がひときわ多い理由の一つです。
「勉強に必要ない」と言っても…

しかし、そんなキーホルダーを作っているのは、学校指定の業者ではありません。白虎隊が恋愛に夢中になっているイラストなど、史実に関係なく子どもが喜ぶように翻案した商品を作ってしまう土産メーカーです。
キーホルダーが堂々と学校に持ち込めることを逆手にとって、さまざまなアイテムを「キーホルダー化」していったのです。勉強に必要ないけど、子どもが学校に持ち込みたいの……、それは授業中や休み時間に遊ぶ玩具やゲームです。
「キーホルダー化」していったおもちゃたち
ではどんな商品が生まれたのか、懐かしいキーホルダーのおもちゃを紹介していきます。
1979年に雑誌『My Birthday』が創刊されるなど、ファンシー絵みやげが多く作られた80年代は占いブームでした。そんな中、占いができるキーホルダーというものがいくつかありました。おみくじタイプのものやルーレットタイプのものがあります。


さらに「豆本」と呼ばれる小さい本のキーホルダーも流行しました。中でも実際に休み時間に遊べるのは「なぞなぞチェック100」というキーホルダー。こちらはロングヒット商品で、2020年現在でも販売されています。


テレビ番組「おれたちひょうきん族」のアミダババアなどが流行しました。

他にも、パズルができるキーホルダーも登場しました。ジグソーパズルを持ち歩くと紛失してしまうので、ピースをスライドさせるタイプの絵合わせパズルになっています。

そして、銀玉をゴールまで運ぶ迷路や、キャラクターをはじくジャンピングゲームのキーホルダーが思い出深い人も多いのではないでしょうか。


ルーレットタイプでも、漫画の最後のコマが変化するようになっていたり、点数を稼ぐようなゲーム性を持たせていたりと、子どもが喜びそうな仕掛けが工夫されています。

温度で色が変化する液晶印刷技術を用いたフィルム状の温度計や、体温チェックなども流行しました。中でも人気だったのは、このラブチェックカードです。2人で両端を押さえて、ハートが同じ色になると「アツアツ」ということが分かるのです。

キーホルダーからストラップへ
その後、バブルが崩壊し、だんだんとファンシー絵みやげの時代が終わります。1990年代末期には携帯電話の普及ともに、観光地みやげの主力商品もキーホルダーからケータイストラップへと変わっていきました。携帯電話を持ちはじめ、流行を作り出していた高校生が主役の時代です。

90年代後半、観光地ではストラップにその座を明け渡したキーホルダーも、玩具業界において躍進しました。ビデオゲームの名作パズルゲーム「テトリス」を小型化したキーホルダーや、バンダイの「たまごっち」などデジタルペットを育てるキーチェーンがヒットしたのです。「遊べるキーホルダー」の分野を、小型化・低価格化を実現したデジタルゲームが牽引し、独自の進化を遂げていきました。

遊びといえば、ファミコンなどのデジタルゲームがあった時代ですが、学校で隠れて遊ぶキーホルダーのアナログなゲームは、たとえ単純な子供だましであっても、背徳感も含めて子どもたちを夢中にさせました。
ファンシー絵みやげが活躍したのは観光地、そして学校です。当時子どもだった人は、誰かのファンシー絵みやげで一度は遊んだ経験があることでしょう。
「出しゃ売れた」
そんな好景気の中でも、「学校で遊びたい」という子どもの願いに寄り添い、気持ちを汲みとり、その需要を読み取って作られた商品があるのです。
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山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは原則隔週月曜日、山下さんのルポを配信していきます。