MENU CLOSE

連載

6230

#23 山下メロの「ファンシー絵みやげ」紀行

台風で被災、伊豆大島の「サロン・ド・キミコ」が守り続けているもの

「サロン・ド・キミコ」に込められた思い

伊豆大島で「くぼ0」を切り盛りする柳瀬キミ子さん=山下メロ撮影
伊豆大島で「くぼ0」を切り盛りする柳瀬キミ子さん=山下メロ撮影

目次

バブル~平成初期に、全国の観光地で売られていた懐かしい「ファンシー絵みやげ」を集める「平成文化研究家」山下メロさん。今はもうほとんど売られていないこの「文化遺産」を保護する活動をしています。今年2月に訪れたのは、昨年の台風の傷あとが残る伊豆大島。そこで出会った土産店の店主「キミ子さん」から、逆境でも立ち上がるバイタリティと、島の人を思うあたたかい気持ちを学んだのでした。

ファンシー絵みやげ紀行

「ファンシー絵みやげ」とは?

「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称です。地名やキャラクターのセリフをローマ字で記し、人間も動物も二頭身のデフォルメのイラストで描かれているのが特徴です。

写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。

バブル~平成初期に全国の土産店で販売されていた「ファンシー絵みやげ」たち
バブル~平成初期に全国の土産店で販売されていた「ファンシー絵みやげ」たち

バブル時代がピークで、「つくれば売れる」と言われたほど、修学旅行の子どもたちを中心に買われていきました。バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。

しかし、限定的な期間で作られていたからこそ、当時の時代の空気感を色濃く残した「文化遺産」でもあります。私はファンシー絵みやげの実態を調査し、その生存個体を「保護」するため、全国を飛び回っているのです。

初めて訪れる伊豆大島

2020年2月、私は伊豆大島へ向かっていました。伊豆大島は本州から最も近い東京の離島ながら温暖な気候で、ダイビングやサーフィンなどが楽しめます。他にも煙を上げる三原山に椿園、波浮港などさまざまな観光スポットがあります。

伊豆大島の中央に位置する三原山
伊豆大島の中央に位置する三原山
首都圏や伊豆半島からアクセスが良いこともあり、バブルの時代にはファンシー絵みやげも多数売られていた場所です。知り合いに椿娘の描かれたファンシー絵みやげを買ってきてもらったことはありましたが、私自身が訪れるのは初めてでした。 

私は伊豆大島へ到着して、すぐに元町港へ向かいました。なぜなら、どうしても気になっている土産店があったのです。その土産店のことはテレビで知りました。

台風のニュースで見た「土産店」

2019年10月12日 、のちに令和元年東日本台風と呼ばれるようになる大型の台風19号・ハギビスが本州へ上陸した日です。事前に首都圏直撃の予想が出ていたため、窓ガラスにテープを貼ったことを覚えている人も多いのではないでしょうか。テレビ各局は緊急の災害ニュース放送で、各地に出される注意報や警報を伝えていました。
千曲川の堤防が決壊し、水につかった北陸新幹線の車両=2019年10月13日、長野市
千曲川の堤防が決壊し、水につかった北陸新幹線の車両=2019年10月13日、長野市 出典: 朝日新聞
午後4時、台風19号は伊豆半島へ接近しており、暴風域に入っていた伊豆大島の映像が中継が放送されました。そこには2階部分が青いビニールシートで覆われた土産店が映っていたのです。その土産店は、伊豆大島に大きな被害をもたらした9月の台風15号によって、2階のガラスが割れ落ちていました。

報道によると、2階の大きな窓がなくなり一時的にビニールシートで覆っていたものが、強風で飛びそうになっていて、店主の方は別の場所に避難されているということでした。

避難されているというのは安心ですが、私が次に気になったのは「土産店」であるということです。 私はこれまで全国を回って「ファンシー絵みやげ」を売る土産店を探してきましたが、さまざまな理由で店が畳まれていくのを見てきました。今や観光地の衰退や跡継ぎ問題など、土産店を続けていくということは想像以上に難しいことなのです。

そして、災害によって店舗が被害を受けてしまったら――? 店を閉めることが選択肢にあがることは想像に難くありません。その土地の観光資産や文化を色濃く残すお土産たちも失われてしまいます。

そのうえ二度の台風により、商品である土産品自体にも、被害が出ている可能性があります。そうなると廃棄は免れません。もしかしたら、あの土産店の2階には、お土産の在庫が置かれているかもしれない……。
隅田川が増水し、川沿いの歩道も浸水していた=2019年10月12日、東京都墨田区
隅田川が増水し、川沿いの歩道も浸水していた=2019年10月12日、東京都墨田区 出典: 朝日新聞

その後も伊豆大島を心配していましたが、房総半島などの被害報道が中心となり、具体的な状況が分からないままでした。私はテレビを見ながら、状況が落ち着いたら必ず訪れようと決めました。

台風19号の約4カ月後、訪れた伊豆大島

そして冒頭のように、台風の約4カ月後、私は伊豆大島を訪れたのです。真っ先に向かった件の土産店は無事営業を続けており、私は胸をなでおろしました。しかし、足場が組まれた状態で、いまだに2階部分は修繕が終わっていませんでした。

当時の元町港の様子
当時の元町港の様子

 

山下メロ

ニュースでこちらのお店を見て心配していたのですが、まだ修復されていないのですか?

 

店の女性

島にある業者さんは限られています。本州から来てもらうにも滞在が必要になりますし、本州でも大きな被害が出ていてなかなかこちらまで手が回らない状況で、9月の15号から半年以上経って、やっと今復旧作業が始まったところなんです
恵比寿屋の外観
恵比寿屋の外観

 

山下メロ

私は昔のお土産を保護する活動を行っていまして、ニュースを見ながら、2階にその在庫があったんじゃないか、濡れて処分してしまったんじゃないかと心配していたのですが…

 

店の女性

2階は作業場だったので、在庫は置いていませんでしたよ

店の女性と話し、本州に遅ればせながらも復旧がすすんでいること、店の商品が無事だったことに安心しました。しかし、女性はこんなことを教えてくれました。

 

店の女性

昔の土産品を今も置いている店でしたら……くぼいちさんでしたけど、台風の被害が大きくてお店はもう取り壊されてしまいました
本当に土産店が台風被害で閉店してしまったということ。また、たった数カ月前にはあったものが、取り壊されて在庫も残っていないという事実。台風の被害の甚大さを実感しました。自分がもう少し早く伊豆大島へ来ていれば……そう考えると、非常に悔しい気持ちになりました。
災害品が値下げして売られていた
災害品が値下げして売られていた

「くぼいち」を探して

その後も私は元町港周辺の土産店を回り、いくつかのファンシー絵みやげを保護することができました。いくつかの店では今も台風被害の跡が残っており、まさに本州の業者と電話で相談しているところでした。

そしてどこのお店で聞いても「そういうものは、くぼいちにあったのに……」と言われる状況です。くぼいちの跡地に行ってみましたが、聞いてきたとおり建物はなくなっていました。
「くぼいち」があった場所
「くぼいち」があった場所
そんな中で、くぼいちを切り盛りされていた方は、もともと倉庫だった建物にいらっしゃるという情報を得ました。ここは訪ねる以外の選択肢はありません。それに 倉庫が無事ということは、昔の在庫が残されてるんじゃないか……急に希望の光が差してきました。
くぼいちの倉庫
くぼいちの倉庫

倉庫だった建物とされる場所へ行くと、「くぼ0」という貼り紙があります。おそるおそる中へ入ると、柳瀬キミ子さん(82)が出迎えてくださいました。

 

キミ子さん

いらっしゃい

 

山下メロ

昔のお土産品を集めているんですけが、くぼいちさんでたくさん売られていたと聞いて来ました

 

キミ子さん

台風で取り壊しちゃったけど、ここで店をやってるのよ

キミ子さんは初対面の自分にも気さくに話してくださいました。

 

山下メロ

ここに土産品の在庫はあるんですか?

 

キミ子さん

もうないんだよ。ここではこういう野菜を売ってるよ
倉庫だった場所で野菜を売るキミ子さん
倉庫だった場所で野菜を売るキミ子さん
ずっと続けてきた土産店が台風被害に遭って営業できなくなっても、土産販売に固執せず、今度は仮店舗で野菜を販売されているのです。

店が取り壊しになっているという状況に、少し心構えを持って店を訪れた私ですが、逆にパワフルなキミ子さんに驚かされました。
 
しかし私の本来の目的であるファンシー絵みやげは残されていませんでした。この活動で「過去の幻影を追う自分」と「現在を生きる土産店」が対峙する構図はしばしば発生しますが、今回ほど心を動かされたことはありませんでした。自分の活動は二の次で、このことを多くの人に伝えたいと、そう思ったのです。
お茶を飲んでいた男性に頼んで撮影してもらった。連写した上にピントが合っておらず男性の指まで映っているが、これもまた良い思い出の記録
お茶を飲んでいた男性に頼んで撮影してもらった。連写した上にピントが合っておらず男性の指まで映っているが、これもまた良い思い出の記録

お店が「くぼ0」になった理由

店内の様子
店内の様子

店内を見回すと、壁にキミ子さんの趣味とは言い難い年代のマニアックなレコードが多数飾られていました。

 

山下メロ

このレコードは何ですか?

 

キミ子さん

それは息子(=長男)が趣味で飾ってる。その下にある広報誌に出ているのは次男。竹本葵太夫という名前で、歌舞伎で人間国宝になったの
キミ子さんの次男・竹本葵太夫さん
キミ子さんの次男・竹本葵太夫さん

さらに店内を見ていると貼り紙がありました。

「サロン・ド・キミコ  くぼ0(ただ)」

 

山下メロ

くぼただって言う名前なんですか?

 

キミ子さん

「くぼいち」がなくなったから、1じゃなくて0(ゼロ)。無料でお茶が飲めるスペースだから「くぼ0(ただ)」なの。息子(長男)が考えた
とてもヒネリの効いた店名です。確かにお店にはずっとお茶を飲んでいる男性がいます。そして、話している間にも近所の方がキミ子さんに挨拶や用事などで訪問してきました。ここは近所の方が集まるサロンとしても機能しているようです。これがサロン・ド・キミコ。
 
他にも店内には、溶岩や骨とう品がたくさん並んでいて、古そうなショーケースの中にはマッチが並んでいます。レトロマッチのコレクション展示かと思いきや、よく見ると少し新しいもので、伊豆大島の他の土産店で、現行の人気商品として売られているのを見たことがあるものでした。

 

キミ子さん

そのマッチも売ってるよ。息子がイラストを描いてるの。こんど喫茶店もオープンするのよ。ハイ
手渡されたチラシには「観光喫茶MOMOMOMO」と書かれていました。不思議な屋号です。キミ子さんの話に何度も登場する長男。そのセンスが少し尖っている気がして、私は東京に戻ったあと息子さんに連絡をとって会ってみることにしました。

キミ子さんの息子さんに会いに

キミ子さんの長男の忠彦さんの最寄り駅の改札で待ち合わせして、忠彦さんの行きつけの喫茶店へ連れていってもらいました。最初は不安でしたが、いざお話ししてみると共通の話題も多く、何時間も話してしまいました。

その中で、「くぼ0(ただ)」で浮かんだ忠彦さん関連のことを色々と聞きました。
 
忠彦さんは音楽に造詣が深く、学生時代に東京へ行くたびにレコードを仕入れていたそうです。「くぼ0(ただ)」に飾ってあるレコードはジャケットなどで選んだものだとか。マッチについては、東京で自作のマッチを売っている人と知り合い、その人に頼んで作ってくぼいちで売っていたら人気が出て、他の土産店にも卸すようになったということでした。
忠彦さんがデザインしたマッチ
忠彦さんがデザインしたマッチ

 

山下メロ

なぜ「くぼ0(ただ)」にはレコードや溶岩などを飾っているんですか?

 

忠彦さん

ああやって色々と変なものを飾っておけば、それが気になるような変わった人が引っかかるんだよ。ほら、今の君みたいにね

そして「くぼ0」というネーミングの話も聞きました。

 

山下メロ

「くぼ0(ただ)」という名前は忠彦さんの発案ですか?

 

忠彦さん

そうです。「くぼいち」というのは、もともと店が窪地にあったのと、曾祖父の名前に市の字が入っていたので、「くぼいち」。「くぼ0(ただ)」は、台風で取り壊して「いち」から「0(ゼロ)」になった

 

忠彦さん

それを無料という意味と、自分の名前が忠彦(ただひこ)だから、「0(ただ)」と読ませることにしたんです

キミ子さんに聞いたのはほんの一端でした。ダブルミーニングでは済まないくらいの凝ったネーミング。しかも歴史的な文脈も踏まえています。

 

山下メロ

「サロン・ド・キミコ」というのも書かれていましたが?

 

忠彦さん

近所の人がお茶を飲みに集まるので、キミ子さんのサロンという意味。『メゾン・ド・ヒミコ』って映画あったでしょ?

 

山下メロ

細野晴臣さんがサントラを手掛けた映画ですね。そこにも元ネタがあったんですね……気づきませんでした
この近所の人がお茶を飲みに集まるというのが非常に重要でした。もともとのくぼいちも、無料でお茶が飲めて、近所の人が集まるサロンだったそうです。さらに、近所の人のために、儲け度外視で野菜や卵も売っていたそうです。
 
つまり、くぼ0(ただ)は、くぼいちの重要な機能を引き継いでいたのです。
 
そして、伊豆大島の観光スポットは屋外が多く、雨が降るとやることがなくなるケースもしばしば。そうして行き場をなくした観光客のために展示コーナーを設け、展示を見たりしながら、お茶を飲んで過ごせる場所として開放していたそうなのです。この機能を引き継ぐのが、「観光喫茶MOMOMOMO」。くぼいちの担っていた機能を存続させようという計画です。

コロナの影響もあってオープン日が延期となりましたが、6月14日に無事オープンされたそうです。伊豆諸島へは、今夏より2つの新造船が就航しましたので、ぜひ新しい船で夏の島を満喫していただけたらと思います。

伊豆大島を旅立つ日を振り返って

忠彦さんと話して思い出されるのは、伊豆大島から東京へ戻る最終日のことです。最後に挨拶だけしようと午前中にくぼ0に寄ったのでした。
 
やはり前日と同じ男性の方がお茶を飲んでいて、他には少し陽気な女性の方がいました。

 

女性

あなた派手ね、派手が好きなの?

 

山下メロ

好きです

 

女性

私も派手が好き!
両手を自分の方へ向けてきました。両手には、大きな宝石のついた指輪がいっぱいです。頭にはヒョウ柄の帽子。そして音楽がかかっていませんが、楽しそうに踊っています。

エプロンの胸元には、なんとファンシー絵みやげイラストです。

くぼいちで従業員が付けていたというエプロン。これも息子さんのイラストだそうです。

この方は、エプロンを大層気に入っていらっしゃるようで「それを自分にください」とは言えませんでした。とても幸せそうなのです。

 

キミ子さん

あんた写真撮ってもらうなら、アンコさんの手ぬぐいかぶりなさい
明るくてノリノリなこの女性も、サロンを切り盛りしているキミ子さんの進言には素直に従っていました。島の友達に慕われて、頼りにされているというのがよく分かります。
伊豆大島の温泉の露天風呂から見える海に落ちていく夕日=2013年
伊豆大島の温泉の露天風呂から見える海に落ちていく夕日=2013年 出典: 朝日新聞
東京23区と島しょ部では、人口の分母が圧倒的に違います。日常的に関わる友達もたくさんの中から選べるわけではありませんし、何かあっても気軽に島外には移住できません。セーフティネットも必要です。伊豆大島で生まれ、ずっと東京で仕事をされている息子の忠彦さんも、それを肌で感じているようです。
 
忠彦さんに伊豆大島の歴史についても色々と教えていただきました。
 
中でも印象深かったのは、伊豆大島を襲った災害です。

忠彦さんが小さい頃、くぼいち一帯は大火事でぜんぶ焼けてしまったそうです。その後、三原山の噴火による全島避難。さらに土石流騒ぎがあり、ボランティアの方がくぼいちの広間に泊まったとか。台風の被害も多い中、昨年の台風15号。
 
伊豆大島は、度重なる災害を乗り越えてきました。
1986年11月22日、割れ目の南端から噴煙を上げ続ける三原山
1986年11月22日、割れ目の南端から噴煙を上げ続ける三原山 出典: 朝日新聞

 

キミ子さん

ほら、もっとちゃんとかぶんなさい

口調は厳しくも、女性のかぶった手ぬぐいを母親がするように直してあげるキミ子さん。女性はまた、楽しそうに踊りだします。

楽しく踊る女性
楽しく踊る女性

 

山下メロ

これは写真だから動かなくても大丈夫ですよ
踊る女性を、冷めたような、温かいような目で見つめるキミ子さん。

サロン・ド・キミコが復活した理由が分かるような気がしました。

     ◇

山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは原則隔週月曜日、山下さんのルポを配信していきます。

ファンシー絵みやげ紀行
CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます