連載
台風で被災、伊豆大島の「サロン・ド・キミコ」が守り続けているもの
「サロン・ド・キミコ」に込められた思い

バブル~平成初期に、全国の観光地で売られていた懐かしい「ファンシー絵みやげ」を集める「平成文化研究家」山下メロさん。今はもうほとんど売られていないこの「文化遺産」を保護する活動をしています。今年2月に訪れたのは、昨年の台風の傷あとが残る伊豆大島。そこで出会った土産店の店主「キミ子さん」から、逆境でも立ち上がるバイタリティと、島の人を思うあたたかい気持ちを学んだのでした。
「ファンシー絵みやげ」とは?
「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称です。地名やキャラクターのセリフをローマ字で記し、人間も動物も二頭身のデフォルメのイラストで描かれているのが特徴です。
写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。

バブル時代がピークで、「つくれば売れる」と言われたほど、修学旅行の子どもたちを中心に買われていきました。バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。
しかし、限定的な期間で作られていたからこそ、当時の時代の空気感を色濃く残した「文化遺産」でもあります。私はファンシー絵みやげの実態を調査し、その生存個体を「保護」するため、全国を飛び回っているのです。
初めて訪れる伊豆大島
2020年2月、私は伊豆大島へ向かっていました。伊豆大島は本州から最も近い東京の離島ながら温暖な気候で、ダイビングやサーフィンなどが楽しめます。他にも煙を上げる三原山に椿園、波浮港などさまざまな観光スポットがあります。

私は伊豆大島へ到着して、すぐに元町港へ向かいました。なぜなら、どうしても気になっている土産店があったのです。その土産店のことはテレビで知りました。
台風のニュースで見た「土産店」

報道によると、2階の大きな窓がなくなり一時的にビニールシートで覆っていたものが、強風で飛びそうになっていて、店主の方は別の場所に避難されているということでした。
避難されているというのは安心ですが、私が次に気になったのは「土産店」であるということです。 私はこれまで全国を回って「ファンシー絵みやげ」を売る土産店を探してきましたが、さまざまな理由で店が畳まれていくのを見てきました。今や観光地の衰退や跡継ぎ問題など、土産店を続けていくということは想像以上に難しいことなのです。
そして、災害によって店舗が被害を受けてしまったら――? 店を閉めることが選択肢にあがることは想像に難くありません。その土地の観光資産や文化を色濃く残すお土産たちも失われてしまいます。
そのうえ二度の台風により、商品である土産品自体にも、被害が出ている可能性があります。そうなると廃棄は免れません。もしかしたら、あの土産店の2階には、お土産の在庫が置かれているかもしれない……。

その後も伊豆大島を心配していましたが、房総半島などの被害報道が中心となり、具体的な状況が分からないままでした。私はテレビを見ながら、状況が落ち着いたら必ず訪れようと決めました。
台風19号の約4カ月後、訪れた伊豆大島
そして冒頭のように、台風の約4カ月後、私は伊豆大島を訪れたのです。真っ先に向かった件の土産店は無事営業を続けており、私は胸をなでおろしました。しかし、足場が組まれた状態で、いまだに2階部分は修繕が終わっていませんでした。

山下メロ
店の女性

山下メロ
店の女性
店の女性と話し、本州に遅ればせながらも復旧がすすんでいること、店の商品が無事だったことに安心しました。しかし、女性はこんなことを教えてくれました。
店の女性

「くぼいち」を探して
そしてどこのお店で聞いても「そういうものは、くぼいちにあったのに……」と言われる状況です。くぼいちの跡地に行ってみましたが、聞いてきたとおり建物はなくなっていました。


倉庫だった建物とされる場所へ行くと、「くぼ0」という貼り紙があります。おそるおそる中へ入ると、柳瀬キミ子さん(82)が出迎えてくださいました。
キミ子さん
山下メロ
キミ子さん
キミ子さんは初対面の自分にも気さくに話してくださいました。
山下メロ
キミ子さん

店が取り壊しになっているという状況に、少し心構えを持って店を訪れた私ですが、逆にパワフルなキミ子さんに驚かされました。
しかし私の本来の目的であるファンシー絵みやげは残されていませんでした。この活動で「過去の幻影を追う自分」と「現在を生きる土産店」が対峙する構図はしばしば発生しますが、今回ほど心を動かされたことはありませんでした。自分の活動は二の次で、このことを多くの人に伝えたいと、そう思ったのです。

お店が「くぼ0」になった理由

店内を見回すと、壁にキミ子さんの趣味とは言い難い年代のマニアックなレコードが多数飾られていました。
山下メロ
キミ子さん

さらに店内を見ていると貼り紙がありました。

山下メロ
キミ子さん
他にも店内には、溶岩や骨とう品がたくさん並んでいて、古そうなショーケースの中にはマッチが並んでいます。レトロマッチのコレクション展示かと思いきや、よく見ると少し新しいもので、伊豆大島の他の土産店で、現行の人気商品として売られているのを見たことがあるものでした。

キミ子さん
キミ子さんの息子さんに会いに
その中で、「くぼ0(ただ)」で浮かんだ忠彦さん関連のことを色々と聞きました。
忠彦さんは音楽に造詣が深く、学生時代に東京へ行くたびにレコードを仕入れていたそうです。「くぼ0(ただ)」に飾ってあるレコードはジャケットなどで選んだものだとか。マッチについては、東京で自作のマッチを売っている人と知り合い、その人に頼んで作ってくぼいちで売っていたら人気が出て、他の土産店にも卸すようになったということでした。

山下メロ
忠彦さん
そして「くぼ0」というネーミングの話も聞きました。
山下メロ
忠彦さん
忠彦さん
キミ子さんに聞いたのはほんの一端でした。ダブルミーニングでは済まないくらいの凝ったネーミング。しかも歴史的な文脈も踏まえています。

山下メロ
忠彦さん
山下メロ
つまり、くぼ0(ただ)は、くぼいちの重要な機能を引き継いでいたのです。
そして、伊豆大島の観光スポットは屋外が多く、雨が降るとやることがなくなるケースもしばしば。そうして行き場をなくした観光客のために展示コーナーを設け、展示を見たりしながら、お茶を飲んで過ごせる場所として開放していたそうなのです。この機能を引き継ぐのが、「観光喫茶MOMOMOMO」。くぼいちの担っていた機能を存続させようという計画です。
コロナの影響もあってオープン日が延期となりましたが、6月14日に無事オープンされたそうです。伊豆諸島へは、今夏より2つの新造船が就航しましたので、ぜひ新しい船で夏の島を満喫していただけたらと思います。
伊豆大島を旅立つ日を振り返って
やはり前日と同じ男性の方がお茶を飲んでいて、他には少し陽気な女性の方がいました。
女性
山下メロ
女性

エプロンの胸元には、なんとファンシー絵みやげイラストです。
くぼいちで従業員が付けていたというエプロン。これも息子さんのイラストだそうです。
この方は、エプロンを大層気に入っていらっしゃるようで「それを自分にください」とは言えませんでした。とても幸せそうなのです。
キミ子さん

忠彦さんに伊豆大島の歴史についても色々と教えていただきました。
中でも印象深かったのは、伊豆大島を襲った災害です。
忠彦さんが小さい頃、くぼいち一帯は大火事でぜんぶ焼けてしまったそうです。その後、三原山の噴火による全島避難。さらに土石流騒ぎがあり、ボランティアの方がくぼいちの広間に泊まったとか。台風の被害も多い中、昨年の台風15号。
伊豆大島は、度重なる災害を乗り越えてきました。

キミ子さん
口調は厳しくも、女性のかぶった手ぬぐいを母親がするように直してあげるキミ子さん。女性はまた、楽しそうに踊りだします。

山下メロ
サロン・ド・キミコが復活した理由が分かるような気がしました。
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山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは原則隔週月曜日、山下さんのルポを配信していきます。