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連載

#3 withコロナの時代

「不要不急」と言われた博物館長の胸の内「社会のおまけじゃない」

問いかける「ものを考える場所」の必要性

閉鎖された博物館の入り口
閉鎖された博物館の入り口 出典: 日本新聞博物館提供

目次

withコロナの時代
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新型コロナウイルスによって使われるようになった言葉に「不要不急」があります。真っ先に挙げられた施設の一つが美術館や博物館です。在宅ワークやオンライン会議などが推奨される中、実際に足を運んでもらうことで成り立っていた場所で働く人はどんな思いでいるのでしょうか? 「命を守ることは当然であり、休館再開のめどがたたないことは了解しています。その上で、みんな、自分で考えなくなっているのが気がかりです」。誰も来なくなった館内で取材に応じてくれた日本新聞博物館の館長、尾高泉さんに緊急事態宣言が出る前の3月30日に話を聞きました。

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「不要不急の用事に……」

日本新聞博物館は、集団感染が起きた大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が停泊していた横浜港の近くにあります。

「2月のはじめごろ、休憩中に桟橋から船をよく見ていました。身近ではありましたが、その頃はまだ、ひとごとという感じでした」と振り返ります。

その後、事態は急速に動き出します。

全国各地でイベントが次々と中止。決定的だったのが2月26日の首相によるスポーツや文化イベントの開催自粛と、27日に出された臨時休校の要請でした。

この間、尾高さんは企業博物館でつくる産業文化博物館コンソーシアム(COMIC)や、神奈川県企業博物館連絡会を通じて、各地の状況や対応について情報を集めていました。

そして、2月28日、日本新聞博物館は臨時休館を発表します。

当時の心境について尾高さんは「博物館や美術館を訪れることが、不要不急の用事になってしまうというむなしさはありました」と吐露します。

毎日、横浜で入手できる在京7紙の1面を展示するコーナーは何も掲示されていなかった
毎日、横浜で入手できる在京7紙の1面を展示するコーナーは何も掲示されていなかった 出典: 日本新聞博物館提供

「まず、生活を保障しないと」

日本新聞博物館では派遣会社からのスタッフ、警備員、ボランティアまで多くの人が働いています。休館の際には、職員全員の意見や派遣スタッフの希望も聞いて、考えられる問題などを話してもらったそうです。

まず心配したのが働いている人の生活です。

「多くの美術館や博物館では、指定管理者制度が導入されたり、時間給で働く人たちが増えたりしています。当館は違いますが、学芸員も非正規という施設がたくさんある。それが日本の文化事業の実態なのです」

博物館に限らず、臨時休業を余儀なくされた店舗や施設では従業員の給与の支払いが問題になっていました。

「まず、生活を保障しなければいけない。全国の博物館とのネットワークを通じて情報交換をしながら、通常とは違う、バックヤードでの作業を提案するなどして、希望者にはそういう仕事をして、休館前と同じ給与を払えるような仕組みを考えました」

※日本新聞博物館では非常事態宣言の直前から、職員も在宅勤務と併用し、時間給のスタッフは法定6割補償の休業に入ってもらっている。

1月から3月まで開催の「2019年報道写真展」。4月からの神奈川新聞創業130周年記念企画展は、2021年秋に会期が変更された
1月から3月まで開催の「2019年報道写真展」。4月からの神奈川新聞創業130周年記念企画展は、2021年秋に会期が変更された 出典: 日本新聞博物館提供

「自分たちで考える」

休館を決める際、尾高さん大事にしたのは「自分たちで考える」ことです。

「国立や公立の施設の場合、行政の指示で休館が決まります。でも、民間の施設である日本新聞博物館は、運営元の日本新聞協会としての組織の手続きを経て判断をすることになりますが、なぜ休館という判断をするのか、自分たちでまずは方針案を決めなければいけません。そのため、メールを含め後から振り返って検証できるよう、記録を残すようにしました」

尾高さんは、社会に不安が広がる中、「みんな、自分で考えなくなっているのが気がかり」だと言います。

「不要不急の行為が何を指すのか、わからない。東京都が示してくれるのを待っているような状態」

尾高さんにとって、それは「メディアの構造そのもの」に映るそうです。

「スマホのタイムライン流れてくる情報だけに頼っていると、前後の文脈が伝わりません。自分が引き寄せる情報しか目にしなくなるフィルターバブルが起きている。だから、突然、不要不急と言われると、社会にとっての不要不急が何を指すのかわからなくなるのではないでしょうか。確かな情報を見極める力を持つこと、それは毎日、当館が館内で伝えていることそのものです」

2階の受付付近。来館者の姿はない
2階の受付付近。来館者の姿はない 出典: 日本新聞博物館提供

足を運んでもらうことの意味

今回の休館を受け、尾高さんは、あらためて「博物館の意味」について向き合っています。

「毎日、一番に考えていることは、足を運んでもらうことで成立する施設としての役割です」

日本新聞博物館では、職員やシニアのボランティアスタッフが子どもたちや来館者に展示資料を説明する取り組みを続けています。展示物の中には、161年前、横浜が開港した時、辺り一帯が最先端の情報の集積地、現在のベンチャー企業が集まる六本木や渋谷のような場所だったことを伝える資料もあります。

「現物を前に、生身の人間の説明によって生まれる強い体験があるんです」

学校の授業で訪れた子どもが週末、自分の親や兄弟を連れてくることもあるそうです。

「博物館というのはメディアであり、展示鑑賞する場所です。そこで、人々は、心動かされたり、静かに自身と向き合ったり、好きな世界に触れたり、一緒に訪れる人との思い出を作ったりしています。そういう博物館、美術館の意味を、あらためてかみしめています」

休館中も、全国130紙から毎日、新聞が届いているが配架できていない
休館中も、全国130紙から毎日、新聞が届いているが配架できていない 出典: 日本新聞博物館提供
いつもの新聞閲覧室。全国の約130紙を入れ替えながら1週間分配架していた。国会図書館と日本新聞博物館にしかない活動だった
いつもの新聞閲覧室。全国の約130紙を入れ替えながら1週間分配架していた。国会図書館と日本新聞博物館にしかない活動だった 出典: 日本新聞博物館提供

「地味な領域」支えてきた理念

尾高さんは、今も、全国の美術館博物館の関係者と連絡を取り合っています。「不要不急の訪問先」とされる中、お互いの連帯は強まっていると感じているそうです。

「美術館、博物館の中でも、民間の企業博物館は『地味な領域』。それでも、文化・教育事業に対して社会貢献の理念がある人が、がんばってきた歴史があります」

今、全国の美術館・博物館はツイッターやフェイスブックなどを通じて毎日のように自分たちの活動を伝える発信を続けています。日本新聞博物館は、北海道博物館が始めたネット上で子どもたち向けのコンテンツを公開する「おうちミュージアム」にも参加する準備を進めています。

「不要不急の場所だと言われると、やっぱり、寂しいし、落ち込みます。でも、博物館が世の中にないとどうなるのか。ものを考える場所が、なぜ社会に必要なのか。今、するべきことについて、考えています」

配架できない新聞は隣の多目的ルームにも並ぶ。いつもは、小学生の校外学習の昼食場所として使われ、にぎやかな声が響いていた
配架できない新聞は隣の多目的ルームにも並ぶ。いつもは、小学生の校外学習の昼食場所として使われ、にぎやかな声が響いていた 出典: 日本新聞博物館提供

「文化を守ってきた人を支える」

プライベートでも、美術館や博物館をよく訪れていたという尾高さん。「何のために自分が足を運んでいたのか、考えるようになりました。作り手が本物を見せてくれたり、理念や精神を語ってくれたりした時、心を動かされたんだなと」

「芸術や教養や思索やそのための歴史、身体に向き合う時間が、どんなに大切な意味があったのか。休館が続く期間、その喪失を感じています」

心配しているのは文化事業が「社会のおまけ」になりかねないことです。

「博物館だけでも、全国の4割以上が休館している今、文化を守ってきた現場の人を支えないといけない。文化事業の中には、雇用や経済が入っています。けっして『おまけ』ではありません。文化事業に携わりたいと思っている若い人もたくさんいます。美術館や博物館がないと、どうなるのか考えてほしい。社会にとって文化事業が欠かせないもの、大事なものだと思っている人は、また、足を運んでくれるはず。そう信じています」

博物館入り口の閉鎖されたエスカレーターと展示されている輪転機(左)、シャッターが降りた2階の受付
博物館入り口の閉鎖されたエスカレーターと展示されている輪転機(左)、シャッターが降りた2階の受付 出典: 日本新聞博物館提供

【記者の気づき】
■取材のきっかけ
ある日、フェイスブックに流れてきた尾高さんの投稿が目に入りました。「不要不急」とされたことについて複雑な思いを書きつつ、誰かを糾弾するわけではない落ち着いた言葉が印象的でした。

つらい立場でありながら、今回の事態を、博物館の役割について考えるきっかけにしようとつづる文章。そこに込めた思いが聞きたくなり、取材依頼のメッセージを送りました。

■「コロナ前」との違い
日本新聞博物館にはこれまでも何度か訪れたことがありました。館内に入ると、大正末から昭和初期に製造された巨大なマリノニ式輪転機が出迎えてくれます。

メディアというと今ではウェブメディアやニュースアプリのイメージが強いですが、そもそも工場のような大がかりな設備が必要な「製造業」としての側面が強かった産業であることが、いやが応でも伝わってきます。

世界中の美術館博物館の収蔵品がネットで見られるグーグルの「アートプロジェクト(https://artsandculture.google.com/)」など、バーチャル上の取り組みは以前からありました。一度、見たものを再び確かめたり、今度、訪れたい場所を事前に調べたりするには、便利なサービスです。でも、休館を強いられ取材でも現地に訪れることができなくなった今、感じるのは、バーチャル上のコンテンツは、あくまで実物を補完する存在だったのではないか、ということです。

今後、VRやARなど技術の進化でデジタル空間での表現方法は確実に広がります。その変化は社会にとって歓迎すべきことであるのは間違いありません。

同時に危惧するのは、デジタルではできないことを考えないまま進んだ時、施設を訪れなければ得られない価値が置き去りにされてしまいかねない未来です。

■挑戦がもたらすもの
尾高さんをはじめ美術館博物館の関係者は今、「不要不急」という言葉に向き合っています。

施設に足を運ぶことにどんな価値があるのか。それは、これまで理由を考える必要がないほど、当たり前過ぎることだったのかもしれません。

しかし、これまでの当たり前は、休館という異常事態によって崩れました。これからの美術館博物館は、足を運ぶことの意義を積極的に伝えていく姿勢が求められる時代になってしまったと言えます。

尾高さんの話の中で印象的だったのは、ボランティアとの交流が来館者に気づきを与えているという事実です。

本来なら接点を持たないはずの来館者と展示物、あるいはその場にいる人同士が、美術館博物館を通してつながり、さらに高め合う。そこには、現在のバーチャル空間だけでは生み出せない「セレンディピティー(偶然の発見)」という価値が生まれています。

例えば、従来の展示スペースが出会いのきっかけとなる場所として機能しながら、より深い交流をする場をバーチャル空間に引き継ぐ。これまでの役割と、挑戦するべき取り組みを整理できた時、新しい美術館博物館像が見えてくるのかもしれません。

 

新型コロナウイルスによって、私たちの生活や経済は大きく変わろうとしています。未曽有の事態は、コロナウイルスが消えた後も、変化を受け入れ続けなければいけないことを刻み込みました。守るべきもの、変えるべきものは何か。かつてない状況から「withコロナの時代」に求められる価値について考えます。

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