連載
#10 クジラと私
クジラは、なぜ自然保護の「象徴」に? 反捕鯨国で聞いた重い現実
クジラを守ることは自然や動物を守ることだ――。そんな考えが、捕鯨に反対する立場からはしばしば発信されてきました。海には様々な生き物がいるのに、なぜクジラばかりが自然保護や動物保護の「象徴」になったのか。捕鯨博物館や環境保護団体を訪ねたアメリカでそのわけを聞いてまわりました。(朝日新聞名古屋報道センター記者・初見翔)
世界的に「反捕鯨」の運動が活発になったきっかけのひとつが、1972年にスウェーデン・ストックホルムで開かれた国連人間環境会議です。商業捕鯨の一時停止が採択された最初の国際会議ですが、その際のスローガンは「クジラを救えずして地球が救えるのか」だったといわれています。
「1960年代後半から70年代初頭にかけて環境保護活動が活発になるなかで、クジラがそのシンボルとして使われるようになった」と話す、動物保護団体「国際動物福祉基金」海洋保全ディレクターのパトリック・ラマージさん(56)は次のように説明してくれました。
「様々な理由があるでしょう。まず、昔から人々にはクジラに対する尊敬の意識があったと思います。日本や他のアジア、西欧諸国にも、クジラにまつわる神話や歌、文化が古くから伝わっています」
万葉集にクジラがうたわれているのは有名です。時代は若いですが、伊藤若冲の「象と鯨図屛風」(1795年)を知ったときはクジラのもつ神秘的な力を感じずにおれませんでした。
パトリックさんはさらに続けます。
「現代に関しては、やはりグリーンピースの活動の影響が大きかったのでしょう。彼らは特に初期のころ、小型船に乗って捕鯨船とクジラの間に若い活動家が入って捕鯨をやめさせようとしました」
「その写真が多く出回るようになりましたが、それらはとても力強く、捕鯨の残酷さを表していました」
私は昨夏、ノルウェーの捕鯨船に乗りました。巨大な生き物に大砲で銛を撃ち込み、解体する光景は確かにインパクトが大きく、これが多くの人の印象に強く残ったというのはよく理解できます。
別の動物保護団体「ヒューメイン・ソサイエティー・インターナショナル」代表のキティー・ブロックさん(55)は、地球最大の動物であるシロナガスクジラの印象が大きかったと指摘します。
「シロナガスクジラは最大のクジラで、人々はとてもミステリアスな印象を持っていました。それが捕獲の対象になっていました」
国際捕鯨委員会(IWC)が設立された当初から1970年代まで、捕獲の対象になっていた様々なクジラの種をシロナガスクジラに換算して捕獲枠の管理をしていました。例えば、体長の小さいクジラであれば、2頭でシロナガスクジラ1頭分、といった具合です。
種ごとに捕獲枠が設けられたわけではなかったので、より大きなクジラを優先的に捕獲したほうが効率がよく、シロナガスクジラは真っ先に乱獲の対象になったといわれています。
キティーさんは「まずは絶滅の危機に瀕していたシロナガスクジラの捕獲をやめようという議論がフォーカスされました。最大の動物を絶滅させてはならないという意識が、多くの国をクジラの保護にかきたてたのではないか」といいます。
マサチューセッツ州ニューベッドフォードの捕鯨博物館でも、学芸員のマイケル・ダイヤーさん(54)に聞いてみました。
「クジラが発する音を録音して、互いに歌ったり、コミュニケーションをとったりしているという研究をまとめた人がいました」
米国の研究者、ウィリアム・シェヴィル(1906~94)とウィリアム・ワトキンス(1926~2004)が、水中でクジラの「声」を録音することに成功し、1960年代以降、研究成果として発表したといいます。
「すると突然、クジラは単なる巨大な生き物とは全く異なる存在になったのです。これは一般の人の認識にとても大きな変化をもたらしました」
確かに、クジラ知能が高く、社会的な生活を送っている、というイメージは広く共有されていると感じます。マイケルさんはほかにも、レイチェル・カーソンが著した「われらをめぐる海」(1951)や「沈黙の春」(1962)の影響も大きかったと指摘しました。
クジラは「特別な存在」として扱われうる、いくつかの特徴や歴史的経緯を持ち合わせているといえそうです。その真偽や善し悪しは別として、「大きくて知性がある」という印象や「殺されるところを見るのは耐えられない」という感情が捕鯨に反対する世論の土台になっているとすれば、捕鯨を推進する日本政府の主張と折り合うことは簡単ではない。あらためてそう実感しました。
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