連載
#11 #乳幼児の謎行動
「鬼さんが来るよ」伝家の宝刀で失っていたもの、恐怖心の切り取り
今日は節分。我が家の3歳児がどうしても言うことを聞いてくれないとき、「鬼さんが来るよ」と言うと、歯磨きもお片付けも、親の言うことに従ってくれます。でもふと立ち止まって考えると、あれ? これってちゃんと子どもとコミュニケーションできてるのかしら。虎の威を借る狐ならぬ鬼の威を借る親では。鬼さんとの付き合い方、考えてみませんか。
年に一度の節分の日、保育園や幼稚園によっては、鬼に扮した先生たちが頑張る日でもあります。鬼の姿を見た子どもたちが泣き叫び、鬼を追い払うために豆をまく様子はこの時期の風物詩でもあります。
我が家では、3歳の息子が「どうしても」言うことを聞いてくれないときには、節分に限らず、鬼さんをエキストラ出演させます。
公園に遊びに行き、「そろそろ帰ろう」と何度言っても帰らないとき……お買い物に行った先で「おもちゃがほしい!」と売り場から離れないとき……鬼は現れます。
自分の意見を貫こうとがんばっている息子を横目に、「あれ? あ! 鬼さんから電話だ!」と真っ暗な画面のスマホに目をやる私。
息子は真顔になって、すぐさま言うことを聞いてくれます。効果てきめん過ぎて、逆に「鬼の何がそんなに怖いんだろう」と思ったりもします。
都内の認可保育園の園長で、保育士の研修や子育て中の親のためのイベントを開催するNPO法人こども発達実践協議会の代表理事の河合清美さんは、「子どもを鬼でコントロールしたときには、同時に信頼感を手放しているかもしれないことを知っておくべきです」と話します。
――まず、なぜ子どもは鬼のことをこんなに怖がるのでしょう。
「恐怖を感じる見た目なのは、人間が恐ろしい存在だと思って作った存在なので当然ではあるでしょう」
「具体的に言えば、子どもにとっては見上げるほど大きく、笑顔がなく、色も違う。安心できる要素が一つもないですね」
――「安心できる要素が一つもない」鬼さんに頼って、子どもに何かをさせてしまうことに後ろめたさを感じています。
「鬼で子どもを『脅す』ときは、『子どもVS鬼と大人』の構造になっていますよね。
『~すると鬼さん呼ぶよ』とか、『あ、鬼さんから電話だ』とかって言ってしまうと、大人が鬼の仲間のようになっています」
「日本の文化では多くの場合、人間にとって鬼は怖い存在なのに、親が一緒に鬼を怖がらなかったり、鬼をコントロールできちゃったりすると、そんなお父さんお母さんは、子どもにとってはむしろ鬼より怖いんじゃないかと思います」
――鬼と一緒に親も怖い存在になってしまう。
「そうです」
「その瞬間、子どもは言うことを聞くかもしれないけど、それと同時に、乳幼児期に得ておくべき『お母さんお父さんは、絶対味方をしてくれるんだ』という信頼感は、知らず知らずのうちに手放してしまっているかもしれません」
――やはり乳幼児期の愛着関係というのはその後の子どもの人生にも響いていくのでしょうか。
「乳幼児期の愛着関係、基本的信頼感というのはとても大切です」
「子どもが泣こうが怒ろうが、その行動を親や保育士など身近な大人に受容された体験の中に、『自分は自分でいい』という自己肯定感だったり、他者への信頼感は培われていきます」
「そのような感覚の根っこには、一番身近な人に受容された体験があるというのは、おおむねどの発達の研究者も言っていることです」
「だから、『脅す』という行為によって、子どもに『よく分からないけど不信感がある』という感覚をセットで与えてしまうことへの疑問符はどこかで持っていてほしいと思います」
――親の中には鬼さんに頼らないと生活がまわらなくなってしまっている人もいるかもしれません。
「『鬼さんを使っちゃいけない』というわけではないんです。だって、朝急いで保育園に行かないと会社に遅れてしまうときとか、手っ取り早く言うことを聞いてほしいときがあるじゃないですか」
「そんなとき、つい『鬼さん』が出てきてしまうのは、生活とのバランスの中で致し方ないと思います。推奨はできないけど、『ダメですよ』といってしまうと、親が苦しくなってしまう」
「ただ、子どもの中に不信感が芽生えてしまう可能性があるということをわかった上で、親が主体的に『関わり方を変えてみようかな』と思ってくれればいいかなと思います」
――その「関わり方を変える」が難しい。
「子どもを強い刺激でコントロールした場合、その刺激に子どもは慣れていくんですよね。それは、『外発的動機』だからです」
「外側にある怖さや褒美が動機だと、そのことで多少動かされますが、自分の中に動機があるわけではないので、そのうち慣れて、もっと強い刺激が必要になります。『良い子にしていないとサンタさん来ないよ』も同じです」
「外発的動機によるコントロールがエスカレートした結果、過去の日本では、体罰などに結びついてしまっています。つまり、子供をコントロールするために強い刺激に頼る関係性に陥ってしまう可能性があるんです」
「『鬼が来るよ』も、その時点では虐待とは言わないかもしれないけど、方向性・手法としては同じで、構造は似ています」
――それを避けるためには外発的動機の逆、内発的動機を誘引しないといけないですね。
たとえば、うちの子どもは、公園遊びが楽しくなってしまって、親が帰りたい時間に帰れないことが多々あり、そんなときに鬼さんに頼ってしまっています。
「私は内発的動機、中でも自己決定を大事にしています」
「公園から帰るときの対策を、ロールプレイしてみましょう。『帰る』ことを自己決定するには時間のゆとりが必要です。まず、20分くらい前には『もうすぐ帰るよ』と声掛けを始めます」
「次いつ来るかを決められると、不思議なものでそれに満足して帰る気になるんです」
「もっと小さな自己決定で言えば、靴を履くという行為。履きたがらないことってありますよね。そんなときは『右の足からはく?左の足からはく?』という風に聞きます。すると、『こっち』と自分で決めて、履いたりします。自分で決めたことだと嫌じゃないんですね」
――自己決定を促すような声掛けができれば、鬼さんに登場してもらわなくても、子どもたちの行動を導くことができるんですね。
「節分に限って言えば、実は、保育士の間でも『鬼を登場させて、子どもが泣くほど怖がらせるのはいかがなものか』という議論で賛否分かれるんです。『1年に1回の行事ぐらいはいい』という意見と『過剰だ』という意見があります。
でも本来、節分の鬼は日本の伝統文化にのっとった存在です。かつて、病の原因がわからなかった時代、それに鬼の姿を重ねて邪気を払う伝統のある地域もあったでしょう」
「でも、節分における保育士同士の議論も、お母さんたちの『鬼が来るよ』も、伝統とは別に『恐怖心』という部分だけが切り取られて使われてしまっています。鬼が本来どんな存在であるのか、そのことも、考えてみたら良いのではないかと思います」
振り返ると、息子には、自己決定する力をつけて欲しいと、普段はかなり気を使っていたつもりでしたが、自分に余裕がない時ほど、鬼に頼りがちでした。
そのため、河合さんが自己決定の話をしてくださった時、私が大切にしたいのはこのことだったと思い出しました。
取材を終えて自宅に戻り、テレビを見るのをなかなかやめない息子に試してみました。
「あとどのくらいみたら消す?」
といっても、3歳の息子がすぐに決めることはできません。
「じゃあ、あと5数えてからにする?10数えてからにする?」と聞くと、「10!」と。
それならばと1から10まで数えると、10になった瞬間、スッとテレビから離れました。
すごい!決められた!やめられた!
とはいえ、いつもこんなにうまくいくとは思っていません。
いつか鬼さんをまた登場させたくなる日が来ると思います。多分近いうちに。
ただ、そのとき、私は彼の信頼を裏切るような親にはなりたくないなと、我に返ると思います。
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