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中国の人気SF小説『三体』の魅力 直訳と翻訳版を比べてわかったこと
中国発のSF小説という、これまでにないベストセラーとなったのが劉慈欣(リュウ・ツシン)氏の小説『三体』です。SF小説界の最高峰であるヒューゴー賞も手に入れました『三体』ですが、現地の書評サイトでは「文章力が弱い」というコメントも目立ちます。そんな弱点がある作品が、なぜここまで高い評価を受けたのでしょう? 中国語原文と日本語訳と比較しながら、考えました。
1963年、山西省生まれた劉慈欣はもともとエンジニアで、1999年、中国のSF雑誌『科幻世界』でデビューしました。
以降、数々のSF作品を生み出しSF界では名が知られるようになります。2018年、彼の原作で作られた映画『流浪地球』(さまよえる地球)が興行収入で中国歴代第2位という大ヒットとなり、一躍「時の人」になりました。
日本でも話題になった『三体』は、劉が書いた『地球往事』というシリーズ作品(三部作)の第1作目です。2作目は『黒暗森林』、3作目は『死神永生』と続きます。
2014年に英訳された後、2015年にヒューゴー賞を受賞し、アメリカ元大統領のオバマ氏やフェイスブックCEOのザッカーバーグ氏もファンだと知られるほど、世界的な人気作品になりました。
現在は日本語版を含め、19の言語に翻訳されています。日本語版は、わずか1カ月で10万部が売られました。
中国の書評サイト「豆弁」(トウバン)で、『三体』は10点満点中、8.8点という高得点を獲得しています。
作品に対しては意見が分かれています。中でも、「文筆差=文章力が弱い」との指摘は少なくなりません。
例えば、8万を超えるコメントのなか、最も「参考になるコメント」のランキングで、上位の投稿主は星が一つという評価をつけています。その内容は辛口です。
「劉の本は、『故事会』(中国の大衆雑誌)とネット文学の綜合体です。ヒューゴー賞を受賞できたのは、翻訳者の高い文学的造詣に負うものではないだろうか」
投稿のスレッドにも手厳しい意見が並びます。
「劉は文章力が平凡だ、ということではない。そもそも彼には文章力と人物を描写する能力がない」
「劉の作品は一貫して、人物を作り上げる能力が欠けている。『三体』も例外ではない」
ほかには、劉の文章力は彼の思想を支えるほどのものではない、と批判的がついています。
一方、文章力が批判されても、『三体』シリーズは中国で2200万冊が売られ、高い評価を得ています。その理由を探ると、文章力以外の魅力が浮かび上がってきます。
「『三体』はいい作品になれたのは、劉が物理・歴史・数学・哲学における極めて豊富な知識と、それらをまとめる想像力があるおかげです…」
「問題とされている点はあるが、すべて致命的なものではない…劉は、中国の現代史をSF化するという大きな野心を持ち、チャレンジをしている。中国の現代史を描くことは、そもそも『落とし穴があるいばらの道』で、『三体』は勇気ある挑戦をした。多少問題があっても、その思想の価値は損なわない」
コメントのランキングの上位には、上記のような好意的な声も多く見られます。
劉氏本人も次のように話しています。
「私は熱烈なSFファンであり、SFファンがSF作家になったと言える。文学への関心から作家になったのではない」
日本でもベストセラーとなった『三体』ですが、翻訳には書評家でもある大森望氏が関わるなど、力が入っています。
中国語の直訳と、日本語版の訳を比べると、日本人向けに様々な工夫が施されていることが見えてきます。
劉の中国語原文は、起伏が少なく、ストーリーを進めるための最小限の描写に絞られている印象があります。一方、日本語訳は、場面描写の表現が具体的で文革(文化大革命、1966-1976)などになじみがない日本人読者にも、その光景が伝わるような言葉が補足されています。
例えば、中国語の場合、「落ち着きがなく、燃料を欲しがる火だね」という部分、日本語は、擬人化して「燃やすべき敵の出現をいまかいまかと待つ火種のようだった」と訳しています。「いまかいまか」という表現からは、敵意の高まりが伝わってきます。
また、中国語原文では、爆薬のことを「磁石のような存在だ」と書いたが、少し意味不明で、日本語は「その存在を磁力のように感知していた」のほうが明確で分かりやすいです。
翻訳は原文の背景まで読み砕いており、「精神的なパワーを持っている」は、「若い紅衛兵たちも、同じような破壊力を秘めている」と補強しています。
特に最後の部分、「苦難に耐えて鍛えられてきた第一世代の多くの紅衛兵と比べても、四・二八兵団の新たな造反者たちの狂乱ぶりは、燃えさかる火の中で踊り狂う、正気を失った狼の群れのようだった」は、原文の意味に忠実でありながら、原文にない表現を付け加え、より生々しくなっています。
中国でSFの市場を広げた劉氏には、「磁粉」(「磁」は劉慈欣の「慈」にちなんだもので、「粉」は中国語のファンを意味する「粉糸」から来たもの)というコアなファンのグループがあります。
彼らの中では劉氏の「文章力」は気にしていないようです。
「綺麗な言葉や、詩歌俳句を使うだけが文筆がよいというわけでなく、ストーリーをうまく構成することも一種の文章力」
「僕はストーリー重視」
彼らをひきつけているのは劉氏作品の神髄である「豊かな想像力」と「劉氏哲学」です。
「劉氏は『脳内起爆』と言われるほど想像力が非常に豊かです。もう死路(絶体絶命の状態)だと思われても、どこか別の世界が広がっている。そんな展開が大好きです」
「豪華絢爛な想像の土台には、劉氏の人間性があります。現実とSFの世界が織り交ぜて、融合しているところが素晴らしい」
「無限大で宇宙という碁盤において、あらゆる動きが対局を変える導線になります。生きていきながら考えましょう」
「解釈できないものは、まだ認知が足りないだけ」
「人間の本性は試練に耐えられない。しかし、些細な希望を諦めずに、努力してもがくのも人間です」
ファンたちは、劉氏の作品、特に『三体』の壮大なスケールと想像力から刺激を受け、自分なりの想像を楽しんでいるようです。
互いにあいさつする時も、「三体地球組織からのお願いです…」「ごめん。智子から申し訳ないメッセージを送ります。」のように、日常生活にも『三体』ネタを織り交ぜてきます。
記者がまず読んだのは中国語版でした。SFに触れる機会がない人だと、最初はあまり興味が沸かない展開かもしれませんが、読んでいるうちにそのストーリーに魅了されていきました。
中国語の場合、読者がストーリーに入り込んだら、おそらく細かな文章力は気にならないかもしれません。一方、SFになじみのある国などで『三体』が出版される場合、文化的背景の違いも多いため、丁寧かつ適切な翻訳が不可欠だと思われます。
文章力が重要視される日本市場を考慮し、出版社と訳者が翻訳に手間をかけたことが、『三体』日本語版がヒットした理由の一つなのかもしれません。
『三体』を読むと、地球人として「恒紀」の世界に生きていることをありがたく感じ、また、環境問題は人類共通の課題として真剣に取り組まなければならないことを痛感できます。
シリーズ第二部と第三部の日本語版は、2020年と2021年に出版される予定です。日本のファンにも早く読んでもらいたい作品です。
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