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元農水次官に実刑、ひきこもりだった孤独死ライターが思う分かれ目
私は、孤独死の取材を2015年ごろからはじめているが、孤独死する人の多くはひきこもり状態だ。そんな中、ひきこもり状態だった長男を殺害した元農水事務次官の父親に、東京地裁で開かれた裁判員裁判で実刑判決が下された。私は、率直に「自分が家族を殺していたかもしれないし、殺されていたかもしれない」と感じた。なぜなら、私も中学からひきこもりだったから。殺された長男と私を分けたものは何か? ひきこもりを「人生の終わり」にしないためにできることを伝えたい。(ノンフィクションライター・菅野久美子)
元農水事務次官の熊沢英昭被告が長男の英一郎さんを殺してしまうという痛ましい事件が起こり、東京地裁で開かれた裁判員裁判で懲役6年(求刑懲役8年)の実刑判決が下された。
長期化するひきこもりと家庭内暴力が熊沢被告を追い詰めてしまったのではないか。
精神科医である斎藤環筑波大教授は、朝日新聞の取材に、ひきこもりの10%弱のケースに慢性的な暴力が伴い、50%程度に一過性の暴力が伴うと指摘している。斎藤教授は暴力と引きこもりは、親和性が高いと言わざるを得ない状況があると話す。しかし、それは家族などによる内に向いたもので、通り魔など外に向くことは稀だという(朝日新聞デジタル2019年6月20日より要約)。
私がこのニュースを見て感じたのは、自分が家族を殺していたかもしれないし、殺されていたかもしれないということだ。
私自身、ひきこもり経験者で、家庭内暴力の当事者である。小学生からいじめに遭い、親の勧めで、中高一貫の私立中学に進学。しかし、そこでもいじめに遭い、中学二年生から本格的な不登校となり、家にひきこもるようになった。
長男と、境遇が重なる。
週刊朝日の報道によると、長男は、中学2年生ころから、イジメが激しくなり、クラスでは孤立。筆箱で頭を叩かれたり、シャーペンで背中や手を刺されたり、塩を鼻に押し付けられたりされていたという。やられても、ほとんどやり返すことはなかったと報じられている。(週刊朝日2019年6月5日)
私もイジメられているときは、心が死んでいたようで、やり返すことはなかった。
しかし、次第に学校に行くことが億劫になり、朝、泣きながら布団にかじりついた。
一度、不登校になると、家にいても、できることは限られる。同級生はこの瞬間も毎日授業を受けているはずだし、学校の教科のカリキュラムは着々と進んでいく。社会は自分がいなくても回っているのに、自分だけはまるでこの部屋の中に取り残されたままだ。
ネットだけが情報収集の手段で、居場所だった。そのため、夜通しネットにかじりつき、朝方に寝て、遮光カーテンを引いて、昼頃にモソモソと起きだす。母親が作った朝食か昼食かわからない食事を流し込み、本を読んだりゲームをしたりして過ごして、夜はまたパソコンに向かう日々だった。
近所の目があるため、外には出られない。隣の家が常に自分のことを見ている気がするからだ。
一般の社会生活を送っている人には、想像もつかないだろうが、自由に外に出ることのできないのは、とてつもなく苦しい。
まともな社会生活を送っている姉妹兄弟がいる場合はなおさらだ。弟は、朝出かけて3時頃に帰宅する。部活や教科書や宿題で充実感がみなぎっていて、慌ただしくしている。日々強くなる劣等感――。益々焦りは強くなり発狂しそうになる。
親の期待に沿えなかった自分に絶望し、自分の人生は完全に「詰んだ」と感じる。
なぜ、自分はこうなってしまったのか――。一体自分の人生は、何が間違いだったのか。その問いは常に自分の心をジクジクと突き刺し、片時も離れることはない。
私の家庭内暴力が起こったのはその頃だ。正確には起こした、というべきだろう。
毎日家にいてもすることがないので、ゲームや読書だけが唯一の愉しみだった。当時、お小遣いは月5000円と決められていたが、毎日することがないので、ゲームや本などを買いあさっていると、どうしてもお金が足りなくなる。だから、追加でもっと欲しいと母親にせびったが拒絶されて、思わずカッときた。
気がつくと、「金よこせー!」と、大声を上げて、母親に馬乗りになった。母親は泣きながら家を出て行った。しかし、母親がお小遣いをくれなかったことはきっかけに過ぎなかった。
ある時は、自分の境遇を嘆き、気がついたら母親を蹴っていた。
斎藤教授は、ひきこもりには、「家族が刺激している暴力」と「慢性型の暴力」があるという。そして、「慢性型暴力」は、家族が特に何もしなくても、ささいなことに難癖をつけて暴れ出す。その根底にあるのは、「悲しみ」だという。(2019年07月09日withnewsより要約)
「悲しみ」という言葉は、全くそのまま当時の私の精神状態にも当てはまる。決して親が憎くて暴力を振るっていたわけではないからだ。なぜ、自分はこんな人生になってしまったのか? という問いは、あの時、親がこうだったからだという悲しみの感情へと変換される。
私のことで言えば、あのとき、勉強ばかりさせられた。あのとき、弟ばかりかわいがっていた。あのとき、私を愛していなかった――。だから、こうなった――と。心の中で泣きながら暴力をふるっていた。行き場のない悲しみは、気がつくと暴力という形に変わっていたのだ。
長男は、「私が勉強を頑張ったのは愚母に玩具を壊されたくなかったからだ」とTwitterに書いている。
週刊朝日の取材によると、中学2年生ころから、長男に対するイジメが激しくなり、クラスでは孤立。筆箱で頭を叩かれたり、シャーペンで背中や手を刺されたり、塩を鼻に押し付けられたりされていた。やられても、ほとんどやり返すことはなかったらしい。そして、「熊沢容疑者や母親は、アザができるほど殴られた。その際、長男は『俺の人生何だったんだ、どうなってんだ』となどと言っていた」という(週刊朝日2019年6月5日より要約)。
かつての自分と恐ろしいほどに重なって、心が痛い。
では、なぜ英一郎さんが殺されて、私が殺されなかったのか。そして、私が家庭内暴力の末に家族を殺してしまわなかったのか、その理由は、ただ一つ。
私の父親が外部の専門家に助けを求めたからだ。私の父親は小学校の教員で、不登校関連の知識があった。そのため近年度々話題に上がる、当事者を強引に家から引き出す「引き出し屋」のような問題のある民間業者ではなく、適切な支援者とつながることができた。
私はその支援者と信頼関係を築けたことで、ひきこもりから脱することができた。その方は私の味方となって、真正面から向き合ってくれた初めての大人となった。
出会って25年以上経つが、今もその方は私にとって人生の「師」である。
自分がこのままで存在していいということ――、人を心から信頼して受容してくれる相手がいること。その安心を実感できたことが大きい。それがなかったら決して前に進むことはできなかっただろう。
しかし、そんな出会いは現代では希少品で、たぐいまれなケースかもしれない。
近年、80代の高齢の親が50代のひきこもりの子供を支える8050問題が取りざたされている。近年ようやく顕在化した61万人という中高年のひきこもり――。私は、孤独死の取材を2015年ごろから始めているが、孤独死する人の多くはひきこもり状態だ。
孤独死する人は、まるでその疲弊した心を現すかのようにゴミ屋敷だったり、セルフネグレクト(自己放任)状態に陥り、誰にも助けを求められずに、心折れてしまう。現に英一郎さんの暮らした目白の自宅は、ゴミに埋もれていたという。
これらの問題の解決には私がかつて、支援者と心の交流によって居場所を得たように、ありのままの自分を心の底から受け入れてくれる相手の存在が必要だ。
一律的なひきこもりの就労支援では解決できない問題の根深さがあり、ゆくゆくは私の取材分野である孤独死という結末を迎えかねない。
ひきこもりは長期化すればするほど、本人も家族も重圧感がのしかかり、とてつもなくつらい日々だが、「人生の終わり」ではない。かつての自分が支援者に出会ったかのように、家族も本人も、まずは他者に助けを求める勇気を持ち、そこから道を開いて欲しいと思う。
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