連載
#12 ざんねんじゃない!マンボウの世界
ヤリマンボウ、江戸時代からネタにされていた!古文献が発掘した事実
人間とマンボウの関わり…それは江戸時代に遡ります。まさかの○○本に書かれていた!?
現在、日本近海に出現するマンボウ類の魚は、マンボウやその仲間であるウシマンボウやヤリマンボウなどです。中でも水族館で飼育されているのはマンボウがほとんどで、実際に目にする機会も格段に多くなっています。ところが、これらの魚は形がいずれもよく似ており、一見しただけでは違いがよくわかりません。特にマンボウとウシマンボウは、長い間混同されてきた歴史があります。
注意深く観察すると、一般的な魚の尾びれの位置にある「舵びれ」という部位が波打っているのがマンボウの特徴で、ウシマンボウは丸く、ヤリマンボウは真ん中が「やり」のように突出しているなどの違いがあります。
ちなみにヤリマンボウは、2018年末に福岡市の住宅地を流れる川を遡上しているところを発見され、「どうして川に?」とTwitterで注目されました。そんな話題を通して、少しずつですが、いろんなマンボウがいることが知られ始めています。
インターネットや図鑑を通して、たくさんの人から愛されるマンボウですが、実際に出会える場所はほぼ水族館の中だけという存在です。地域によっては食材として親しまれ、スーパーなどにも並んでいるところもあります。それだけではなく、軟骨の反発力を利用し、スーパーボールのように丸く加工して子どもたちが遊んでいた地域もあるようです。
人気者という姿だけではなく、人々との生活にも関わりがあったマンボウたち。そんな一面は、古文献からも読み取ることができます。
澤井さんによると、魚のマンボウと明確にわかる日本最古の文献は、1636年の料理本「料理物語(寛永十三年版)」。作者は不明ですが、このときマンボウは「うきき」という名前で、食材として登場するのです。
「ウキキ」は「浮木」と書かれ、水面近くで体を横たえるマンボウの習性を、浮いた流木にたとえたことが由来とされています。特に東北地方を中心とした地方名で、他にも地域ごとにさまざまな名前で呼ばれていたそうです。
例えば、「ウキ」「ウキキサメ」といった、「ウキキ」に近い響きのものもあれば、「オキマンザイ」「キナッポー」「シキレ」「ユキイカダ」など個性的なものも。澤井さんの調査では、「バン」「バンバラバン」というユニークな地方名もあったそうです。バンやバンバラバンは「マンボウの身がちぎりやすい(バラバラになりやすい)ことが由来とされています。
名前の響きも親しみやすい「マンボウ」ですが、その和名にはどんな意味があるのでしょうか。実は、正確な語源はまだよくわかっていません。
澤井さんによると、①「万宝(まんぽう)」というお守り袋に似ている、②その姿から「円形の魚」=「円魚(えんうお)」がなまった、③この魚が暴れたときに唱えると静かになったという厄除けの言葉「マンザイラクマンザイラク」がなまった、などの諸説があるようです。
文献上で最初に「マンボウ」の名が登場するのが、本草学者の貝原益軒(かいばら・えきけん)が1709年に著した「大和本草」です。その後、長い時間をかけてマンボウという名は全国各地に広がり、現在の標準和名になりました。
このように、マンボウについての記述が残された日本の古文献は存在していますが、澤井さんは「古文献でマンボウとされる魚はウシマンボウやヤリマンボウが混同されている可能性があり、どの種を指しているかはハッキリとしない場合がある」と話します。
そこで重要になるのが、「絵」です。絵に描かれた魚の形態の特徴から、それが現存するどの種にあたるのかを特定できる場合があるといいます。
日本で最も古いマンボウの絵は1721年、岡山藩士である石丸定良が編集した「備陽記(びようき)」(財団法人正宗文庫所蔵)に記されたものだそうです。「備陽記」は、岡山県の地域の特性や出来事などをまとめた地誌です。
そこに描かれているのは、1697年にボラ敷網にかかったマンボウです。線がゆらゆらとしており少し特徴のある画風ですが、マンボウを表現しているのはよくわかります。澤井さんによると、マナガツオの体色に似ていると記述があり、実物に近いカラーで描かれていること、舵びれが波打つことなどから「マンボウ」と同定できるといいます。
古文献に残された絵は、江戸時代初期の人々がマンボウと関わりを持っていたことを今に伝えてくれるのです。
マンボウとよく混同されている種にウシマンボウとヤリマンボウがいます。この2種ももしかしたら古文献の中に描かれているかもしれないーー。そう思い、澤井さんは検証していったそうです。
ところが、マンボウらしき絵が描かれている他の古文献からは、明確にウシマンボウやヤリマンボウと断言できる絵は今まで見つからなかったといいます。そんなとき見つけたのは、Twitterで回ってきたある画像でした。
それが、1799~1801年の間に著されたとする「ま免なくさ(まめなくさ)」(西尾市岩瀬文庫所蔵)の挿絵でした。男性に抱えられているのは、丹後国(現在の京都府宮津市)の海で獲れたという少し凶暴そうな丸い形の魚。名前には「木魚」とありますが、舵びれにあたる部位には、ヤリマンボウの特徴である「やり」のような突出部が描かれています。
澤井さんは「これまで確認した古文献の絵の中で、ヤリマンボウと同定できる特徴が最もはっきり出ています。『木魚』とあるのは、流木にたとえたマンボウの地方名『ウキキ(浮木)』の影響を受けているのではないでしょうか」。
「ま免なくさ」は、祈禱師の吉田鯉洲(りしゅう)が、巷で聞いた珍談奇談をまとめた本。つまり、「おもしろい話・奇妙な話」として、ヤリマンボウを描いていたことになります。当時の人の目にも、ヤリマンボウの姿はさぞかし不思議に映っていたのではないでしょうか。
ちなみに、日本のヤリマンボウ初記録の論文は、1931年。20世紀に入ってからでした。澤井さんは「少なくとも『ま免なくさ』が書かれた1800年頃にも、ヤリマンボウが日本にいた、と言うことができる」と話します。
「たとえ昔からその生物が実在していたとしても、記録がないと『いなかった』ことになってしまいます。特に、この時代はヤリマンボウの存在自体が知られていなかった時代で、マンボウと混同されていましたから。地道な作業ですが、こうやって再発見したものは論文という形で新たに残していってあげたいですね」
かつてのマンボウの印象を教えてくれる古文献。そして、アナログな世界をつないだTwitter。長い時間を経て、さまざまな形で私たちの手に届いている情報を、更に未来につなげるためにはーー。そんなことを考えさせられる取材でした。
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参考論文:澤井悦郎・氷厘亭氷泉.2019.マンボウ類の古文献の再調査から見付かった江戸時代におけるヤリマンボウの日本最古記録.Biostory(生き物文化誌学会誌), 31: 80-89.
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