連載
#10 #乳幼児の謎行動
「死んだタマネギ」事件の真相 「言い間違い」の奥深い世界
今年春、声優の落合福嗣さんの次女「なっちゃん」の言い間違えが修正されていく様子が「#新たまねぎチャレンジ」のハッシュタグで投稿され、話題になりました。乳幼児期の言い間違えや言い換えは多くの子育て家庭で「ほほえましいもの」として捉えられますが、そもそも言い間違えは、なぜ起きるのでしょうか。「#新たまねぎチャレンジ」を例に、音声コミュニケーション発達について研究をする日本女子大学人間社会学部の麦谷綾子准教授に話を聞きました。
――2歳の女の子に「新タマネギ」と言ってもらおうとチャレンジしても、どうしても「死んだタマネギ」になってしまう、「#新たまねぎチャレンジ」が話題になりました。
動画、拝見しました。落合さん、研究者マインドがありますね。「しん・たま・ねぎ」と、音節を分けて練習してみたりされていて、すごくシステマチックに要因を切り分けて、まさに「実験」しているなと思いました。
大人は「文字」をベースに考えるので、新タマネギは「しん」「たま」「ねぎ」だと思っていますよね。
でも、子ども(乳幼児)は、聞こえるがままを発声します。つまり、まず音声があって、そこに文字はありません。
就学の前後で文字を獲得し、それによってひとつひとつの音を切り分け、文字に置き換えていくという発達段階があります。
ただ、音声発達は重要なのですが、特に乳幼児は科学的に研究するのが難しくて…。
長女の「しんたま と ねぎ を分けて言えば言えるようになるんじゃないか作戦」を試してみた結果 pic.twitter.com/rPsTym34bh
— 落合福嗣 (@fukushi_o) May 7, 2019
――研究対象としておもしろい時期ではあるんだけど、実験や観察が難しい時期でもあるんでしょうね。動き回る2歳児を育てる親として心中察するにあまりあります…。ところで、新タマネギですが、意味が分からないまま音だけを真似ているということなんでしょうか。
動画を見た感じだと「タマネギ」は知ってますよね。でも「新」がわかっていないと思います。「タマネギは知っているけどなぜその前に『新』をつけないといけない?」と思っているんじゃないでしょうか。
――「『新』ってなんやねん!」って確かに思っていそうです。大人の視点で考えてしまうので、「新」がわかっていないということですら、言われるまで気づきませんでした。
大人は、文字も、文法も学習した後なので、頭の中に入っちゃっているんですよね。でも子どもは文字を知らないし、これは名詞、これは動詞といった名義的な区別はしません。残念ながら大人はゼロには戻れません。だから自分の知識にあてはめてしまうんでしょうね。
――なるほど。言い間違いが起こる原因についてですが、言い間違いは、発音のしにくい言葉で起きるのでしょうか。
要因は一つに絞れませんが、言い間違いが起こる要因は、発音のしにくさだけではないと思います。自分の語彙・言葉のレパートリーにひきずられてしまったり、もっと言うと、子どものメモリースパンもあると思います。
――メモリースパン…??
「新タマネギ」で説明します。
新タマネギって、結構長いワードなんですよね。言い間違いって、長い音声に多いんです。「エレベーター」が「エベレーター」になったり、「とうもろこし」が「とうもころし」になったり。
一つの単語が長くなると、記憶容量に負荷がかかる状態になっているんですよね。
だから、「新タマネギ」も「しん」を過ぎた中盤あたりで、容量がいっぱいになるのかもしれません。
――言葉が出始めた頃は、「まんま-」とか「たっち」とかの言葉を言うだけで一つひとつ喜んでいましたが、そうか。たくさん話ができるにつれて、確かに一個一個の言葉が長くなってきていますね。これも言われてみて気づきました。
ところで、新タマネギは、なんで「死んだタマネギ」になってしまうと思われましたか?
「新タマネギ」の「ん・た」って、つなげて発音することが難しいんです。
「ん」は、鼻音と呼ばれる、母音に近い音です。声帯という、のどの奥にあるひだを震わせる有声の音です。有声の「ん」から、声帯が振動しない無声の「た」を連続で発声するには、「ん」と「た」の間で一度声帯の震えを止めないといけなくて、それなりに負担がかかるんですよね。
――「ん」「た」の間に、結構大変なことが起きているのですね…。
ところが「だ」のDは有声子音です。そして「た」と「だ」は、舌や唇の動かし方はまったく同じ音なんです。つまり「だ」は「た」の有声版だと考えてください。
ここまできてわかるかと思うのですが、「ん」と「た」の間に、「だ」をあえて挟むことで、「んた」という難しいつながりを避けて、スムーズに発声できるようにしているのではないでしょうか。
そう推測すると、「しん」まできてメモリースパンが一杯になり、かつ、一瞬「だ」を入れちゃったっていうのは、実はすごく合理的な作戦だと思います。
――めちゃくちゃ面白い…。
さらに「死んだ」という言葉をもしすでに知っているのであれば、「死んだ」というのは自分のボキャブラリーに入っているので、引き出しやすいはずです。そういうものの合わせ技。
――①発音しやすく有声音を挟む②メモリースパンの限界③ボキャブラリーとしての「死んだ」、その三つが合わさって「死んだタマネギ」が生まれたのかもしれませんね。
あとは、子どもの特徴として、定着しやすいということがあります。
一度間違った言葉を発しても、大人なら直せるけど、子どもは定着しちゃうので、あれだけ続いたのかもしれませんね。それ以外に、「しん・たま・ねぎ」よりも「しんだ・たま・ねぎ」のほうが、小さなこどもにとってはことばのリズムとして収まりがよいという可能性も考えられます。あくまでも私の推理ですけどね。
――ここで、突然ですが、落合さんから先生に質問がいくつか預かったので、お答えいただきたいと思います!
一つ目。「子どもの言い間違いが起こる理由として推測したのが、「子どもは『ニュアンス』に特化して言葉を発しているのではないかということです。正しい言葉を話す、というより感情を伝えようとしているのでは?」
それはその通りじゃないかと思います。
というか、そもそも2歳半だと文字はまだないので、自分の耳で聞こえたものをそのまま自分なりのやり方と声で表現する結果として、ニュアンスがよく伝わるのだと思います。
――「正しい言葉を話すより感情を伝えようとしているのでは」という推測については?
これはさっきも話したけど、こどもにとっての「正しい言葉」ってなにかってことですよね。
大人は「正しい言葉はこれだ!」と思って話しているし、その「正しい言葉」のイメージをこどもも共有していると思い込んでいるからこそ、こどもが「正しい言葉」を話さないと思うわけでしょう。
でも、こどもからすると、「正しい言葉」なんて知ったこっちゃないって感じじゃないでしょうか。
音声の一番すごいところって、実は感情を伝えられることだと思うんです。言葉では「元気だよ」って言ったとしても、声の調子から実は元気がないって伝わりますよね。
音声の感情に関わる機能や役割のイメージはこどもも共有できているからこそ、大人の定義する「正しい言葉」よりも先に、感情が伝わってくるように感じるのではないでしょうか。
――では二つ目。「滑舌は遺伝しますか?」
うーん。どうでしょうねえ。骨格や口の中の構造的な特徴はもちろん遺伝するでしょうし、結果的に声質は親子で似てくるでしょう。
でも滑舌そのものは発声器官の形や構造だけじゃなくて、話し方とか方言とか、環境から学習する部分も大きいと思います。それに、声優さんはまさにそうだと思いますが、訓練でもかなり変化するのではないかと思います。
――子どもの声や話し方って特徴的ですが、口の中の構造も大人と子どもで違うんですか。
口の中の操作の仕方って、多分子どもと大人とでは違うと思います。「多分」というのは、大人の場合は、唇や舌にセンサーをつけたりX線やMRI、超音波なんかを使ってある程度調べられますが、子どもの場合、それが難しいですよね。だから、口の中で何が起こっているかがよくわかりません。
ただ、言えるのは、赤ちゃんは、口の中が小さく舌が大きいです。それは母乳を飲むときに、乳首をしっかりくわえるためだと考えられています。成長に伴って、口の中の空間が広くなっていき、舌や唇の動きもスムーズになるわけです。なので、発音の際、口や舌を最初から大人のように動かしているわけではないと思いますね。
――では最後の質問です。「舌が歯に当たる場所で発音は変わると思うが、乳歯からの生え替わりで歯の場所が変わる。そこが、発音を正しくできるようになる変わり目になりますか」
歯が生え変わっても位置自体はそんなにかわらないし、一度に全部が生え変わるわけではないので、生え変わりだけで発音が大きく大人仕様に変化するかはわからないですね。発音の完成する時期は個人差も大きいですし、やっぱり歯の生え変わりだけで一概には説明できないと思います。
歯の影響も含めて、しゃべっている時の口の中を知りたいけど、子どもの頃はそれを観察することがとても難しい。本当は知りたいことがいっぱいあるんですけどね。
――いろんな事を吸収し、動きたがる盛りの2歳児の研究の難しさをまざまざと見せつけられた気がします。
でもね、言い間違いって面白いですよね。なによりかわいいですね。
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むぎたに・りょうこ NTTコミュニケーション科学基礎研究所を経て、2019年4月から日本女子大学人間社会学部心理学科准教授。自身も、現在5歳と12歳の姉妹の子育て中。
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