#14
山下メロの「ファンシー絵みやげ」紀行
「ジョン万次郎」土産を探して…受け継がれる「魂」優しさに泣いた旅
歴史上の偉人もモチーフになりやすい「ファンシー絵みやげ」。「ジョン万次郎」モチーフを探して旅に出ると、地元の人たちの愛に触れることになりました。
(左)「ジョン万次郎」のファンシー絵みやげ、(右)27歳の万次郎の肖像画(複製)=朝日新聞
80~90年代に日本中の観光地で売られていた雑貨みやげ「ファンシー絵みやげ」を集める山下メロさん。時代の流れとともに消えていった「文化遺産」を、保護するために全国を飛び回っています。歴史上の偉人もモチーフになりやすい「ファンシー絵みやげ」。高知県は坂本龍馬が独占地帯です。同じ幕末に活躍した「ジョン万次郎」モチーフを探して旅に出ると、彼の思いを受け継ごうとする、地元の人たちの愛に触れることになりました。
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「ファンシー絵みやげ」とは、1980年代から1990年代かけて日本中の観光地で売られていた子ども向け雑貨みやげの総称で、ローマ字日本語、二頭身デフォルメのイラストが特徴です。写真を見れば、実家や親戚の家にあったこのお土産にピンと来る人も多いのではないでしょうか。
バブル~平成初期に全国の土産店で販売されていた「ファンシー絵みやげ」たち
バブル時代をピークに、バブル崩壊とともに段々と姿を消し、今では探してもなかなか見つからない絶滅危惧種となっています。
私は、その生存個体を保護するための「保護活動」を全国で行っているのです。
この日、私は高知県にいました。四万十川で土産店を調査した後、足摺岬(あしずりみさき)に向かう予定でした。それは、ある歴史上の人物の「ファンシー絵みやげ」を見つけるためです。
高知県は東西に横長の県です。高知県の偉人と言えば坂本龍馬がとにかく有名ですので、町のあちこちで坂本龍馬の文字やイラストを見かけます。それは恐らく80~90年代も同じ。当時売られていたファンシー絵みやげのモチーフとなるのも、高知は坂本龍馬ばかりです。
しかし、実は高知でも西のほうへ行くと、坂本龍馬よりもジョン万次郎を推しているようです。「ジョン万次郎をNHKの大河ドラマに!」といった看板などがあちこちにあります。
「ジョン万次郎 NHK大河ドラマ化!!」と書かれている
のちに「ジョン万次郎」の名で親しまれる中浜万次郎は、現在の高知県土佐清水市に生まれました。14歳のとき漁業中に遭難し、伊豆諸島の無人島に漂着しました。そこで半年ほど生き延びた末、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救出されます。鎖国している日本に近づける状況ではなく、捕鯨船のホイットフィールド船長に気に入られ、アメリカに渡って養子となりました。
捕鯨航海中、船の名前から乗組員に「ジョンマン」と呼ばれ、これが後世に「ジョン万次郎」と呼ばれる元となります。アメリカ本土で高度な教育を受け、その後しばらく捕鯨船に乗ったあと、ゴールドラッシュの中で金の採掘をし、その資金を元に日本に戻りました。
27歳の万次郎の肖像画(複製)。ゴールドラッシュのころの格好らしい。ジョン万次郎資料館に展示されている=2015年 出典: 朝日新聞
開国を迫られる幕末の日本で、海外移住経験とそこで学んだ技術、そして英語能力などを生かして活躍したジョン万次郎の生涯はまさに波乱万丈です。何度もドラマ化されている戦国時代の武将や、メジャーな幕末の志士と比べると少し知名度が劣りますが、脚光を浴びるべき人物なのです。
そんなジョン万次郎のファンシー絵みやげもきっとあるはずだと思い、彼の生まれたエリアの観光地・足摺岬を目指しました。
その日の私は、足摺岬の前に四万十川の土産店や観光施設を調査していました。結局、四万十川のファンシー絵みやげは見つかりませんでしたが、観光施設の関連会社の女性社員、吉村さんから貴重な情報を得ることができました。
ファンシー絵みやげがありそうな雰囲気ですが、閉館していた「アカメ館」
鉄道の路線からはるか南に位置する足摺岬へ行くには中村駅から路線バスとなるのですが、本数が少ないため時間的な制約が生じる予定でした。
地元の方は交通事情や抜け道なども熟知されていますので、案内してもらえると移動が効率的になります。さらに近辺の観光地の最新情報も教えてもらえます。このありがたいご提案を断る選択肢はありません。
車で足摺岬へ向かう間、色々と地域のことを教えていただきました。ファンシー絵みやげに描かれる要素を読み解くには、その地域のことをつぶさに知る必要があります。なぜなら、ファンシー絵みやげのイラストにおいて、何気なく背景に描かれている景色や建物が、マイナーな観光スポットや景勝地だったりするケースがあるからです。こればかりは、地域の情報を多く蓄積しておかないと気づけないことなのです。
なぜこのような地形なのか、なぜここに集落があるのか、主要な産業は何か、特産品は何か。車のウィンドーから見える色々なものを指さしながら逐一質問できるというのは、なんと贅沢な時間でしょうか。
走っていると、やはり道沿いに「ジョン万次郎を大河ドラマに」とアピールする看板を見かけます。
この会話をしたのは、もうご自宅の近くでした。突発的に決まったのに、旦那さんに電話して確認するわけでもありません。突然、私のような訳の分からない男性を連れて帰っても大丈夫なのかと不安になりましたが、そこに躊躇がないということは、きっと大丈夫なのでしょう。
連れて帰るという話はしてなかったようですが「変わった人が訪ねてきた」という話は昼のうちにされていたようです。
吉村さんの夫・政朗さんは、コワモテと言われることもありそうな雰囲気で、正直ビビりました。しかし自分のことを紹介してくれるでもなく吉村さんはすぐに台所へご飯の支度をしに行ってしまいました。
さすが、突発的に客人を連れて帰っても大丈夫な旦那さんです。奥さんがわざわざ紹介しなくても自発的にコミュニケーションを取ってきてくださいます。夫婦の信頼あってのコンビネーションに感動しつつ、自分の活動のことを色々とお話しました。政朗さんは、観光ボランティアガイドもされているそうで、観光の話などで盛り上がりました。
道すがら、現地の観光について教えてもらえるはず……これを断る選択肢はありません。翌朝ホテルまで迎えに来ていただき、一緒に足摺岬、そして竜串などの観光地をまわったのです。
果たして「ジョン万次郎」のファンシー絵みやげは……
足摺岬にはジョン万次郎の銅像が立っていて、近くには昔ながらの土産店が軒を連ねています。こちらでもいくつかのファンシー絵みやげを保護することができました。さらに竜串にも昔ながらの土産店があり、探してみるとこちらでもファンシー絵みやげを発見することができたのです。
まず見つけたのは、Jリーグブームの影響か、大きく「J」というイニシャルを配置した「J万次郎」キーホルダー。まるで「J・BOY」。西洋風の帽子や洋服を着た姿で描かれるのは、おそらく肖像画の服装をモチーフにしているのでしょう。
ジョン万次郎の万年カレンダータイプのファンシー絵みやげ
他にも、ジョン万次郎の万年カレンダータイプのファンシー絵みやげ。こちらも肖像画と同じ服装ですが、インクの数の問題で、赤いはずの上着が、足摺岬の草の色と同じに、襟は海の色と同じになってしまってます。セリフとして書かれている「ニッポンTADAIMA!」を実際に言ったのかどうかは分かりません。あんなに苦労して帰ってきて、果たしてこんなポップな感じで言ったのでしょうか。
まったく見たことがなかったジョン万次郎のファンシー絵みやげですが、現地ではまだ生き残っていました。あっても1つのイラストを流用しているだけかと予測していたのですが、実際には何種類もイラストが見つかったのです。
この発見によって「ジョン万次郎のファンシー絵みやげは存在しない」という従来の定説が覆りました。それどころか、ジョン万次郎は、かなりの商品数が作られる地元の有力なキャラクターだったのです。
車中では、政朗さんに周辺の観光や歴史について教えていただきました。
その中で気になったことがあります。地元の方は、後に広まった呼称「ジョン万次郎」ではなく、アメリカ人乗組員に呼ばれていた「ジョンマン」か、本名の「中浜万次郎」と呼ぶことです。地元の方が、いかに深くジョン万次郎を理解しているかがよく分かります。
そして政朗さんが着ていた観光ガイドのジャケットにもこう書かれています。
「John Mung Spirit」――。「ジョンマンの魂」です。
さまざまな困難や逆境にさらされながらも、諦めずに日本へ帰ってきたジョン万次郎の、その不屈の精神のことでしょう。
政朗さんとは翌日もまた、一緒に保護活動。ジョン万次郎の関連施設をまわり、次の目的地の近くまで送っていただきました。
最後に握手。政朗さんは「ジョンマンスピリットで頼むよ」と一言。
突然の訪問者である私をあたたかく迎え入れてくださった上に、ファンシー絵みやげの保護活動にも協力していただき、感謝しても感謝しきれません。
私も、常に「ジョンマンスピリット」でファンシー絵みやげの保護活動を続けようと思いました。
ご夫婦への感謝の思いを胸に、高知市へ戻った私。帰りの飛行機までの時間があり、町を散策していたところ「高知よさこい情報交流館」という施設がありました。
この施設では、高知県の人たちがよさこい祭りを発展させてきた歴史など、高知の民俗文化を知ることができます。
その中の、ある広い部屋では映像が流れていました。それは、現在高知のいたるところでポスターやのぼりを見かける「高知家」というキャンペーンのビデオでした。
高知県と高知家のダジャレで
「高知人はみんなファミリーぜよ」くらいの意味だと思っていた「高知家」の本当の意味を、私は何気なく見ていた「高知家の唄」のミュージックビデオで知ることになるのです。
岡本真夜さんが作曲した「
高知家の唄」では、特産品や郷土料理、郷土芸能など高知の魅力とともに、
高知県はみんな家族という、高知の人たちの人柄が歌われています。
そして曲が終わって、最後にこんなメッセージが出てきました。
「みんなぁも、高知家の家族にならん?」
ご夫婦に限らず、今回の旅で出会った人たちの顔がどんどん浮かんできました。高知の人たちは、見ず知らずの自分にも親しげに接してくださいました。思い返せば、みんな「家族になろうよ」というくらい、心を開いてくれていました。
色んな場面が浮かんできて、涙が止まらなくなりました。展示の前で泣いている人なんて自分だけでしたが、仕方ありません。
果たして私は「家族になりきれていただろうか」。このまま東京に戻りますので、その疑問を確認するチャンスはありません。お礼を言うこともなく、世話になった親元を離れるような気持ちです。
そこで思い出したのは、不可抗力ながら祖国を離れ、アメリカで研鑽を積み、やがてなんとか日本に戻り、その経験を祖国のために生かすことができたジョン万次郎のことです。
いつの日か高知の人たちに恩返しができるよう、日本のどこにいてもジョンマンスピリットを背に生きていこう、と、そう強く胸に誓いました。
◇
山下メロさんが「ファンシー絵みやげ」を保護する旅はまだまだ続きます。withnewsでは原則週1回、山下さんのルポを紹介していきます。