話題
ハリウッドを震撼させた「シャロン事件」 オウムに重なる「闇」
今から半世紀前、アメリカ・ハリウッドで著名な映画監督の妻の女優がカルト集団に惨殺される事件がありました。「シャロン・テート殺人事件」です。日本ではあまり知られていない事件ですが、今夏、関連する複数の書籍や映画が出版、公開されるなど、半世紀を経て再びクローズアップされています。人種差別や宗教対立による銃乱射やテロなど、無差別的な事件は今も相次いでいます。当時、オウム真理教事件の取材をした経験から、シャロン事件から、事件を起こす動機をたどる難しさについて考えます。(朝日新聞元警視庁キャップ・佐々木健)
シャロン事件が起きたのは1969年8月9日。のちに「戦場のピアニスト」などで知られるロマン・ポランスキー監督の妻だった新人女優のシャロン・テート(当時26)が自宅に押し入ったカルト集団に友人ら3人とともに刺殺されました。
チャールズ・マンソン率いる集団「マンソンファミリー」による殺害は計7人に及ぶなど、事件は全米を震撼(しんかん)させ、今もハリウッド最大の悲劇として語り継がれています。
シャロン事件は、ポランスキー監督が引っ越してきた家の前の住人がターゲットだったと言われ、「間違い殺人」との見方もあります。
現在、テロや無差別銃乱射事件などの多くは、SNSやネットで犯行声明や事件そのものを映像として残しているもの、被害者などが撮影しているものなどによって、その悲鳴や銃声などが響く凄惨(せいさん)な状況が報道されることがあります。
衛星写真で世界中のほとんどがネットでのぞけるようになり、世界の事件が瞬く間にニュースとして流れる時代となりました。事件捜査では防犯カメラの映像が使われ、容疑者の足取りがつかめるようになるなど、捜査手法も変化しています。
シャロン事件は、ネットとは無縁の時代。日本で起きたオウム真理教事件も同じような時代背景でした。そして、マンソンファミリーもオウムも、世の中に知られないうちに組織化、凶暴化が進みました。
いずれも当初から国内の各地でトラブルが散発していたものの、大きく注目されるには時間を要しています。防犯カメラやスマホのカメラ、SNSが発達したネット社会の今では考えられません。「情報を早くキャッチできる」という意味では現在のネット・情報社会は優位であることは間違いありません。
すべてが可視化されやすくなった時代ですが、それは同時に、真偽のはっきりしない情報による「レッテル貼り」という危険性にもつながります。
例えば、茨城県守谷市の常磐自動車道で起きた「あおり殴打事件」では、なぐりかかる場面をとらえた動画が繰り返し報じられ、全国から注目が集まりました。同時に、動画に映っていたとして無関係の別人がデマ情報を流されるという被害も生まれました。
「もろ刃の剣」というネットの難しさが見えてきます。
シャロン事件は、当時14歳の犯行メンバーの1人が「マンソン・ファミリー悪魔に捧げたわたしの22カ月」(ハーパーコリンズ・ジャパン)というノンフィクションの本で、ファミリーの誕生や事件に向かう背景、当時の世の中の雰囲気などを語っています。
世間の無関心さと組織内のギャップ、閉ざされた環境下での情報の少なさで、人間はどう考えを変えていくのか。本を読んでみて改めて、当事者自らが語る背景の重みを痛感します。
日本のオウム真理教の一連の事件では、筆者が警視庁担当記者時代の2012年に3人の逃亡犯が捕まり、再び事件がクローズアップされました。裁判を通してオウム事件とは何か、何だったか、ということがさらに明らかになっていきましたが、オウム真理教事件を生んだ背景や本質は解明できたかは不明です。今後、これまでの裁判での証言や証拠と、一人でも多くの当事者の言葉が紡ぎ合わされることしかない、ということになります。
シャロン事件を取り上げたクエンティン・タランティーノ監督の映画最新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(公開中)はフィクションです。1960年代のアメリカ、とりわけハリウッドのカルチャーへの郷愁と尊敬、そしてシャロン事件に対する憎悪が伝わってきます。映画に登場するカルト集団の本拠地は、マンソンファミリーが実際に拠点としていた場所と説明されています。
エンターテインメント作品ではありますが、オウム真理教事件を考えながら鑑賞することで、誰もが巻き込まれる可能性のある「事件」との向き合い方を考えるきっかけになるかもしれません。
1/13枚