「尊師」松本死刑囚が住んだオウム支部、地下鉄サリン事件当時の内側
かつて松本死刑囚一家が住み、出家信徒が暮らし、在家信徒が通ったオウム真理教船橋支部(中央)。1997年に教団の破産管財人に明け渡されて解体され、今はもうない=1995年8月、千葉県船橋市、藤田直央撮影
支部手前の道路に掲げられたTシャツ=1995年8月
支部手前の道路に置かれた、教団代表だった松本死刑囚をかたどったボード=1995年8月
かつて千葉県船橋市にあったオウム真理教船橋支部=1995年8月
支部の玄関には信徒たちの靴が並び、右上に「松本智津夫」の表札がかかっていた。かつて松本死刑囚の一家が住んだ=1995年8月
支部のグッズ売り場。教団代表だった松本死刑囚にまつわるものがほとんどだった=1995年8月
支部の壁に貼られた、「イニシエーション」など修行に関する言葉の説明=1995年8月
支部で蓮華座を組み瞑想する信徒たち=1995年8月
支部の壁に貼られた修行のアドバイス=1995年8月
支部で蓮華座を組み瞑想する信徒たち。手前の人がつけたヘッドギアについて教団は、中に電極があり、教団代表だった松本死刑囚のテレパシーと同調することで修行の効果が上がると説明していた=1995年8月
支部のホワイトボードに書かれた、出家信徒の修行の日程=1995年8月
支部に置かれていた「オウム出版」の雑誌で修行の各コースを説明した部分。「来世で高い世界に生まれ変わる」こととされた「ポア」は、一連の事件で「殺害」の意味に使われた
支部に置かれていた「オウム出版」の様々な雑誌。1995年発行の右下の「SACCA」は一連の事件で教団は「無実」と主張し、強制捜査や報道を「弾圧」と批判した