連載
#34 #withyouインタビュー
いじめ・停学を「次」につなげて……登山家・野口健さんのくじけ方
野口健さんは「『していい無理』と『してはいけない無理』がある」といいます
野口健さんのメッセージ
<のぐち・けん>
1973年生まれ。17歳でアフリカ最高峰のキリマンジャロ(標高5895メートル)に登頂すると、99年に3度目の挑戦でエベレスト(8848メートル)に登頂。25歳での世界7大陸最高峰の登頂は当時の最年少記録だった。その後はヒマラヤに登山者が残したゴミを清掃する活動や、富士山の清掃登山などに取り組む。この秋はヒマラヤのマナスル(8163メートル)の登山に挑む。
――幼いときにいじめられた経験があると聞きました。
生まれたのはアメリカ。半年ぐらいでサウジアラビアへ。その後、日本の幼稚園に入りました。おやじは日本人の外交官で、母ちゃんはエジプト人。家ではアラビア語だったのですが、幼稚園で「外人だ。外人が来たぞ」と人生で最初のいじめでした。
でも、泣きながら家に帰ると、アラブ人の母ちゃんは「目には目」「歯には歯」だから「徹底的にやりかえせ」と。そんなことできるわけないのですが、母ちゃんは「相手はひきょうなんだから、何をしてもいい」とも言いました。小学校の低学年のときもそんなことがありました。今では参考にならない話ですけど、母ちゃんに「いじめられてかわいそう」とかは言われたことはなかったです。
――そういう経験を踏まえて、学校に行きたくない人、いじめられている人、居場所がないという人にどんな言葉をかけますか?
いじめや差別はよくないけど、人間がいる以上はなくならないと感じています。ヒマラヤの世界にもカーストなどの差別があります。程度の問題はありますが、日本でも、大人になっても、社会に出ても、どの時代になっても、いじめや「わな」とかはある。どこに行っても逃げることはできない。だから、そうした不快なことが起きたときに回避することが大事だと思います。
本当にやばい、と思ったら、学校に行かないのも選択肢。勝ち負けではないけれど、学校に行かないことが負けではない。ただ、自分と向き合わないと、どこまで耐えていいかがわからないと思います。
――高校のときは停学も経験していますね。
小学校高学年からイギリスの全寮制の学校に行きました。成績は落ちこぼれだったのですけど、高校1年生のときに先輩を殴って停学処分になりました。自宅謹慎になって日本の家に帰ったのです。
家におやじがいました。怒ってはいませんでしたが、「中退するのか、残るのか、お前の人生だから自分で決めろ」と言うのです。「中退したい」と言ってみたら、「中退するなら家を出て行け。社会人になることだから」と。でも、イギリスに戻るか、学校をやめるかと悩んでも、僕にはやめる勇気もなかった。さらには「おまえの人生だから、俺には関係ない」。これが妙に心に残っていて。
でも、「家にこもっていても、良いことはない。1人で2週間ぐらい旅をしろ。知らない街に行って、朝から晩まで歩け」とも言うのです。自宅謹慎だから本当は家から出てはいけないのですが、大阪の親戚を頼って、京都や奈良をひたすら歩きました。
すると、その旅の途中でふらっと入った本屋で(冒険家の)植村直己さんの本(=「青春を山に賭けて」)に出会って、ピンときました。もし、自宅にいたらもんもんとしていたと思います。実はもう1人停学になった生徒もいたのですが、その通りに謹慎していて、学校に戻ってきたらまた事件を起こしてしまったのです。
――そんな経験を経て、つまづいている若者へのメッセージはありますか?
今うまくいっていないことが人生の中でデメリットなのかな、と思う。僕は落ちこぼれて、停学になって山の世界に入った。これが僕の人生ではストーリーです。エベレストは登頂に1回失敗して、2回失敗して、ようやく登った。もし停学にもならず、エベレストに一発で登ってしまって順調な人生だったら、どうだったのでしょうか。「落ちこぼれてエベレスト」という本も書いています。
人生は失敗することもある。そのときはきついと思う。エベレストに登れなかったことも、停学もきつかった。でも、失敗は不幸なことではないです。
講演会に行くと、8割は失敗談を語ります。いや、9割かな。天候が良くて登れたときよりも、エベレストに2回登れなかった、というできごとの方が自分の中では大きい。
必ずしも失敗はだめなことではないです。学校でいじめられたことも、結果的にあれはよかった、とも思います。受け止め方にもよりますが、次につながることもあるのです。
――山登りの経験からはどんなことを感じますか?
子どもたちに環境について教える企画を実施していますが、自然体験がゼロという子が結構いるのです。自然というのは雨でずぶ濡れになるなどの「プチピンチ」が定期的に訪れる。そういうピンチってすごく大事ですよ。プチピンチから生命力を人間は高めていきます。
――確かに、危ない経験をすると命の大切さを自分で実感しますね。
そうそう。自然体験って何が大事かって、体力がつくとか、チームワークの大切さも感じるのですが、何より生命力、生きのびる力が得られると思います。
そして、自分のことをある程度、わかっていないといけない。自分のメンタルがどこまで耐えられるかということです。逃げてばかりではきりがないけれど、どこまで耐えて、メッセージを出すかだと思います。
人間は過去との比較で考えます。山で言えば、「あのときあんなにバテた」「あんな吹雪にあった」とかですが、そういう経験をどれだけ積み重ねていくかが大事です。自分がどこまで肉体的に、精神的に無理をしていいかも見えてくる。つまり、「していい無理」と「してはいけない無理」があると思います。引くときは引く、逃げるときは逃げる、が必要です。
――どんな行動をすればいいのでしょう。
失敗を恐れてはいけないですが、慣れてもいけない。失敗慣れ、失敗癖がつくとすぐにあきらめてしまうと思います。それがわかるには、場数を踏むことですよ。若いときからいろんな旅をして、いろんな経験をしてほしい。
親が「お前の無理はここまで」というのはありえない。自分でピンチを経験していた方がいい。失敗することやしくじることが100%だめなわけではないのです。
――野口さんのように目標を持つことが大切でしょうか?
学校の講演に呼ばれると、「夢を持つことの素晴らしさ」を話してほしいというニーズは多いです。「夢や目標を生徒たちが持っていないから」と先生は言います。
でも、同時に思うのは、先生は簡単に言うけれど、夢を持つと同時に背負う苦しみやプレッシャーもあるということです。それがあるから、登ったときにうれしい。逆に苦しい経験がないと、「ああ登ったな」という感想だけになります。
――親子で登山をしていますね。
娘の絵子(15)は小学校のころ、自分の口でキリマンジャロに行きたいと言いました。そこから訓練に取り組んできた。彼女が日本に帰ってくるときに休みを調整して冬の八ケ岳などに出かけていました。
――山に行くと、親子の関係はいかがですか?
普段、僕は家にほとんどいないのですが、山って時間が濃い。何か悩みを抱えているな、とわかる。ただ、女の子だから父親には直接言いにくいかな。僕の知らない悩みも多いと思う。それでも、何かあるな、というのは感じるものですよね。表情やしぐさ、話すときの「間」から。子供のメッセージは明確に発言として伝えるだけじゃないと思う。
――子どもの側からも、親に対して何か一緒にやろうと誘ってみることが必要ですね。
休日にずっと家で過ごすのと、山を歩くのとでは、24時間の濃さが違う。山ではなくて何でもいいですが、親子で共通のテーマができると大きいと思います。
――やりたいことが見つからないという若者が増えています。
そんなときこそ、「とりあえず山に行ってみようか」と言いたい。高い山でなくてもいい。自然に触れることで、自分自身を知ることにつながります。
――若者たちにエールをお願いします。
もし、いじめられているとしたら、今はつらいけど、生きていくときっとこんな世界が待っている、と思うようにしてください。例えば、受験勉強もいま苦しいけど、目標の学校に入ればこんな生活が待っている、と。受験が本来の目的ではないと考えてほしいですね。
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