話題
「曹操の遺言」墓から出てこなかったアイテム 英雄のもう一つの顔
誰もが一度は名前を聞いたことがある「三国志」。大きな声では言えませんが、私は三国志の「超」初心者です。時代は違えど同じ古代中国を舞台にしたマンガ「キングダム」の大ファンではありますが、三国志の方は、吉川英治の小説はもちろん、横山光輝のマンガも読んだことがなく、ゲームにも足を踏み入れたことがありません。そんな私が、中国史研究者に「決定版」と言わせた特別展「三国志」(東京・上野の東京国立博物館で開催中)を取材することに……。そこで見たのは「過去の猛者の色あせない魅力」でした。(朝日新聞国際報道部・今村優莉)
三国志を知らない私ですが、実は、中国留学の経験はあります。そんな人間が「三国志、知りません」というのは、「万里の長城に行ったことがありません」というのと同じくらい恥ずかしいことだと思いながら生きてきました。
それでも、三国志の世界や武将たちのことを知っていると、話の幅が広くなるだろうなあ、とずっと思っていました。ですが、いつか、ちゃんと読もう!とか、この世界の面白さを何らかの形で知りたい!と思いながらも、なかなかきっかけをつかめずにいました。
そんなわたしに今回、三国志展を「初心者の目で見て、まわって、思ったことを記事に書いて欲しい」という依頼がきたのです。
……わたしで良いのか?!
ですが、せっかく頂いた機会を無駄にはしたくない。
そんなわけで、今回は、私のような三国志「超」初心者が行ってどう感じたのか。展覧会の宣伝句でもある「リアル」を感じられたのか。そして、楽しめたのか――を、文物の紹介や歴史のおさらい、見どころも込めて、リポートします。
ちなみに私の大好きな「キングダム」は、三国時代よりもさらに前の紀元前、七つの国が群雄割拠する春秋戦国時代の中国を舞台に、後の始皇帝となる秦王の「政(せい)」と天下の大将軍を目指す戦災孤児「信(しん)」が中華統一に向けて乱世を駆け抜ける歴史マンガです。
2012年ころに日本で暮らす中国人の友人から「ものすごく面白いよ」と勧められて1巻目を読んで以来、将軍、軍師だけでなく王や文官ら超濃厚なキャラクターが織りなす世界にすっかりハマッています。単行本も54巻まで集め、4月に公開された実写版の映画も大興奮しながら見ました。
三国志と比べると時代設定も武将の数も違うけど、広い中華の地で知謀をめぐらせ覇権を争う者たちの闘いという点では同じ。これを機に三国志の世界観の魅力を知ることができるのではないか。そんな思いもありました。
まず、「三国志」について、簡単におさらいしてみます。
いまから1800年ほど前、中国を統一していたのは後漢王朝でした。前漢・後漢と呼び名が変わるものの、400年あまり続いた漢王朝では、「母方の親族」を意味する外戚や、宦官が実権を牛耳り、王朝としての力を失い、社会秩序が乱れていました。
そんな中で184年、「黄巾の乱」というものが起きます。黄色いずきんを目印に農民たちが起こした大きな反乱のことです。
これを機に、各地で動乱が起きます。漢王朝は、有力武将たちの力を頼って収拾をはかろうとします。ところが、これがかえって武将たちの台頭を許し、各地で群雄が割拠する内乱の時代が始まります。この「黄巾の乱」から、西晋王朝による統一までの100年ほどの間が「三国志の時代」です。
劉備、関羽、曹操といった人物はもちろん実在しました。加えて、諸葛孔明という軍師がいて、彼が、魏・蜀・呉の三つの国に天下を分ける軍略を説きました。魏・蜀・呉を曹操、劉備、孫権が覇権をとり、天下三分の形勢が定まったのです。
3世紀、蜀で生まれ、後に西晋の官僚となった陳寿という歴史家が「三国志」という歴史書を書きます。これは、「史記」「漢書」などと並んで中国の歴代王朝の歴史を伝える、正史という基本文献として数えられています。
ただ、正史「三国志」はたんたんとした歴史書で、すぐに民衆に親しまれるようになったわけではありません。
三国興亡の歴史は、やがて様々な伝承ともまざりあいながら人々に愛されるようになり、芝居や文学の題材になってゆきます。その決定版が、三国時代から1000年以上もたった明代に出版された小説「三国志演義」です。史実と創作をおりまぜ、時間の流れに沿って面白く話を展開させました。それぞれ出てくる武将たちのキャラクターの性格も、三国志演義で定まったものだそうです。
今につながるゲームやマンガなども、この三国志演義を元にして作られているんですね。
三国志に関するもののなかで、私が唯一繰り返し見たことがあるのは、赤壁の戦いを描いた映画「レッドクリフ」です。好きな俳優、梁朝偉(トニー・レオン)と金城武が出ているからです。
会場にある「三国志の時代の兵器を紹介する展示室」。部屋に入ったとたん、思わず息を呑みました。無数の矢が頭上を飛んでいるのです。
……いえ、飛んでいませんが、ぴゅんぴゅんと飛んでいるような空間をつくっています。説明によると、矢の数は1000本以上。
ここで私が思い出したのが、「レッドクリフ」です。呉の軍師・周瑜(映画ではトニー・レオン)は、諸葛孔明(金城武)の天才ぶりを知り、のちのちに呉にとって憂いとなることを懸念。わざと難題を与えて失敗させ、処断することを思いつきます。
そこで周瑜は「10万本の矢を集めて欲しい」と依頼します。諸葛孔明は、霧深い日に、わら人形をたくさん載せた舟を何隻もだして曹操の陣地へ近づきます。敵軍が来たと思った曹操軍は、「矢で追い返せ」と言って、人と勘違いしたわら人形に向かって無数の矢の攻撃を浴びせました。こうして、諸葛孔明はいともやすやすと10万本の矢を手に入れたのです。
展覧会の目玉の一つは「三国志研究史上最大」の発見といわれた魏の英雄・曹操の墓室の一部を実物大で再現した「曹操高陵」コーナーです。空間を贅沢につかい、照明を最低限に抑えて、高い天井の墓室を制作。煉瓦で積み上げられた壁も再現されています。中にいると、なんとなくシンとした空気感が伝わってきます。
曹操の墓は、その所在をめぐって長く論争があり、研究者のなかでも見つからないと言われていたそうです。
ところが2008~09年にかけて、中国最古の王朝の一つと言われる殷(いん)の都の遺跡があることでも知られる河南省で発掘されました。
展覧会を企画した同博物館主任研究員の市元塁さんはこう振り返ります。
「アンケートをとるといつも上位に『三国志』のリクエストが入っているのですが、関連する文物が少なかったので、なかなか難しいと思っていたんです。それが2009年に墓が見つかって、一気に機運が高まったんです。研究者の間で『これ出来るんじゃないか』と」と。
市元さんの解説は続きます。
曹操は薄葬、つまり葬儀を簡素化するよう遺言を残していたそうです。
三国志をあまり知らない私も、曹操は三国志の奸雄として「なんとなく、悪いやつ」というイメージがありましたので、墓を簡素にするように、という遺言があったとは驚きました。
「研究者としては、葬送の遺言は実行に移されたのか?!というところに一番関心が集まりました」と市元さん。
実物大の曹操の墓室を抜けると、曹操高陵からの出土品が並ぶ空間があります。いずれも、中国以外では海外初公開の物ばかりです。
きらびやかなものはほとんどありません。色も形も、おしなべて質素です。
市元さんは言います。
「墓から金玉珍宝のたぐいは出てこなかったんです。曹操高陵は何度も盗掘にあっているので、持ち去られた可能性もあるんですが、断片すら見つからなかったんです」。
お墓を簡素にせよ、という曹操の遺言は、確実に実行されたようですね。
副葬品の鼎(てい)も、曹操ほどの権力者なら、ブロンズで作られていてもおかしくないのに、当時一番廉価な焼き物で作られていたそうです。
「ただし、作りは大変丁寧なんです。うすくて、急いで作ったら自重でひずむのが、ひずみもない。質素ではあるがぞんざいなのではなく、丁寧に葬られたことがうかがえます」
安易に「悪いやつ」と持っていた曹操のイメージは、私のなかでどんどん変わっていきました。
では曹操がもし、そんな遺言を残さなかったら?
同じ空間には、当時の他の権力者たちが好んでいた物品の紹介もあります。
その一つが、まばゆいばかりの金でできたベルトのバックル。金粒細工がほどこされていて、きらびやか。こういったものを当時の権力者たちは好みました。
「曹操が、自分の墓を質素にせよという遺言を残していなければ、間違いなくこういったものが見つかったと思われます」と市元さんは解説します。
ちなみに、鮮卑頭(せんぴとう)ともよばれるこのバックルへのあこがれは西晋時代も続いたとか。
正直、私はふだんの展覧会でも、土器や白磁といったものに心動かされることは少ないので、いくら曹操高陵からの出土品が「日本初上陸!」とか「世界で初公開!」とか言われても、あまりピンと来ませんでした。
ですが、川本喜八郎さん作品の三国志の人形は、別格でした。
会場には、1982年~84年にNHKで放送された「人形劇 三国志」から9体の人形も展示されています。私はオンエアを見ていませんが、高さ約70センチの愛らしい登場人物たち。表情や手の動き、服装など細かいところまで精巧につくられており、見ているだけで楽しかったです。
また、横山光輝のマンガ「三国志」の原画も各エリアの冒頭に姿を現します。実は、展覧会を取材することが決まってから、私は知人に全巻を借りて1巻から読み始めています。まだ途中ですが、やはりマンガは読みやすいです。
市元さんによると、展覧会の準備は2017年3月から始まりました。中国各地の現地や博物館をまわり、全国18の省・自治区、40を超える機関から文物を集めたそうです。「収蔵庫のなかにあったものもあり、それぞれの博物館のなかでも見られないものも借りてきました」
「これほどのものが一堂に集まるのは中国でもありません。千載一遇のチャンスだと思います。中国の専門家たちからも『三国志展の決定版だね』と言ってもらえました」と話しました。
実は、市元さんは「この業界でも稀有なほど、三国志の刺激を受けていない研究者」で、三国志を初めて読んだのも、展覧会の準備を始めてからだそうです。
だからこそ、展覧会には、これまで三国志に縁遠かった人に少しでも親しみを持ってもらえるように趣向を凝らしたそうです。会場に文物だけでなく、マンガの原画や人形、実在したかも分かっていないけど、ゲームで有名な張飛の矛の模型があったのも、そういった狙いがあったのでしょう。
「リアルな三国志の時代があり、陳寿が歴史書として『三国志』をまとめて、明の時代に『三国志演義』が成立した。どんどん三国志って発展してきて、その一つの到達点として日本でのマンガとか人形劇があったと考えています。三国志に興味をもつ入り口としても優れた作品なので、文物だけでなくそういったものを取り入れることによって、まったく知らない人にもこの世界に入りやすくなる工夫をしました」
「三国志といういうのはいろいろなコンテンツがあり、まさにファンタジーと化している部分があります。でも実は、本当にそういう時代がかつてあったんだということが、この展覧会で体感できると思います。具体的な歴史の流れとか、しっかり勉強しようとか思わず、まずは時代の空気感を感じることが出来れば十分だと思います」
それでも、敢えて、展覧会のなかで市元さんがお勧めするコーナーは?
「『三国歴訪』です」
血なまぐさい戦いばかりではなく、魏も蜀も呉も、そこには庶民の暮らしがありました。そんな息づかいが聞こえるような、それぞれの国の生活や文化がわかる文物のコーナーです。
「三国志に限らず、どの展覧会もそうですが、知識がなくても来て頂いて、自分の好きなものだけ見るとか、探してみたりする、というのが展覧会の楽しみ方です。そういう視点で自分の気に入ったものが魏・蜀・呉のどのなかにあるのか、というのを思うと、三国志の世界に一歩入れた感じになって興味が広がると思います」
「自分だったらどの国に住みたいかとか、どの国で働きたいかとかイメージしながら見ると楽しめるのではないかと思います。最近中国に行く若者は減っていますが、この展覧会を機に、蜀に興味もったから今度は四川省に行ってみようとか、自分の気に入ったエリアを見つけてもらってそこを旅してくれたらいいなあと思います」
先日、夏休みをとった私は、今年89歳になる中国人の祖母に会いに北京へ行きました。
そこで、三国志を描いた中国のテレビドラマのDVDを大人買い。仕事と子育ての合間を縫って少しずつ見始めています。もともと三国志ファンの父(68)は「ようやく魅力がわかったか!」と喜んでいました。
実権をほしいままにしていた曹操は、己の欲望のためだけではなく、民のこともしっかり考えていたのではないか。だからこそ、墓に余計な金玉珍宝をつかわせなかったのではないか……。「奸雄」と言われる曹操も、血の通った人間だったのだ、と勝手に親しみを抱いてしまいます。
展覧会で知った最新の歴史研究は、三国志の初心者だった私の想像力を、今もかき立ててくれます。
1800年も前の猛者たちの物語に、今もたくさんの人々がひかれる理由。それが、ようやく分かった気がします。
特別展「三国志」の音声ガイドは、歌手の吉川晃司さんが担当しました。計約50分の音声ガイドでは、吉川英治の小説「三国志」の一文を引用した、すてきな声の説明が流れます。私が取材に行った報道陣向け内覧会では、本人による一問一答の時間が設けられました。
Q 三国志にお詳しいということですが、なぜ親しまれるようになったのでしょうか?
A 人生でこれまでにいくつかつまずくこと、自分が最大の岐路に立ったなと思うことが30代のあたまごろにあったんです。ただ、それまで己を物差しに生きてきたというか。だから困ったからといって助けを請えるあてもなく。史実とか偉人さんに指南書というかヒントをもらえるのではないかと思ったんです。
まずは日本の歴史をたどったんですが、肝心なところでほぼ間違いなく中国の故事とか古書とか出てくるんです。それがわからないと次に行けないなと。
例えば織田信長、武田信玄、戦国時代のかたがたもそうなんですが、この戦が何をもとにしたのかと思うと孫子の兵法が出てきたりね。そこで前に進めなくなって。じゃ、いっかい中国(の歴史)に行こうと。で、読み始めたらはまっちゃったと。
Q 三国志の魅力は?
A 史実的には文化に変化が大きくて一番面白い時代だと思う。画期的なことや刺激的なこと、ロマンティックなことをあつめて三国志演義が出来たと思うんですが、ダイナミックな出来事、物語として三国志演義は面白い。
もう一つは、強者どもが夢を追うということ。誰も成就できなかったという皮肉も込めて。司馬氏にまるごと持って行かれちゃうんだけど。
人間社会の栄枯盛衰というか、同じことを繰り返しているという皮肉もあるんじゃないかなと思いますね。
Q どのような思いで収録に望んだのでしょうか
A やっぱり、来場された方々に楽しんで頂けることを。もちろんしっかり正しくお伝えすることも。だからなるべくはっきりしゃべりました。
Q 感銘を受けた作品はありますか?
A 曹操高陵ですね。自分はNHKの収録で、入り口までは現地で入れてもらったんですが、そこから先は行けませんでした。だから、そこから先に行くとこういうものが出てきたんだな、と。
Q 来場されるみなさんにメッセージをお願いします。
A 過去ってものすごく魅力的です。ファンタジーだと思います。史実を学びながら、ファンタジーとか夢の中に入って楽しんでもらえると良いなと思います。
◇◇◇◇◇
日中文化交流協定締結 40 周年記念 特別展「三国志」
東京・上野の東京国立博物館 平成館
開催中~9 月 16 日(月・祝)
開館時間:午前 9 時 30 分~午後 5 時 ※金曜・土曜は午後 9 時まで ※入館は閉館の 30 分前まで
休館日:月曜日、※ただし、8/12(月・休) 、9/16(月・祝)は開館
観覧料:一般 1,600 円(1,300 円)、大学生 1,200 円(900 円)、高校生 900 円(600 円)
※( )内は 20 名以上の団体料金 ※中学生以下無料 ※障がい者とその介護者 1 名は無料(入館の際に障がい者手帳などをご提示ください)
主催 : 東京国立博物館、中国文物交流中心、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社
後援 : 外務省、中国国家文物局、中国大使館
協賛 :大日本印刷、三井住友海上火災保険、三井物産
公式サイト:https://sangokushi2019.exhibit.jp/
公式ツイッター:@sangokushi2019 #これぞリアル三国志
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