連載
#123 #withyou ~きみとともに~
「夢をあきらめてもいい」車いすを強みに起業した社長の気づき

ユニバーサルデザインのコンサルティング事業を展開する「ミライロ」社長、垣内俊哉さん(30)は生まれつき骨がもろく、折れやすい病気です。車いすに乗り、これまで20回ほど骨折。絶望のあまり、自殺を試みたこともあります。そんな時、自分の居場所を見つけるきっかけをくれた出会いがありました。「生きる勇気を与えてくれるのは1冊の本かもしれないし、1曲の歌かもしれません」。死に物狂いのリハビリをしても歩けるようにならなかった垣内さん。車いす生活を「強み」に変えられた理由を聞きました。
垣内俊哉さんのメッセージ
・絶対につらいことはある。幸せだな、って思うことも、これからある
・逃げても、泣いてもいい。あきらめないで
・日記の締めは、自分をちょっと褒めて
病院の屋上、2メートルの柵よじ登ろうとした
――生まれつき、病気だったんですね。
骨形成不全症(こつけいせいふぜんしょう)という病気で、骨が弱く、折れやすいです。これまで20回ほど骨折し、手術も十数回、受けました。幼稚園から小学校低学年の頃までは、何とか歩けたのですが、小学校4年生の頃から車いすに頼らざるを得なくなりました。「かわいそう」と思われるのが嫌で、思春期の頃は「歩きたい」と必死で努力しました。

――高校生のとき、手術を受けたけれども、うまくいかなかったそうですね。
高校を休学していたのですが、このまま退院して高校に戻っても、同級生だった友達より学年が一つ、下になります。大学受験も大変です。当時は家族とも不仲で、戻る場所もありません。真っ暗で先が見えない感じでした。
入院中、消灯後にエレベーターで最上階へ行きました。レストランがあり、そのドアを開けたら屋上へ出られます。私にとっては好都合の構造でした。しかし、柵の高さは2㍍以上。手を掛け、よじ登ろうとしましたが、私の足では無理でした。「飛び降りることも出来ない」と、柵にしがみついて泣きました。

<かきうち・としや>
1989年生まれ。岐阜県中津川市出身。立命館大学在学中に株式会社「ミライロ」を設立。企業や自治体を対象に、ユニバーサルデザインのコンサルティングを手がける。著書に自伝「バリアバリュー 障害を価値に変える」(新潮社)。
「ちゃんと登り切った先の景色を見たのかい?」
――それからは
何もする気になれず、形だけは治療とリハビリを続けたものの、それ以外はベッドの上でぼんやり過ごしていました。
ある日、向かいのベッドにいる富松さんというおじいさんが、「あんまり具合がよくないのか?」と話しかけてきました。それまで誰とも話す気がしなかったのに、なぜか富松さんには、自分の身体のことや思いの丈を、堰を切ったように打ち明けました。
富松さんには「君はちゃんと登り切った先の景色を見たのかい?」「人生はバネなんだよ。今はしんどい時期だろう。でも、それはバネがギュッと縮んでいるということだ。いつかバシッと伸びることを信じて、今を乗り越えなさい」と言われました。
その言葉は、私の心へ染みいるように流れ込んできました。富松さんの言葉に背中を押され、もう一度、リハビリを頑張ろうと思いました。

――リハビリは、うまくいきましたか。
10カ月間、死に物狂いで過酷なリハビリをしましたが、無理でした。でも「自分の足で歩く」という夢をあきらめるのに、不思議なほど挫折感がありませんでした。リハビリをやり切ったからだと思います。あの時、富松さんに声をかけてもらえず、中途半端な状態でリハビリを投げ出していたら、そんな気持ちになれなかったでしょう。
「登り切る」というのは、何も頂上に立つだけではありません。望み通りの結果を得られなくても、心底、やり切れば、それも登り切ったことだと思います。
現実を受け止められなければ、どこにいてもつらい
――自殺しようとしたことを今、振り返ると、どう思いますか。
結局のところ、空間と時間に対する感覚がおかしくなっていました。病室という空間で、先が見えなくなってしまった。
でも空間なんて無限に広がっています。地球の裏側だって行けます。時間も5年、10年経てば、つらかったことを忘れているかもしれません。空間と時間について、もっとおおらかに考えるべきでした。
――当時、心のよりどころとなった「居場所」ってありますか
病室も教室も家庭も、自分の居場所ではありませんでした。
でも、それは、歩けない自分を受け入れられなかったからです。現実を受け止められなければ、どこにいてもつらい。でも、自分の哲学というか生き方が定まると、どこだって居場所に出来ると思います。
富松さんの言葉は私にとっての哲学。また、大学生のとき、バイト先の社長に「歩けなくても胸を張れ。車いすに乗っていることがお前の強みなんだ」と言われたことも、心のよりどころになりました。
こう生きるべきだ、というものが見つかれば、きっと、無い物ねだりをしなくなります。居場所が無いというのは、場所のせいじゃないんです。

1日の締めは、自分をちょっと褒めて欲しい
――つらかった高校生のとき、していて良かったことはありますか。
16歳の頃から数年間、基本的に毎日、日記を書きました。当時の日記を読み返すと、激しい言葉が並んでいます。
日記は、自分に向き合うための一つの方法。頭の中のもやもやしたものが、目に見えるようになります。誰にも言えない怒りや悲しみを吐き出せば、気持ちが整理され、解決策を考えることにつながります。
重要なのは、マイナスのことばかり書かないこと。例えばいじめられていたら、相手に対して「むかつく」「腹が立つ」と書いてもいいけれど、締めは、自分をちょっと褒めて欲しい。「それでも耐え抜いた」とか「この経験は明日に生きるかもしれない」とか。前向きな言葉は、リアルになってきます。

――苦しい日々に向き合ったことは、その後の人生にどんな影響を与えましたか。
歩けなくても出来ることを探し続け、歩けないから出来ることを見つけました。自分の障害にとことん向き合った結果、ミライロの基本理念「障害を価値に変える」にたどり着きました。
会社を設立して借金もしたし、その後、病気で心肺停止になったこともありました。でも自殺するほど追い詰められ、死にものぐるいでリハビリをした時期があったので、心がぐらつくこともありませんでした。今となっては、大きな財産です。
どんな弱点も、目線を変えれば価値になります。例えば人と話すのが苦手な人には、巧言令色(こうげんれいしょく)を潔しとしない誠実さがあるのではないでしょうか。誠実さは、ビジネスにおいて、大切なバリューだと思います。

最期を迎える瞬間に「51対49」に出来たら
――富松さんのような人にタイミング良く出会えないときは、どうすれば良いですか。
富松さんに出会えた私はラッキーでしたが、生きる勇気を与えてくれるのは1冊の本かもしれないし、1曲の歌かもしれません。私の場合、本で言えば、アーネスト・シャクルトンの「エンデュアランス号漂流記」、マイケル・J・フォックスの「ラッキーマン」、江上剛さんの「我、弁明せず」にも、力をもらいました。
――今、思い悩む人へのメッセージを。
私の今日までの人生を振り返ると、嬉しかった、楽しかったは3か4、つらかった、苦しかったが6か7だと思います。でも、最期を迎える瞬間に「51対49」に出来たら、良いと思います。若いときはどうしても、9対1とか8対2という感覚になってしまうけど、あり得ません。
絶対につらいことはあります。それが今、きているだけで、幸せだな、って思うことも、これからあります。だから逃げても、泣いてもいいから、あきらめないでください。


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